(2)

「それでは今日はここまでにします。復習用のプリントが入り口前にありますので、希望者は持って帰ってください」

 地域センターでの本日の講義を終えて一息ついた。

 進度は順調、予備校で簡単な模試を受けたがこの分なら一回の試験で合格できそうである。

「その後は……」

 そのまま大学受験にシフトするか、あるいは日之崎通商で一社員として働くのも考えている。

「芽衣子とも相談して……」

 誰かが隣までやってきた。


「やあ、桜庭くん、お疲れ様」

「ああ、お疲れ様です、山之内さん」

「今日のグループワークはなかなか面白かった。君は若いだけあって、考え方が柔軟なようだね」

「アハハ……、まあ、芯が弱いとも言えますけど」

 苦笑しながら、頭をかいた。

「ちょうどいい、これをどうぞ」

「え?」

 山之内がなにかの券の束を出した。


「今度のハロウィンフェスティバルで使える商品券だよ、うちの会社のつながりでずいぶんもらってしまったんだが、私は特に買うものなんてないからね」

「い、いや、悪いですよこんなに……」

「気にしないで受け取ってくれ、その聖霊館という家の子どもたちのために使ってあげてほしい……」

 やさし気な山之内の眼差しが胸を打つ。娘をテロで失った彼なりの、親のいない児童に助力したいという想いを受け取った。


「……わかりました。ありがとうございます、山之内さん」

 丁寧に腰を曲げて頭を下げた。

 地域センターを出ると一旦、元柳の実家まで向かう予定である。

「芽衣子、なんであんなものを……」

 実家に置いてあるとある物を持ってきてほしいと頼まれている。綜士にとってはもはや無用の品なので、別に構いはしないが意図がよくわからない。

「まあいいか」

 やってきたバスに乗りこんだ。




 去って行くバスを建物の窓から看視する。

 彼が桜庭綜士か……。

 いつものくせでタバコを取り出しかけたが、すぐ手を戻した。今の自分は、らしく振る舞わなければならない。

 物陰に入ると改めて、彼についての書類に目を通した。かなりという度合いではない。すさまじく苛烈な経験を経てきたと言っても過言ではないだろう。

 しかし、あの推測が事実だとすれば……。

 あの少年に更なる苦難を課すことになるだろう。

「ハァ……」

 仕事とはいえ、同じくらいの年の子どもを持つ身としてはいささか堪えるが、そのことで手を緩めるわけにもいかない。仕事は仕事である。




 聖霊館に帰ると正門前で、芽衣子が以前も会った女性と話していた。

「ああ、お帰り綜士」

「ただいま、こんにちは猪岡さん」

「はい、こんにちは。お久しぶりね桜庭くん」

 猪岡深雪、区が派遣してくれているハウスキーパーである。

「綜士、猪岡さんなんだけど、これからはあまり来れなくなるの」

「そうなんですか?」

「ええ……、港南区の方はなんだか予算が厳しくなってあちらこちら切り詰めてて」

「聖霊館は、ほらアルクィン財団に支えてもらっているから」

 経済的なバックボーンが潤沢なところから、整理するつもりだろう。


「わかりました、俺たちだけでもなんとかやりますから」

 掃除や食事の準備はどうとでもなるが、洗濯に関しては朝が忙しくなるだろう、前日の内に洗濯機を回して朝一で干す必要が出てくる、

「ごめんなさいね、私の方からも、こんな処置は乱暴だって抗議しておくから」

「はい、ありがとうございます」

 猪岡を見送ると芽衣子を顔を合せた。

「明日からやることが増えるね……」

「うん、みんなにも話して、新しい当番表を作ろうか」

 こうした行政サービスの切り詰めも、戦争の余波なのだろう。重い足取りで本館に向かう。


「ああ、そういえば、言われてたやつ持ってきたよ」

 バックを軽くたたいた。目的の物は中に詰めてある。

「ありがとう、明日使うから、部屋に置いといて」

「使う? 瞬や伸治にあげるの? 別にいいけどあれじゃ色々合わないでしょ」

「そうじゃないけど、ともかくお願い」

「うん……」

 よくわからないが芽衣子になにか考えがあると思ってそれ以上は訊かないことにした。


 ダイニングに来ると、瞬と伸治がテーブルになにかを広げていた。

「お帰り、綜士兄さん」

「ただいま、それは……」

「港中の紹介パンフレットだよ。生徒たちで作ったんだって」と瞬。

 汐浦港中学校、ここから最寄りの公立中学で来年、二人がそこに進学する予定である。

「へえ、どれどれ」

 覗き込んでみる。校舎、校庭ともにいかにも平均的な公立中学と言った印象だった。


「兄ちゃんの中学校はこんなだった」

「うん、まあ……」

 明らかに元柳第一中学に比べて、設備面は劣っていると感じるが口にはできない。富裕層の多い元柳は食堂付きでグラウンドも芝生であるなど環境は整っていた。

 同じ市の公立学校でこうまで違うなんて……。

 富の配分に歪なものを感じる。住んでいる場所が違うことによる合理的な差違を超えた偏り。


「クラブはもう決めた?」

「俺はやっぱりサッカーかな。伸治は?」

「……僕は、やらないと思う」

「え?」

 視線を下げた伸治に目をやった。

「なんでだよ。運動部じゃなくてもいいから。なんかやっといたほうがいいぞ」瞬も驚いたようだ。

「その……勉強頑張んないといけないから」

 もう高校受験を意識しているのだろうか。


「まあ、それならそれでいいとは思うけど。やっぱりなにかやったほうが将来、面接とかでは評価されると思うよ」

 嶺公院の面接では美術部の活動も聞かれたことを想起する。

「そうなの……?」

「勉強だけを頑張ったってだけじゃ、正直今の時代じゃちょっとね。って今、高校生ですらない俺がいうのもなんだけど」

 視線を下げる二人、少し空気を重くしてしまった。


「なんでそんなに勉強にこだわってんだ? 今だって学年一番くらいじゃないのか?」

「へえ」

 感嘆の声が出た。それなら私立受験も狙えたのではと思うが、セントアンナ以外の私立学校で学費の問題が出てくる。本人の口からそういう希望を聞いたこともないので、控えめな伸治は望まなかったのだろう。

「その、将来は……」

「うん」

「法律の仕事とかしたいと思ってるから」

「弁護士とか?」

「他にもいろいろ……」

 なにやら口調に重いものが内包されているように感じる。瞬が、ハッとしたような顔になった。

「……そうだな。でも入学までにはまだ時間が十分あるし色々考えてみろって」

「うん……」

 瞬はなにかを察したようだ。伸治には学業に精進しなければならない理由があるのだろう。


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