第6話 一年半ぶりの乾杯

 居酒屋に入った芳樹と梢恵は、二人掛けのテーブルに案内された。

 向かい合う形で席に座る。

 さっそくメニューを開き、店員を呼んでてきぱきと注文を済ませてしまう。


「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「はい、よろしくお願いします」


 オーダーを打ち込むアルバイト店員は、ゆるふわヘアーの金髪のボブカットが特徴的な、イマドキの大学生と言う感じだ。

 小顔で背も高く、モデルをやっていてもおかしくないようなスレンダーなスタイル。

 胸元のネームプレートには、『かっしー』とあだ名で名前が書かれている。


「少々お待ちください!」


 はきはきと元気な声で受け答えをして、ハンディーに芳樹たちが注文したメニューを打ち込みながら、アルバイトの『かっしー』は厨房の方へと戻っていく。


「私達にもあんな時代があったんだね。懐かしいなー」


 アルバイトの子の溌剌とした様子を眺めている梢恵は、頬杖を突きながら感慨深そうにつぶやいた。


「何しみじみと耽ってんだよ。俺達だって、まだ2年前の話だろ?」

「そうだけど、懐かしく感じるんだからしょうがないじゃない」


 確かに、社会人になってから大学生の頃というのはつい最近にもかかわらず、何故か懐かしく感じる。

 中学から高校に上がった時、中学の頃が一昔前の思い出のように感じるのと同じようなものだろうか?


「大学の頃はよく友達の家とかでオールとかして遊んだよね。私オールとか今絶対できない」

「ごめん、それは共感できないかも……」


 芳樹の場合、昨日の今日までオールで仕事をしていたのだ。

 言ってしまえば、毎日オールしている大学生と同じ生活。

 しかもたちが悪いことに、オール内容が仕事という鬼畜っぷりである。

 もしかしたら、大学生より頭が狂っていたかもしれない。


「ホント、芳樹の会社はブラックだったねー。私心配してたんだよ?」

「心配してくれてありがとう。おかげで、無事に社畜生活から抜け出すことが出来ました」


 律儀に頭を下げたところで、タイミングよくビールが運ばれてきた。


「お待たせいたしました。生二つでーす!」

「ありがとうございます」


 先程のアルバイト店員『かっしー』が、芳樹と梢恵の座るテーブルの中央にジョッキをドンっと置いた。


「よっしゃ、まずは乾杯しよう!」

「そうだな」


 梢恵からビールジョッキを受け取り、さっそく乾杯しようとしたところで、芳樹は妙に変な視線を感じた。

 ちらりと横を見れば、金髪のスレンダーなアルバイト店員『かっしー』が、じぃっとテーブルの横で芳樹の様子を窺っている。


「あの……どうかされましたか?」

「へっ!? あっ、なんでもありません。ご、ごゆっくりどうぞ!」


 芳樹の声で我に返ったらしく、はっとした様子で慌てて頭を下げてから、芳樹たちのテーブルを後にする金髪のアルバイト店員。

 その挙動のおかしさに、芳樹は首を傾げた。


「何だったんだろう……」


 どこかで会った事があっただろうか?

 芳樹の記憶する限り、あんな明るい感じの学生の知り合いに覚えはない。


「酔った勢いで、前にセクハラでもしたんじゃないの?」


 ニヤリとした顔で、からかってくる梢恵。


「そんなことはしてないよ……多分」

「分からないよ? だって芳樹、前から飲みすぎると何しでかすか分からなかったし」

「それは昔の話だろ。今はちゃんと自制心を失わないようちゃんとセーブしてるし……ってか、セクハラはしたことないだろ!」

「全く、これだから芳樹は……」


 梢恵は呆れ半分と言った様子でため息を吐く。

 記憶が無いので、セクハラをしていないかは他の人に聞いた話じゃないと分からないけど、セクハラなんてしてないよね? 大丈夫だよね……?


 芳樹が一抹の不安を覚えていると、梢恵が気を取り直して手を叩く。


「はいはい! 芳樹の酒癖の話は置いておくとして、退職祝いを称して乾杯しよっ!」

「おう、そうだな」


 梢恵がせっかく退職の祝杯を祝ってくれているのだ。

 酒癖の話は忘れよう。


「それじゃあ……かんぱーい!」

「乾杯!」


 こうして始まった、実に1年半ぶりの幼馴染との飲み会。

 ゴクゴクと一気にビールを煽っていく梢恵の姿を見て、よく一緒に飲みに行っていた学生時代をふと思い出し、思わず懐かしさを覚えて、感慨深くなる芳樹であった。


 さっそく話題は、今まで芳樹が勤務していた【けたらはシステム】の話でもちきりとなる。

 ビールを嗜みながら、芳樹は今までの働いてきた職場の状況を梢恵に話した。

 梢恵は信じられないといった様子で目を丸くして「ヤバッ!?」っとか、「ツラッ!?」などと反応をしている。

 さらに話は盛り上がり、芳樹がなぜ大きな登山リュックを背負っているのかという話題へ。

 なんと芳樹は、退職日と同日に社宅を追い払われてしまい、住む家を失ってしまったのである。


「えっ!?  退職日に家まで追い払われるの!?」

「そうだよ」

「ヤバッ。鬼畜すぎない!?」


 会社のあまりにずさんな対応に、梢恵はドン引き。

 まあでも、ブラック企業なんだから仕方ない。


「それで、今度の仕事が住み込みで働く職種だから、1週間こっちでホテル借りるより、実家に帰って一旦荷物を全部整理したほうがいいと思ったんだよ」

「なるほど、そういう経緯があったのね、納得。ってか、もう転職先決まってるんだ。何するの?」

「寮の管理人」

「はえぇー、また随分と違うジョブチェンジだね。これまたどういう気持ちの変化?」

「えぇっと……また色々と事情があるんだけど……」


 そう言って、芳樹は取引先の一葉さんという人に、管理人の仕事をする代わりに、今の職場を円満退社させてくれる約束を取り付けた経緯を梢恵に説明した。


「なるほどねー。じゃあその一葉さんって人が手助けしてくれたんだ」

「ああ、多分一葉さんに手伝ってもらわなかったら、バックレる以外に会社を辞める方法がなかったと思う」

「ブラック怖っ! 私だったら確実に1週間でバックレる自信があるよ。よく1年半も耐えたね」


 梢恵は、もし自分が同じ立場だったらとでも考えたのか、怯えたように打ち震えている。


「まあ、他の人に迷惑はかけたくなかったからな。だから、一葉さんにはこうして俺が迷惑なく退社できる機会を与えてくれて、とても感謝してるよ」

「ふぅーん……」


 すると、梢恵はあからさまに不機嫌そうな表情で頬を膨らませる。


「ん、どうかしたか?」

「別に? 良かったね、ブラック企業から解放されて」


 そういう梢恵の口調は、どこか拗ねているようにも見えた。


「急に機嫌悪くしてどうした? 何かあった?」

「別に、ただその一葉さんって人とは随分仲が良かったんだなと思って」


 あぁ、そういうことか。

 梢恵が拗ねている理由を、芳樹は大体察した。

 だから、これ以上梢恵の機嫌を損ねたいために、芳樹は言葉を選びながら紡ぐ。


「梢恵も、定期的に『飲みに行こう』って連絡してくれてありがとう。嬉しかったよ」

「本当に?」

「あぁ」


 本心のままに、芳樹は答える。


「でも、私の飲みには付き合ってくれなかったのに、その一葉さんって女の人とは飲みに行ってるじゃん……」


 唇を軽く尖らせ、梢恵が納得いかない様子で答える。


「それは、会社同士の付き合いってやつだよ。顧客に誘われたら、断らずに飲みに行くのが社内での決まりだったから……。逆に言えば、それしか飲みに行く口実が作れなかったんだよ」

「……プライベートで友達とも飲みに行く時間すら与えてくれないって、ほんとブラックだね芳樹の会社」

「そういうこと。だからまあ、梢恵が飲みに誘ってくれたのは素直に嬉しかったし、心配してくれてるんだなっていうのも十分伝わってたよ。今まで一緒に飲みに行けなくてごめん」

「ま、まあそりゃ、幼馴染のよしみとして芳樹が心配だったし? 今日一緒に付き合ってくれたから別にいいけど!」


 まるでツンデレのような台詞を吐きながら、梢恵は腕を組んで頬を軽く赤く染めていた。口元は緩み、表情は嬉しそうにも見える。


 そんな調子で、芳樹は久しぶりの幼馴染との飲み会は楽しく時間が過ぎていった。

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