第18話 早朝見送り

 ピンポン、ピンポン


 翌朝、芳樹は管理人室に設置されている、玄関のドアが開いたことを知らせる防犯用のブザー音で目を覚ました。

 枕元に置いてある目覚まし時計見れば、時刻は朝の四時半。

 外はまだ真っ暗で、住居人が起きて来るには早すぎる時間帯だ。


 こんな朝早くから、一体何事だ?


 ぽわぽわとした思考の渦の中、とある可能性に気づいた瞬間、芳樹の頭がバッとさえわたり、眠気が一気に冷める。

 芳樹はベッドから飛び起きると、管理人室のドア近くにある警棒を手に取り、急いで管理人室の扉を開け放ち、玄関へと飛び出した。


「待て、不審者!」


 声を上げた芳樹は、壁にあるスイッチを押して、玄関の明かりを点灯させる。

 ぱっと明るくなった玄関前に、フードを被った怪しい人影が現れた。


「げっ……」


 不審な人物はビクっと身体を跳ねさせると、おそるおそるこちらを振り返る。

 ごくりと唾を呑み込み、臨場態勢に入る芳樹。

 しかし、フードを被った人物の顔を見た瞬間、そんな心配は杞憂となる。

 フードを被った人物は、眉をひそめて芳樹を訝しげに睨み付けていた。


「み、瑞穂ちゃん!?」


 そう、怪しい人影は、紺色のフード付きのダッフルコートに身を包んだ瑞穂だった。

 芳樹に見つかった瑞穂ちゃんは、苦い表情で歯噛みする。


「チッ、バレないと思ったのに」

「こんな朝早くに何してるの?」

「見てわからない?」


 心底嫌そうにしながら、瑞穂ちゃんは芳樹に身体を向けた。

 紺のダッフルコートに身を包み、下は白とグレーのチェックのスカートに黒のハイソックス。肩にはスクールバッグを提げている。

 見るからに学校へ行く格好だった。けれど、まだ登校する時間にしては早すぎる。


「今からもう学校行くの?」

「そうだけど。何、文句ある?」

「いやっ……いくらなんでも早すぎない?」

「今日は午前中から仕事で授業に出られないから、朝一あさいちに登校して教室の掃除をしに行くのよ」


 一葉さんから聞いた話によれば、瑞穂ちゃんは都内でも有名な芸能学科のある高校へ進学しているとのこと。

 仕事優先のため、授業に出られない場合、芸能学科の子は朝早くに登校して教室の掃除などをすることで、単位を稼いだりするのだと耳にしたことがある。


 しかし、寮から瑞穂の通う学校までは、一時間もかからずに登校できる。

 あと二時間遅く寮を出たとしても、教室の掃除をする時間には余裕をもって間に合うはず。

 つまり憶測するに、瑞穂ちゃんは芳樹と顔を合わせたくないがために、早朝のうちに出かけてしまおうと目論んでいたということになる。


「ってか、あんたこそ何その格好?」


 瑞穂ちゃんは、引きつった表情で芳樹の姿を見つめる。

 呆れた顔を浮かべるのも無理はない。

 今の芳樹は、寝間着に警棒を持った状態で、玄関前に立っているのだから。


「いや、怪しい奴が不法侵入してきたのかと思って……」

「バカなの? そもそもこの寮の戸締りはあんたがしてるわけでしょ? この寮はセキュリティーだって最新の設備が揃っているし、それで初日から不法侵入とかされたら、あんたの管理人としての質を疑うわよ」

「そ、そうだよね……アハハッ」

「はぁ……呆れた。私、もう行くから」


 話を打ち切るようにして、瑞穂ちゃんが出て行こうとするのを、芳樹は必死に呼び止める。


「ちょっと待って! 今コート取ってくるから」

「はぁ!?  何でよ」

「まだ外暗くて危ないから、駅まで送っていくよ!」

「別に、あんたの付き添いなんていらない。むしろ邪魔」

「だとしても、こんな早朝から女子高生一人で外を歩くのは危険だよ。寮の中は安全でも、外は何があるか分からないんだし、管理人としての責任もあるから、嫌でも送っていくよ」


 瑞穂ちゃんは芸能人である以前に、まだ現役の高校生なのだ。

 いくら閑静な住宅街だからと言っても、危険はいつ訪れてもおかしくない。

 親元から離れ、寮に暮らしている以上、管理人が保護者代わりの責任を持つのは当然のことである。


「あっそ、勝手にすれば」


 芳樹の気も知らず、瑞穂ちゃんはぷぃっと踵を返して、先に歩いて行ってしまう。


「あぁ、ちょっと待って!」


 芳樹は管理人室に掛けてあるコートを急いで引っ張り出し、寝間着のままコートを羽織り、靴を履いて玄関を出た。

 かっしーに貰ったキャラクターストラップの付いた鍵でしっかり戸締りをしてから、瑞穂ちゃんの後を追う。


 空はまだ暗闇に満ちており、心許ない電柱に付いている街頭の光だけが虚しく光っているだけだ。

 寮の前の道に出ると、ローファーをトコトコと鳴らして駅へと歩いていく瑞穂ちゃんの後姿を見つける。

 芳樹は、瑞穂ちゃんを駆け足で追っていく。


 ようやく追いついて隣に並ぶと、瑞穂ちゃんは一瞬ちらりとこちらを睨み付けてくる。

 どうやら、本当に芳樹がついてきたことが気に食わないらしい。

 瑞穂ちゃんは芳樹に歩調を合わせることなく、まるで芳樹から逃げるように早足に駅へと歩いていく。


「ふん、この程度で、私が許してもらえたと思わないことね」


 永遠についてくる芳樹に対して、瑞穂ちゃんは吐き捨てるように言い放つ。


「別にそんなことは思ってないよ。ただ、瑞穂ちゃんが心配なだけ」

「どうだか。そんなこと言って、私につけ入る口実を探してるだけでしょ」


 やはり、一度失ってしまった信用を取り戻すのは難しいのである。

 けれど芳樹は、管理人として当然の行動をしているまでのこと。

 確かに、寮に住んでいる人たちと円滑な関係を保ちたいというのは事実だけれど、それ以前に寮の管理人として責任者の立場がある。

 高校生を早朝とも言えぬ深夜の時間帯に一人で外出させて、危ない目に遭わせるわけにはいかないのだ。


「本当に夜道が危ないから送ってるだけだよ。例え瑞穂ちゃんじゃなくても、俺はこうしてる」

「あっそ」


 早足で歩く瑞穂ちゃんを追うようにして、駅への道を歩いていく二人。

 途中、新聞配達のバイクが一台通り過ぎていっただけで、あとは人とすれ違うことはない。

 けれど、誰ともすれ違わないのも不気味なもので、人に不安感を増長させる。


 しばらく一定の距離感を保ったまま無言のまま歩いていると、住宅街から抜けて大通りへと出た。

 歩道に人の姿はないけれど、車通りはある。

 日中に比べれば圧倒的に少ないが、一定数のトラックや自動車が目の前を走り抜けていく。


 ようやく安全な道まで出て、芳樹がほっと安堵していると、前方に大通りを横切る電車の高架が見えてくる。あそこが最寄り駅だ。

 まだ始発電車が走り始めるには時間があるけれど、駅からは明かりが漏れていて、ホームには入れる様子。

 けれど駅前の道に、人の姿はほとんど見受けられない。


 すると突然、瑞穂ちゃんがピタリと立ち止まり、くるりと踵を返して芳樹の方を振り返る。そして、すっと芳樹を指差した。


「あんたはここまででいいから」

「えっ、ここまで来たんだし、改札前までちゃんと送るよ」

「いいっ、ってか来るな!」

「駅に着くまで、何があるか分からないから」

「もしそれを私の為だと思って言ってるなら、せめて顔が隠せるフード付きのコートを着てきなさい。もし週刊誌にでも撮られたら、どう責任取ってくれるわけ?」

「あっ」


 そこでようやく、芳樹は自らの過ちに気づいた。

 瑞穂ちゃんの安全を気にするあまり、彼女が芸能人であるということを失念していた。

 もし二人で歩いているところを写真に収められ、週刊誌に載ってしまった暁には、彼女の芸能人としての信頼を失うことにもなりかねないのだ。


「ご、ごめん……」

「分かればいいのよ」

「なら、次からはしっかり変装して、正体がバレないように駅まで送ることにするよ」

「はっ?」


 芳樹の言葉が意外だったのか、瑞穂は呆気にとられている様子だ。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい」


 芳樹はその場で立ち止まり、駅に向かう瑞穂ちゃんへ、手を振って見送りする。

 しかし、瑞穂ちゃんは身体をぷるぷると震わせて、ぎりっと芳樹を睨み付けた。


「バカじゃないの!? もういい!」


 瑞穂ちゃんは憤慨した様子で、足早に駅へと向かって行ってしまう。


「やっぱり、まだ怒ってるのかな?」


 でも、一葉さんから頼まれた手前、瑞穂ちゃんを見放すわけにもいかない。

 それに管理人として、住居人たちの安全を守るのは当たり前のことであり、大切な仕事の範疇なのだから。

 こうして、瑞穂ちゃんが駅の改札をくぐっていくのを確認してから、芳樹はようやく踵を返して寮へと戻っていくのであった。

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