第19話 女優としての立場 ~瑞穂side~

 誰もいない早朝の教室で、瑞穂は黙々と一人掃除に勤しんでいた。

 箒で床のホコリを掃いていくけれど、まるでアイスホッケーのラケットを勢いよく振るかのような掃除の仕方。むしろ細かいほこりが宙に舞い上がり、綺麗にするどころか汚れをまき散らしている。

 はたからみたら、明らかに物に当たっているようにしか見えない。


 それもそのばず、今の瑞穂は苛立ちに満ちているのだから。

 原因はもちろん、新しく管理人としてやってきた芳樹のせい。

 顔を合わせたくなかったため、わざわざ深夜帯を狙って寮を出ようとしたのに作戦は失敗。

 それどころか、瑞穂を最寄りの駅まで見送るという過保護っぷり。


『週刊誌に撮られたら困るから、次からは変装しろ』と、遠回しに送り迎えなんかしなくていいと言ったのに、彼は瑞穂の言葉を鵜呑みにし、納得してしまう始末。

 しかも、嫌な顔1つせず、むしろやる気に満ち溢れているのがさらに質が悪い。

 そんな彼の言動を思い出すだけで、苛立ちが倍増する。


「あ”ぁ、もうっ! イラつくな……!」


 瑞穂は怒りを抑えきれず、その場で地団駄を踏んでしまう。


那珂なかさん、おはよう……」


 すると突然、後ろから声を掛けられた。

『那珂くるみ』これが私の本当の名前である。

 しかし瑞穂は、その名前で呼ばれることを好まない。


 はっとした様子で慌てて振り返ると、教室の後ろのドアに二人の女子生徒が立っていた。

 一人は瑞穂に向けて手を上げており、もう一人はスクールバッグを担ぎながら、瑞穂へ鋭い目を向けてきている。

 どうやら、瑞穂の取り乱した一部始終を見ていたらしい。

 瑞穂はわざとらしく背中まで伸ばした黒髪を掻き上げ、平静を装って二人へ挨拶を返す。


「あら、二人ともおはよう」


 瑞穂は何事もなかったように掃除を再開する。

 態度の豹変ぶりを訝しみつつも、二人は各々の席へと向かっていく。

 ふとちらりと時計を見れば、そろそろ仕事へと向かわなければならない時間になっていた。


「それじゃあ私はそろそろ仕事だから、授業頑張って。今度、ノート見せてもらえると助かるわ」

「う、うん。わかった……」


 瑞穂は掃除用具をロッカーにしまい、スクールバッグを背負って、そそくさと教室を後にする。

 教室を出てから、昇降口に向かうと見せかけて、こっそりと壁際に隠れる瑞穂。

 すると、教室内から先ほどのクラスメイト達の会話が聞こえてくる。


「今日の那珂さん。明らかに様子可笑しかったよね? 何か無性にイライラしてたみたいだけど……」

「まっ、うちらには分からないストレスがあるんっしょ。売れっ子だか何だか知らんけど、ああいうタイプは普段からクール気取ってる癖に、本当はSNSの裏アカとか作って陰口叩きまくってるに違いないんだから」

「ちょっと、さすがにそれは言いがかりだよ……」

「いや、それくらい普通っしょ。実際、うちだって裏アカくらい持ってるし。そんでもって、うちらみたいな芸能学科の癖に、毎日登校して授業受けてるような落ちこぼれを見て、きっと心底馬鹿にしてるに決まってる」

「まあ確かに那珂さん。教室だとあんまり表情出さないから、何考えてるのか分からないときはあるけど……」

「売れっ子には分からないのよ、うちらの苦しみってのが。私だけが特別で他を見下して気取ってるところ、ホント鼻につく」

「うん……」


 最終的に、擁護してくれていた子も、もう一人の子の圧に押し切られて頷いてしまう。

 それから、二人の話は別の話題と移っていった。


 二人に気付かれぬよう、瑞穂は足音を立てずに昇降口へと歩みを進める。


 彼女達も、瑞穂と同じ芸能学科の生徒。

 歌手やモデルなど様々な分野で活躍している子ばかりだ。 

 その中でも、瑞穂の知名度は突出していた。

 瑞穂を知らない人はいないし、仕事量もクラスメイトと比べても群を抜いている。

 だからそこ、瑞穂は学校でも皆のイメージを崩さないため、『那珂くるみ』としてではなく、『女優水戸瑞穂』を演じ切っていた。

 けれど、それが却ってクラスメイトの反感を買うことも重々承知している。

 

 先程の二人が話していたように、『鼻につく』、『相手を見下している』と勘違いされてしまうのだ。


 もちろん、瑞穂はそんなこと微塵も思ったことはない。

 むしろ、クラスメイトの子たちと一緒に仕事を出来ればとさえ考えている。


 しかし、学校という閉鎖空間においては、実力差が如実に表れるほど、妬みや憎悪へと変貌するのだ。

 特に瑞穂の通う芸能学科では、学校に来ない人の方が売れっ子で偉いという印象を与えてしまう。


 芸能界へ進むと決めた時から、いずれこうなる可能性もあると覚悟していた。

 いくら陰口を周りから叩かれようとも、ずっと応援してくれる人がいる限りは……。


 なのに……なのにどうして……。


 やるせない気持ちが瑞穂の頭を支配する。


 気付けば、瑞穂は駅のホームへとたどり着き、近くにあったベンチへと座り込んで脱力していた。

 ホームは通勤ラッシュ真っ只中で、多くの人でごった返している。


「はぁ……私、何やってるんだろう」


 そんな独り言がこぼれ出る。

 全ての元凶は、昨夜の玄関でのやり取りだ。


 あの時交わした言葉は、そんな上っ面の口約束だっただろうか?

 いや、そんなはずはない。


 だってそれは瑞穂にとって、ここまで人気女優として成り上がってきた原動力となり、ここまで彼を信じてきたからそこ得たものなのだから。

 だからそこ余計に、芳樹が覚えていないことが許せなかった。

 彼は瑞穂が女優としてのプライドを傷つけられて機嫌を損ねていると勘違いしているらしいが、そんなことじゃない。

 もっと根本的な、大切なことを忘れていることに怒っているのだ。


 あの優しい雰囲気。

 変わってないのに……どうして彼は、覚えていないの?


 やるせない気持ちを堪えながら、瑞穂は1人通勤ラッシュの雑踏の中、ホームのベンチに座り、悶々と考えさせられる羽目になるのだった。

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