第16話 最悪の初対面

 歓迎会の準備が整い、共有のリビングにはテーブルを囲むようにして、一葉、霜乃、加志子の三人が集まっていた。

 芳樹は、三人の顔が伺えるいわゆるお誕生日席の位置に立たされる。

 皆それぞれ雰囲気は違えど、この場にいる全員が芳樹を心から寮の管理人として受け入れてくれるという心意気を感じた。


 テーブルには、ステーキ、唐揚げ、サラダ、スープなど、霜乃さんが作ってくれた豪勢な料理がずらりと並んでいる。


 全員にドリンクの入ったグラスがいきわたったところで、私服姿に着替えた一葉さんが先導立ち、咳払いをしてから話し出す。


「えーっ、まだ一人帰ってきていませんが、芳樹君の歓迎会を始めたいと思います。改めて芳樹君、女子寮小美玉の管理人就任おめでとう。そして、これから同じ家に暮らす仲間として歓迎するわ」

「皆さん、ありがとうございます。これから管理人として皆さんに寄り添えるよう努めてまいりますので、よろしくお願いします」

「はい、というわけでみんなグラスは持ったわね? 芳樹君の管理人就任を称して、乾杯!!」

「乾杯―!」


 こうして始まった芳樹の管理人就任祝い。

 一葉さん、霜乃さん、加志子の三人が芳樹の元へ寄ってきて、各々グラスをかざして乾杯してくれる。

 今まで、こんなに心地よい幸せな事があっただろうか。

 思わず芳樹が嬉しさのあまり感傷に浸っていると、玄関の方から「ただいまー」という声が聞こえてきた。


「あらっ、丁度帰ってきたみたいね」


 どうやら、タイミングよく最後の住人が帰宅して来たらしい。

 芳樹は急いで玄関へと出迎えに行く。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 素っ気ない返事を返す女の子は、紺色のダッフルコートに白いマフラーを巻いている制服姿の女子高生だった。

 背中まで伸ばした艶やかな黒髪。端正な顔立ちに透き通るような青い瞳。きめ細やかな肌は上気し、頬を紅潮させている。


 まるで、冬の暗闇の中から突如として現れた女神のよう。

 あまりに絶世の美少女が現れ、芳樹は言葉を失って見惚れてしまう。

 ただそれだけではなく、芳樹は胸の奥に妙な引っ掛かりを覚えていた。

 その正体が何なのかは分からないけれど、目の前にいる美少女を見て、今までにない不思議な感覚にとらわれたのだ。

 すると美少女の女子高生は、可愛らしく首を傾げて上目遣いに芳樹を見上げてくる。

 芳樹の心臓の鼓動がドクン、ドクンと波打つ音が聞こえてきて、鳴りやむことを知らない。


「あなたが新しい管理人さん?」


 口火を切ったのは、美少女の女の子だった。

 はっと我に返った芳樹は、慌てて挨拶を交わす。


「は、初めまして! 本日よりこちらで管理人をさせていただく土浦芳樹つちうらよしきと申します」


 ぺこりと玄関にいる美少女へ頭を下げると、彼女は淡々と名前を名乗った。


「私は水戸瑞穂みとみずほ、よろしく」


 美少女の女子高生の名は、瑞穂ちゃんと言うらしい。


「初めまして……か」


 そして続けるようにして、ぼぞっと何やら独り言のような言葉をつぶやいた。

 瑞穂の独り言を耳にして、芳樹が首を傾げていると、リビングから霜乃さんが現れる。


「あら瑞穂みずほちゃん。おかえりなさい」

「ただいま、霜乃さん」


 瑞穂ちゃんは霜乃さんへただいまの挨拶を済ませると、じぃっと芳樹を見据えてくる。

 それはまるで、芳樹のことを不思議がっている様子で……。


「ねぇ、本当に私のこと見て、なんとも思わないの?」


 瑞穂ちゃんがそう芳樹に尋ねてくる。


「へっ? ど、どうして?」

「だって、私のこと知らない人の方が少ないから」


 まるで、自分が全国に知れ渡っている有名人であるかのような口ぶり。

 それはもちろん、瑞穂が本当に有名人だから言っているのだ。

 しかし、今までブラック企業で奴隷のように働いてきた芳樹は、この一年半の芸能事情を全く理解していなかった。


「それはもちろん、驚くほど美人ですごく綺麗だと思ったよ」


 だから芳樹は、素直に外見の感想を述べてしまう。


「ふぅーん。そっか……」


 率直に褒められ、少し照れて頬を赤らめる瑞穂。

 それでも態度を崩すことなく、尚も上目遣いに芳樹を見つめた。


「それでも驚かないってことは、私のこと、ちゃんと覚えてるんだ」


 覚えてる?

 彼女の質問の意図が分からず、困惑する芳樹。

 芳樹の記憶している限り、水戸瑞穂という名前の知り合いは知らない。


「えっと……ごめん。俺が記憶する限りだと、君とは今日が初対面だと思うんだけれど……」

「はっ?」


 すると、今日初めて彼女は、芳樹に向けて敵意のある瞳を向けてきた。

 先ほどまでとは違い、あからさまに視線に棘がある。


「あんた、それ本気で言ってるわけ?」

「えっ、うん……そうだけど」


 芳樹が困惑した様子で答えると、瑞穂ちゃんはぐっと力一杯にこぶしを握りしめ、身体を震わせる。


「み、瑞穂ちゃん……?」

「信じらんない! バカ!」


 直後、瑞穂ちゃんは憤慨した様子で叫ぶと、ぷぃっと視線を逸らして、完全に機嫌を損ねてしまう。

 ローファーを脱ぎ捨て、そのまま芳樹の横を通って、階段をスタスタと上がって行ってしまった。


「えっ、あっ、ちょっと!?」


 訳が分からず、混乱する芳樹。


「あら……怒らせちゃったわね」


 二人のやり取りを見ていた霜乃さんが、なんとも言えぬ同情の眼差しを芳樹に向けてくる。


「えっ、どういうことですか?」

「芳樹さん、本当に瑞穂ちゃんの事知らないの?」

「へっ?」


 改めて霜乃さんに問われ、顎に手を当てて記憶を辿る芳樹。

 確かに彼女を見た時、胸の突っかかりを覚えたのは事実。

 だが、いくら記憶を蘇らしても水戸瑞穂という名前に思い当たる節はない。

 芳樹は、すっと肩の力を抜いてから――


「すみません。わかりません」


 っと、正直に答えた。


 すると霜乃さんは、『あらぁー』っと驚いた様子で口元を手で押さえた。


「ん、どうしたの? 瑞穂帰ってきたんでしょ?」


 中々戻ってこない二人を気にして、リビングのドアから一葉さんが顔を覗かせる。


「それが……いきなり怒らせてしまいまったみたいで……」

「へっ!? どうして?」


 芳樹が玄関で起こった出来事を一葉さんに説明すると、一葉さんと霜乃さんは顔を二人で見合わせてから、哀れむような目で芳樹を見つめてくる。


「瑞穂ちゃんはね、女優さんなのよ」

「えっ……」


 霜乃さんから放たれた衝撃の事実に、芳樹は開いた口が塞がらない。


「その様子だと、本当に知らなかったのね」

「ありゃりゃ……」


 土浦芳樹、女子寮に来てまだ半日も経たぬうちに、いきなり住人の気分を害してしまいました。

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