(9)
「ッ!」
襟をつかんで強引に立たせてから手を離した。フラフラと揺れる隆臣。顔は腫れあがっており、足元もおぼつかない。しかし、目の闘志はまだ潰えてはいない。
チラリと門間がいた場所に目を移した。既に姿を完全に消しており、逃げられたようだった。
「……み、見直したよ綜士……。こんな殺し屋みたいな殴り方ができるやつ……だったなんて……」
最後の挑発だろうか、それが怒りのバロメーターを一瞬で最大値まで突き抜けさせた。
「気安く名前で呼ぶんじゃねえ!」
右頬に憎しみがこもったストレートパンチを受けた隆臣が、地面を再度転がった。
「……ハ、ハハ、いいぞ」
仰向けになった隆臣が不気味に笑って見せた。
「なに⁉」
「……ころ……せよ。俺を、殺してムショに行け」
腰を土に落とした隆臣が、ヘラヘラした顔で綜士をみつめる。
「そうすれば……もう、月坂には近づけない……」
口が半開きになり言葉を失う。
「お前は……お前はまだ、そんなことを……」
頭が急激に冷めていき、全身に満ち満ちていた闘気が散逸していく。
「月坂は……お前の、すべて……だろ」
過去に生きていたのは綜士一人だけではなかったのだ。そのことに開いた口がふさがらなくなった。
「さあ、やれよ……」
「なにがすべてだ……なにを血迷っている。今は、そんなことどうだっていい」
「そんな……こと……だって?」
隆臣が信じられないという顔で綜士を見上げた。
「ああ、とっくに終わったことだ。お前がそうさせた。違うのか?」
「……」
隆臣が遅れてやってきたような、動悸でむせ返る。
「なんで、あのゴミを逃がしてやった? あいつはお前の友人か?」
「ッ! 馬鹿言ってんじゃねえ……! 反吐が出るほど嫌ってるやつだ。いつも月坂の周りをチョロチョロしてあの娘を怖がらせるゴキブリみたいなクソ野郎だ……!」
「ふーん……で?」
「……で、だと?」
今の話を聞いても綜士が全く動揺を示さないのが理解できないでいるようだった。
「月坂が……心配にならないのか?」
「……なんで俺が?」
掛け値なしの本音の言葉、呆然と口を半開きにしたままになる隆臣。
「その話はもういい。なぜやつを逃がした?」
「……そうか、……お前は変わったんだな……」
質問に答えないまま、腰を地面に落としたままの隆臣が脱力したように首を垂れる。
リサが心配で振り返ると、
「⁉」
立ち上がろうとしているのを結奈たちが諫めていた。
「リサ、立つな! 結奈、リサを起き上がらせるな!」
絶叫する綜士の背に、隆臣が脱力した視線を送る。そして、
「……なあ、綜士……」
隆臣の声が和らいだように感じた。
「今更、舐めんなって思うだろうけどさ……。俺、あの事件が起こった後、本気でお前のこと心配してたんだぜ……」
「い……!」
今さら舐めるな、と言いかけた。
「瑞樹と手分けして、必死でお前がどこの病院に運ばれたか探したが見つけられなかった。死亡者リストに名前はなかったから、どこかで生きているだろうとは信じていたが……」
「……」
「そうこうやってるうちに高校が始まっちまって、月坂はあんな状態だったから、俺と瑞樹で支えていくしかないとおもった。それでも……! それでもいつかお前が帰ってくると信じていたからそうしたんだ……!」
隆臣が髪を強くつかんだ。
「朝香さんの、中学以前の月坂の思い出は抹消するようなやり方だって、本当は反対だった……。いつお前が帰ってきてもいいように、月坂の容態が安定したら、お前のこともちゃんと話すつもりでいた。だけど……」
夜風が草を揺らす。肌が冷えて痛覚が正常な機能を回復し始めた。
「今の高校で、どんどん仲間が増えていって……。クラブでもエースだのなんだのともてはやされて、俺の中で、徐々にお前の存在が小さくなっていった……」
黙然と隆臣の話に耳を集中させる。
「月坂に頼られるのも悪くなかったよ……。いじらしくてかわいいよなあの娘。お前が好きになった理由もわかった気がした」
自嘲するような声だった。
「ガキの頃からいつだってお前がうらやましかった……。金持ちの家の子どものくせに、きどったところがなくて、誰にでも親切なおめでたい子どもだったお前が……」
「……」
「だから……九月にお前が、また俺の前に現れたとき、俺の中でなにかがはじけちまった……!」
隆臣が顔を上げる。修羅の顔になっていた。
「お前が戻ってきたら、また俺はお前への劣等感で苦しんでたあの頃に戻ることになる! もうお前のまぶしさに目を暗ませながら生きるのは嫌だって! そう思っちまったんだよおおおお!」
慟哭の叫びが、夜の帳を降ろした宙に木霊した。
「……それが俺を排斥した理由か?」
「ああ、そうさ! 裏切ってるって自覚はあったよ……。ひでえことしてるとも思ってた。だけど……お前だって一度でも俺を理解してくれたことがあったか……?」
「なに……?」
「お前はいいよ……。親父さんは真面目で大らかで、お袋さんはクールで頭がよくて……。アル中に宗教狂いの俺の両親とはえらいちがいだ……。話したことはなかったな。幼稚園のころにあのクソ女……母親がおかしなカルトにハマってうちはいさかいが絶えなかった。毎日、わけわかんねえ念仏聴かされて、親父が注意すると自分のガキのことも考えずにギャンギャン叫びやがって、気がおかしくなりそうだった」
隆臣の瞳に暗いなにかが宿った。
「そのせいで幼稚園でも毎日イラついてしかたなかった。……初めて話した時のことを覚えているか……? お前がいつも後生大事に抱えていた巾着袋を俺が見つけてやった時のことだ」
確かに覚えている。
「アハハ……。あれ、元々隠したの俺だったんだぜ。幸せで満ち足りているように見えたお前が妬ましかったから、ちょっとした八つ当たりだった。最初から俺はお前を欺いてたんだよ。……なのになぜか俺たちは友人同士になっちまった」
「……」
「小学生のころにあの女が出ていってくれて、ヒステリーからは解放されたが、今度は親父が酒におぼれた。まあ、ちょうど今年の初めにぽっくり逝っちまったが……」
「なんだと……」
隆臣の父親、数回した会ったことはなかったが、厳格そうな人物だったのを記憶している。
「話がずれたな……。とにかく俺はお前を裏切って、出し抜いてやった。本当は月坂の精神がどうこうだなんて二の次だった……。初めてお前に勝った気がしたよ。なのに……なんでだろうなぁ……! アハ……ハハ……」
隆臣が、調子が外れたようなおかしな笑い声を出す。
「ちっともせいせいしなかったよ……。それどころから毎日、ムカついてどうしようもなかった! なんでだ……なんでなんだよ……」
「……」
「なあ綜士……教えてくれ……。どうして今になって、帰ってきたんだ……?」
虚ろな視線を投げかける隆臣。
憤りよりも虚しさだけが去来して膨らんでいく。この程度の男を気にかけて悩んでいたのかと、ただ純粋に馬鹿々々しくなった。
隆臣を見下すように睥睨して、口に出した。
「矢本……つまらないやつだなお前」
隆臣に勝ったのかどうかはわからない。だが、はっきりしたことが一つだけある。もうこの男を名前で呼ぶことはない。
リサたちのところに戻ろうとすると、数人の足音が接近してくるのを耳が捉えた。
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