(8)

 交差する視線が、お互いの動きを封じる。なぜここに、という思いに双方が静止した。沈黙が訪れる。

 それを逃亡の好機と捉えた門間が後方に這いずる。

「待て!」

 隆臣の肩越しに、怒声を浴びせると恐怖のあまり、門間が頭を抱えて震えだした。今にも綜士が殺しにかかってくると芯の底から怖れているように見える。


「……!」

 隆臣が位置をずらして綜士の視線を塞いだ。

「隆臣っ! 邪魔をするな!」

「……綜士、なにをしている……?」

 声の冷たさは以前のままだった。目も氷のように冷気をまとっている。

「なにをだって……⁉ そいつは俺の……俺の家族を襲って傷つけたんだぞ!」

「なにを言っている?」

 こっちのセリフだった。目を見開いて隆臣の言葉の意図を窺う。


「お前にもう家族はいないだろ」

 再会の矢先にこんなことが言える隆臣に絶句すると同時に、改めて、この男は敵になったのだという実感が押し寄せた。

「ッ! あれを見ろ馬鹿野郎!」

 振り返り、リサたちの様子に気を揉んだ。結奈がリサの手を強く握っており、乃々果が患部を処置している。響は携帯を手にしていた。救急車を呼んでいるのだろう。


「なんだ、あの娘たちは?」

「なんだ、だって……⁉」

 大した事でもないとも言いたげな口調に、怒りが込み上げ、肝が焼けるように熱くなった。

「そいつに! そのカス野郎に殴られてああなったんだぞ⁉」

「……」

 さすがの隆臣も眉間にしわを寄せた。さらに振り返り門間をねめつける。門間はぷるぷると震えているだけだった。

「わかったんならどけ! そいつはぶっ殺す!」

 隆臣を押しのけようとしたが、腕をつかまれた。


「なんのつもりだ隆臣⁉」

「……騒ぎを起こすな」

「ふざけるな! あいつをかばい立てする気か⁉」

「お前の話が本当かどうかまだ、わからない。警察に対応させろ」

 警察、という言葉を聞いてとうとう門間が身を起こした。そのまま一気に駆けていく。


「逃がすか!」

 門間を追って駆けようとしたが、またしても隆臣に進路をふさがれた。

「隆臣! なんでお前が……!」

 俺を阻む。以前、同じ言葉を浴びせたことを想起した。またしても隆臣が自分のやることを阻止していることに名状しがたい感情の渦が起こった。


「お前のやってることはただのリンチだ」

「だからなんだってんだ⁉」

 目で門間を追う。このままでは完全に見失ってしまう。

「く!」

 怒りを込めた視線を眼前の隆臣にぶつけたが、隆臣も氷河のような相貌を揺るがせもしない。

「騒ぎを起こすなと言っている」

「知るか!」

 隆臣が息を吐いてなにかを決心したように口を開いた。

「……向こうで月坂たちが演奏をやっているんだぞ」

「それがどうした⁉」


 本音だった。錯乱などしていない。月坂というのが詩乃のことであるのもわかってそう怒鳴った。

 隆臣が瞠目して固まった。意外過ぎる返答だったのだろう。

「綜士、お前……」

「どけ! これ以上邪魔するならお前も張り倒すぞ!」

「……お前に月坂たちの邪魔はさせない」

 今、綜士を阻んでいる男がなにをいうのかと肩を震わせた。

「隆臣……!」

 来るべき時が来たような気がした。


「お前は……あっちの手当でもしてやれ」

 隆臣がリサたちの方を顎で示して、そう述べた。

 それだけだった。

 冷たい沈黙、一秒が数分に感じ取れる。脈が速くなってきた。なにもかもが生気を欠いているように静まり返り灰色に染まっていく。

 そして、綜士の中で、なにかが、ひび割れた。古い記憶、物心ついてまもない頃から友だったはずの男の顔、脳裏に浮かぶ共に過ごしてきたすべての思い出。それが、砕けて散った。

 

 どこかでまだ通じ合えるかもしれないと思っていた。

 また手を携える日が来るかもしれないと思っていた。

 淡い幻、子供じみた甘い思い込み、今、目の前にいるのは、完全なる敵。


 もっと早くに、気づくべきだったのだ。こんな男は、

「ふ……ざ……」

「……なに?」

 殺してしまってかまわない。

「ふざけるなあああああああああああ‼」


 手加減なしの強打を隆臣に向けて放った。


「⁉」

 防御の姿勢を取った隆臣だが間に合わない。綜士の腕が胸部にめり込んだ。

「か……は」

 さらに横振りの一撃を見舞うも、そこは運動部で鍛えた隆臣である。体勢を崩しながらも、左腕でガードし、右腕で綜士の腕をつかんだ。

「綜士! なにをやっているのかわかっているのか!」

「うるせえ!」


 隆臣の手を振り払うと、右肩から入るショルダータックルで隆臣を弾き飛ばす。後ろに下がった隆臣が、まなじりに力を込めた。攻勢に転じる気だろう。

 隆臣の足が宙に弧を描き、強烈な蹴りを打つ。

「ぐっ!」

 放たれた足技が脇腹を穿った。ひるんだすきに隆臣が両手で、拘束技をかけてきた。

「大人しくしろ……!」

 綜士を押さえつける隆臣、鍛え上げられた腕力はかなりのものだった。


「く……!」

 無理に引きはがそうとすれば却って、関節を完全に掌握される。

 ここは……!

 リサとの教練を思い出して一つの策を打ち出す。わずかに腕の力を弱めた。その隙を見て隆臣が、次の動作に移り完全に拘束しようとした刹那をとらえて、

「どらあ!」

「な⁉」

 隆臣を引きはがすと同時に、顔面にエルボーをくらわせる。

「があ!」

 鼻を潰された隆臣がうなり声をあげる。思わぬ反撃に顔を押えて痛みを押し殺そうとする隆臣にお返しとばかりの蹴りを腹部に直撃させた。


 しかしなお、隆臣は戦闘姿勢を崩さなかった。

 睨む会う二人、夜の河川敷が闘気と殺気に満たされていく。

「お前は、本当に……!」

 隆臣の言葉を待ってやる道理もないので、再度殴りかかった。それを腕で防ぐ隆臣。

「……!」

 わずかに隆臣の反応に逡巡が生じたように見えた。そのことが一つの仮説を構築した。

 再び牽制の蹴りを打つ。隆臣は左腕でそれを防ぐ。


 そうか……!


 隆臣は、バスケで使う利き腕である右腕と両足を守ろうとしている。そこがつけ目になると一瞬で踏んだ。


 跳躍する。隆臣の右肩を狙った打撃の軌道をわずかにそらして、

「なに!」

無理に左腕でそれを受けようとしたことで、隆臣が決定的な隙を生じさせた。そして、無防備な側面を晒した隆臣の左肩を渾身の鉄拳で砕いた。

「があああ!」


 相手の弱みをついた非情の一撃、肩甲骨をえぐる感触、致命的なダメージだったようだ、隆臣が肩を押えて悶える。だが追い込むにはまだ早い。

見下ろすように隆臣にゆっくりと近づくと、

「くっ!」

 予想通りの蹴りが来た、そのつま先をそらすと膝の皿に向けて肘でカウンターの要領で迎撃する。

「ぐぁ! ああっ‼」


 隆臣がついに片膝をついた。激痛のあまり膝を押える格好となり、完全に防御を解く。そこにダメ押しの一撃を顔面にくらわせた。

「か……!」

 地面に両手をついて悶える隆臣、決定的な致命打を受け、左肩と右足を潰されてはもう戦闘継続は不可能だろう。

 荒い息を吐いて痛みをこらえる隆臣の前に立った。


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