第4話束の間の休息
僕は一週間の休暇を自分の愛犬を車に乗せ、知らない土地に連れ出すことに費やした。その間、基本的に他人とは触れ合うことやコミュニケーションを取ることはなかったが一回だけ例外があった。それは四日目に訪れた場所でのことだった。
平日の午後、ハンバーガーを食べた僕は手頃な場所に車を止め、犬を連れ出し、辺りを散歩した。30分ほど歩くと無人の公園を見つけたので、そこで休憩することにした。公園内の自動販売機で缶ジュースと水を買った。ベンチに座り、犬に水をやった。20秒ほど勢いよく飲んだが、しばらくすると満足したようで犬は水を嫌がった。僕はそんな様子を微笑ましく思いながら、缶ジュースを開けた。
公園の匂いはとても独特だ。何故だかわからないが小さい頃の記憶が呼び覚まされる。友達と鬼ごっこをした思い出や、家族とのピクニック、この公園の匂いが自分にとっての外部記憶装置なのではないかと錯覚してしまうほど鮮明に思い出せた。友達の名前やどこへピクニックしたかは忘れてしまったが想いを馳せることは案外悪くない気がした。
「あの、ちょっとすみません」
白いワンピースの女性が話をかけてきた。
もちろん、彼女の存在には気づいていた。僕が犬に水をあげているときにここから8メートルほど離れた位置のベンチに座り、デバイスを凝視し始めていた。そのとき僕は黒髪ロングヘアーの女性が読書をしているなとしか思わなかった。
「えっと。なんでしょうか?」
僕は愛想良く返事をする。
「失礼ですが、あなたにはご兄弟がいらっしゃるのでしょうか?」
「えっと。多分いないと思います。僕の認識ではいないです。ウチの家族は父と母と僕の三人家族ですから。いわゆる核家族です。そして、五年前に両親は亡くなりました」
「そうですか…」
少し残念そうな顔をして言った。
「あっ、でも、もしかしたらウチの父親に愛人やら浮気相手やらがいて、血の繋がらない兄弟がいるかもしれないのでそんなに残念がらなくてもいいと思います。まだ、可能性はあります」
「えっあっ」女性は戸惑った顔をした後「あなたって面白い人ね」僕に笑顔を見せた。
「でもどうしてそんなことを聞くんです?」
「あなたに似た人を知っていて…。というより、ただ、缶ジュースの開け方が同じなだけなんですけどね。プルタブに手をかける前に缶の縁を時計回りになぞり、そのあと反時計回りになぞる」
「あぁ、その行為する人はあんまりいないですよね。でも、どうして僕に兄弟がいるか聞くんです?その僕に似ている人っていうのが僕の可能性もありますよね?というか僕じゃないんですか?」
「ええ、確かに声をかける前まではそう思っていました。懐かしい人に会えたんだって…」
「でも、声をかけたら違っていた…。いわゆる他人の空似だった。まぁ、確かに僕もあなたを初めて見た。自分の記憶にはない」
「ええ、そうだと思います。でも、あなたはその人と根本的に違うのです。瞳が違うって言うんですか…」
「二重だと一重だとかの話ではないですよね?」
「当然です!そういう意味ではなく、私の知っているその人はとてつもない闇を抱えているように見えました」
「闇ですか…。それはそれは大変な人がいたんですね」
「ええ、そう、私と同じくらいの歳の子でした。もう15年も前になりますね。ここの公園で泣いている少年がいました。当時から虚弱体質で友達と外で遊ぶことができなかった私はこの公園で読書するのが唯一の楽しみでした。私も子供でしたから虚弱体質であることで悲劇のヒロインを気取っていました。そのため、ただ涙を流す少年を傍目で見ることしかしませんでした。その少年は毎日、日が暮れる頃に一人で来て、暗くなったら帰って行きました。二週間くらい経つとその少年はもう公園に来なくなりました。もしかしたらどこかへ引っ越してしまったのかもしれません」
「で、その少年の缶ジュースを開ける動作が僕と全く同じだった」
「ええ、私が座っていたあそこのベンチから見る限りでは」
彼女は後ろをチラリと見た。
僕以外の人間と滅多に触れ合うことのない愛犬は何かを探すかのように彼女の足元の周りを回っていた。
「もう、そろそろいいですか?」
僕はわざと犬に視線を移した。
「あっ、すみません。お時間とらせてしまいすみませんでした」
彼女は僕に向かって丁寧にお辞儀をすると今度はしゃがみこんで犬を何度か撫でた。
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