(3)
ドアが開く音を聞いて振り返る。
「お兄ちゃんお帰りー」
依織と美奈が帰ってきた。
「ただいま、依織、美奈ちゃん。今日は確か……」
彼女たちはセントアンナの見学に行ってくると話していた。
「うん、お姉ちゃんたちの学校まで行ってきた。すごいよあそこ! 校舎がきれいでヨーロッパのお城みたいで」
興奮気味に話す依織。
「そりゃよかったな、こっちはぼろい公立中ですんませんね」ふてくされる瞬。
「アハハ、瞬もセントアンナに来ればいいじゃない」
「どうやってだよアホ、女になる気はねえぞ」
女子校ではどうしようもない。美奈が肩をほぐすようにした。
「美奈ちゃんどうしたの、疲れてるみたいだけど?」
「リサちゃんのお友達におもちゃにされちゃって……」
「リサのって、結奈ちゃんとか?」
「うん、結奈さんもいたし、他に二人。前にも会ったことあるけどちょっと変わったところがあるというか」と依織。
「ふん……?」
「ひょっとしてあのシャーマンみたいな……?」瞬が冷や汗をかく。
「シャーマン?」
「うん、尾堂さんに御館さんもいて」
また誰か入ってきた。今度は芽衣子である。
「ああ、綜士、ちょっと頼まれていいかな?」
「なに?」
「表の倉庫から、灯油を一缶だけ持ってきて。冬になる前にストーブがちゃんと動くか確認するから」
「ああ、わかった」
「鍵は、緑のキーホルダーのやつね」
「了解」
鍵を持って玄関まで向かった。
「お……」
ちょうど階段から降りてきたのはブロンドの少女、
「や、やあ……」
「……」
ノーアンサーで見つめてくる。どうもこの前実家に一度帰った日から、リサとの間の空気がぎこちない。
「無視することないじゃない、これだからこの年ごろの女の子は嫌なのよねー」
近所のおばさんみたいな演技。
「……センスあるよお前、うちのクラブ入らないか」
乾いたリサの声と視線に足がすくんだ。
「はは……、今日は依織たちが学校に来たんだって?」
「それがどうかしたかよ……」
そっけなさすぎる反応だった。だが綜士に怒っているというより、なにか処理しきれない感情に葛藤しているような感覚が嗅ぎ取れる。
「いや……灯油取ってくる」今はしつこく絡まない方がいいだろう。
背中に視線を感じつつも、本館を出て倉庫に向かった。
外に出ると冷えた風が顔に張り付いた。もう晩秋に差し掛かっているようで、冬の接近を肌身で感じ取る。家族のいなくなった初めての冬。
大丈夫だ……。
自分自身に言い聞かせる。今の綜士には聖霊館の仲間がいる。寂しさと悔恨でつぶれたりはしない。そう願いつつ、倉庫のドアを開いた。
ダイニングに戻ると、全員が一斉にこちらを向いた。
「ど、どうしたの……?」
「綜士、電話だよ」
「え?」
芽衣子がニコニコしながら受話器を持ってくきた。
「誰から……?」
「いいから出てみて」
受話器に耳を寄せて、口を開いた。
「もしもし……」
「……あ……」
「……?」
電話の先の相手が言葉を失ったように感知できた。
「桜庭……桜庭綜士か?」
「ええ……あなたは?」
と口に出してから、知っている声の気がした。確かに覚えている、中学生の頃、毎日のように聞いていたあの声。
「……⁉」
まさかという思いがよぎった。
「桜庭、俺だ……」
「あ……先生⁉」
中学三年の時の担任だった。
「ああ……驚いた、本当に桜庭なんだな……」
「え、ええ……ご無沙汰いたしております」
「すまん、その……君が生きていたとは、知らなかった……」
「いえ……いいんです、当然でしょう……」
担任にこれまでのいきさつをかいつまんで説明した。
「そうか……大変だったな……」
「ええ……」
「ご両親のことは本当に残念だった、私からもお悔やみ申し上げさせてもらう」
「ありがとうございます……」
綜士が胸に手を当て、かきむしると依織たちは退室した。
「桜庭、明日、学校に来れないか?」
「はい?」
唐突な申し出に、変な声が出た。
「君は、形式的には卒業扱いとなっているが、まだ卒業証書やアルバムは受け取ってないだろ。それに学校の方に残してある私物も保管したままだ。明日、改めてそちらに引き渡そう」
「はぁ……」
「難しいか?」
「いえ、そんなことはないですよ。明日、伺わせてもらいます」
「わかった、時間の方は……」
担任が時刻を指定する。正午過ぎに、久方ぶりに元柳第一中学校に赴くこととなった。
「ふぅ……」
通話を終えると、芽衣子に首を向けた。
「これのためだったの?」
「うふふ……」
うまく乗せられてしまったようだ。
「なんの話だよ?」
リサが紅茶が入ったカップをテーブルに置いた。
「これだよ」
そこに置いてあった、バッグから取り出したのは、先ほど元柳の実家から持ち出したもの。
「それって」
「ああ、俺の中学の時の制服」
紺色のブレザー一式を取り出す。ずっと部屋にかけっぱなしにしておいたものである。
鼻を当てて、においを確かめるが特に変なところはない。
「綜士、それ貸して。アイロンかけておくから」
どうやら芽衣子は、話を事前に聞いていたようだ。
「いいよ別に、書類とか受け取りに行くだけだし。その後は……」
二度と袖を通すことはあるまい。
「いいから貸しなさいって。久しぶりに、先生方にも会うんでしょ。格好はちゃんとしておかないと」
珍しく強引な芽衣子である。
「わかったよ……」
気乗りしないまま制服を芽衣子に渡した。
依織たちが戻ってくる。
「みんな、明日は綜士の通っていた学校まで行くから」
全員がうなずく。
「ちょ、ちょっと……。俺一人で行くって」
たかが卒業の後処理に大勢で出向かう必要はない。
「いいの、私たち綜士の中学校を見たいだけなんだから」
「でもなぁ……」
「……ついていっていいか綜士」
「え……?」
意外な申し出だった。
「まあ……いいけど」
リサとの漠然とした靄を払う機会になるなら、どうということもない。
「それじゃあ、明日、お昼ご飯食べた出発ね」
そういうことになった。
就寝前に自分の部屋で、芽衣子から受け取った制服を手に取った。
「またこいつを着る日がくるなんてな……」
ワイシャツ以外は入学した時から変えていない。すぐ背は伸びるという母の判断で、大き目なサイズを選び、最初はやたら大きくてギリギリで手が出たくらいだった。
「先生、なんで今になって……」
自分の生存を知ったのだろうか。
「まあ、いいか」
ドアをノックする音。
「はい」
開けてみると、芽衣子が櫛を持って立っていた。
「ちょっと入っていい?」
「うん」
「そこに座って」
椅子に腰かけると芽衣子が髪をとかし始めた。
「ちょっと……」
「じっとして」
逆らえる雰囲気ではない。
「うん、長さは問題ないね。明日、午前中に改めてセットしようか」
「大げさだよ、ちょっと挨拶したらすぐ帰るんだから」
「いいの、人生の節目なんだから」
やさしい手つきに恍惚となりかけた。
「これでよしっと、それじゃあ、明日は寝坊しないようにね」
「行くのは午後でしょ……」
呆れるほど母親然とした物言いを自然にする芽衣子だった。
夢を見ていた。霧の向こうから見え隠れするのは遠い日の記憶。
霧が晴れると淡い輝きの向こうから誰かの声が聞こえてきた。一人の着飾った女の子が、大声なにかを叫んだ。
『卒業しても、私たちはいつまでも友達です!』
思い出した。小学校の時の卒業式、その時の言葉。
いつまでも……。
友達でいられたらそれはいいことだろうか。「友達」というものに心を縛られたらそこから先は地獄じゃないだろうか。そんな擦れた考えを持つようになったと自嘲する。
時期がいつだろうと、別れは必ず来る。最初から深い関係などにならなければ、別離の悲しみも友誼に基づくしがらみも生まれないはず。
だけど……。
誰とも交わることなく、ただ一人で生きていくだけなら、それはマシンになると同義なのかもしれない。
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