(7)

「なんだ……!」

 獣の叫びのような声を聴いた。ここから近い。

「邪念の主はこの先です……!」

 乃々果に手を引かれて走る。事情はわからないが、なにかよくないことが起っているのはなぜかわかってくる。

 路地裏を抜けた先に見えたのは河川敷、そこの近くでなにか騒ぎが起こっている。

「なんだあれは、なにが起きてる⁉」

 乃々果の手を離して、道路を渡りガードレールを飛び越えた。その先に見えたのは、


「あ……⁉」

 刃物を構えた男とにらみ合う二人の少女、その後ろには誰かが倒れ、横たわっている。

「あ、ああ!」

 あの艶やかなブロンドを見間違うはずもない。リサがそこにいる。

「リサああああああ‼」

 絶叫とともに坂を下り、リサに駆け寄る。


「リサ! リサぁ!」

 そっとリサを抱きかかえる。額の左部分から流れる血が服に赤い染みを残している。鮮血にまみれて無残に汚された金色の髪。

「そう……し」

「リサ……!」

 か細く弱弱しい声、震える手でリサを抱き支えた。額からとめどなく流れる血が綜士の指を焼く。

「リサ、しっかりしろ!」

 リサがわずかに頷いた。目の輝きは虚ろいでおり、顔も青白くなっている。

「り、リサ……しっかり……!」 

 絶望が肩を震わせ、目が充血してきた。このままリサの命の光が消えてしまうのではと恐怖で頭がおかしくなる。


「桜庭さん!」

 響の声を聴いて顔を上げた。その先にいるのは、なにかを構えた一人の男。

「……」

 瞬時にこの惨状の元凶と見てとった。

 リサのことは心配で仕方ないが、まずはあの男を倒して、安全を確保しなければならない。


「……結奈、リサを……」

「は、はい……!」

 リサを結奈に任せて、ゆらりと立ち上がった。そのまま響の隣にまで歩みを進める。

「桜庭さん、あの男は刃物を持っています」

「わかった……」

 とは言ったが、なにを言われたのか耳に入ってこない。


「ああ……⁉」

 眼前の男、門間が威嚇の声を放った。

「お前……お前か……」

 低くて重い声が喉の奥から出てきた。

「お前がリサを……」

「……だったらなんだクソ野郎」

 男の顔を視認する。意識は怒りの熱から、殺意の冷に急転回した。どこかで見たことのある顔、

 こいつは……。

 すぐに記憶のデータベースからの照合が終わった。あの時、嶺公院高校の前でやりあったあの男と確信を抱いた。今起こったとも一瞬にして呑み込めた。

 逆恨みの凶行以外のなにものでもない。


「てめえあの時の……」

 向こうもこちらを察したようだったが、どうでもいい。今、自分がやることは一つしかない。荒神が全身に憑依する。この男は、殺す。

「へ、ちょうどいいてめえも」

 門間の言葉が終るのを待たずに風となった。一瞬で、距離を詰めて間合いに入り、そして、


「あ……ぐぁ!」

 利き腕が放ったアッパーが門間の顎を砕いた。

「ぐ……ご!」

 さらに限界まで握りしめた拳を鼻先に叩きこむ。

「がああ!」

 地面を転がって距離を離した門間を逃がさず追撃する。


「あ、ああ……!」

 慌てて起き上がり河川敷の草むらまで逃げるが、好都合だった。向こうに逃げ場はない。

 迫る綜士の顔を見て恐慌状態に陥った門間がナイフを投げつけた。回転しながら肉薄する刃を左手で払い落とす。表皮部分を切られて、赤い鮮血が夜の河川敷に飛び散ったが、痛みは皆無だった。

 切り札をあっさり破られて、呆然とする門間の腹を、

「が……!」

 綜士の正拳がえぐった。

 陸に打ち上げられた魚のように手足をじたばたさせて苦しむ門間。

「……ッ! 死ねええええええ‼」

 明確なる殺意を持った、たたみかけの蹴りは、

「待て!」

 何者かの体当たりで阻止された。


「……ッ!」

 衝撃を受けて後方に下がる。誰かが乱入してきた。

「なにをしている⁉」

「なにを……だと⁉」

 状況をまったくわかっていないまま邪魔立てされたようで、頭に血がのぼる。

「見てわからないのかそいつは!」

 強風が吹きさらした。パレードの開園を告げるブザーとともに、電灯が一斉に光を放ち始めた。目が馴染むと同時に、視界も鮮明となっていく。

「どういう事情から知らないが今ここで……!」

 綜士の顔が冷えるのと同時に、乱入者の言葉が止まった。


 口を半開きにしたまま、お互い相手の顔を確認する二人。

「お前……隆臣……⁉」

「……綜士……?」

 割って入った男の正体は、紛れもなく、十年来の幼馴染であった、あの男、矢本隆臣であった。



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