(4)

 真昼の陽ざしが差しこみ、胸元の校章をきらめかせた。

「入るもんだな……」

 ややきつい感じはするが制服は体にフィットしてくれた。鞄を持って部屋を出る。

「準備できたよ」


 ダイニングのドアを開くや、

「おお……!」

 感嘆したような依織の声が耳に入った。

「わあ、お兄ちゃん、かっこいい……」

 美奈も目を広げてうなった。

「なにいってんの……。恥ずかしいくらいだよ、今さらこんなの着るなんて」

 リサがこちらをじっと見ていた。


「な、なにかなリサくん」

「ふーん……いいんじゃないの」

 男の制服姿が物珍しいのかもしれない。

「あんがとさん……ってなんでお前まで制服なんだよ?」

「芽衣子に言われたんだよ」

 いくらよその学校に行くとは言えそこまで格式張る必要があるのかわからない。

「綜士、準備できた?」芽衣子がやってきた。彼女も制服である。

「ああ、大丈夫だけど……」

「それじゃあ、行こうか」

 疑問をさしはさむ機会もなく家を出た。


 バスで元柳の実家近くまで移動すると後は徒歩で向かうこととなる。

「通学路はこっちだよ」

 みんなを先導する形で歩く。桜並木の通りは、春の桃色とは対照的な紅葉を枝につけていた。

「ここは、春はすごくきれいなんだよ。奥の奥まで桜の道が続いて、ちょっとした観光スポットだった」

「うん、春になったらみんなで来ようか」

 芽衣子が髪を指ですくった。

「そうだね……」

 先日の公会堂でのことを思い出すと、元柳というだけでも嫌になってもおかしくないのに、芽衣子の器量の大きさに恐れ入るばかりである。


 途中まで来ると立ち止まった。

 ここは……。

 横合いの坂道に目を向ける、この先は日宮神社と市が保有する大庭園がある。

「……」

 すなわち去年のテロ事件が起こった場所である。

「兄ちゃん?」

 瞬の呼びかけにも応じられないほど神経が固くなっている。


「おい……」

 リサが腕をつかむと、大丈夫、と手振りで示した。

 あの場所にもいつかは赴かなければならない。あの悪夢と対峙して、乗り越え、未だ身をついばむ弱さを克服するために。


 徐々に見えてきたのは、三年間学び舎として過ごした中学校。

 ああ……。

 胸裏で詠嘆する。毎日楽しかった。学業に打ち込み、部活を楽しみ、競い、語らう友たちがいた。そして、なによりも……。

 詩乃……。

 彼女がいた。彼女さえいれば、どんな些細な出来事も楽しめた。誰よりも大切な人だった。

 なぜ……。

 二人の道は分かたれたのか。なにが悪かったのか、今でも答えは出ていない。


 リサの視線が目に入った。

「……」

 思えば、すべてを失ってから最初に現れたのがリサだった。導かれるままに聖霊館の一員となり、あまつさえ家族とまで言える関係になってしまった。リサが身を翻して先を歩く。みんなから少し離れて追うように足を進めた。

「リサ……」

「んー?」

「不思議だな、こうしてお前と一緒に俺が通った中学校に行くなんてさ、俺たち元は他人だったのに」

「……そうだな」

「わからないよな、人の運命ってやつは……」

 独白するような声だった。


「綜士、前に私に会えてよかったって言ってくれたよな」

「あ、ああ」

「私も……綜士に会えてよかったって思ってる……」

「そう……か」

 それ以上は言葉は続かなかった。


 正門前までやってくると、

「あ……」

 見知った顔を見つけた。駆け寄る。

「先生……」

「桜庭か……」

「はい……」

 あの合格発表の日に結果を報告するために来校して以来の対面である。

「よく……よく生きててくれた……」

 肩に置いた手を震わせる元担任、綜士も目元が熱くなってきた。芽衣子たちも一礼して、後ろに佇んだ。


「はい……。運よく……いえ、多くの方々のご助力で、今ここにいることができてます」

「ああ……。すまない、君の無事は最近知ったばかりなんだ。とある筋から情報が入ってきてね」

 アルクィン財団のことだろうか。

「ずいぶんな目にあったのは知っている。言葉で言い表すのもつらいくらいに……」

「大丈夫です……。色々ありましたが、俺はもうなんともありません。ここにいる……みんなのおかげです」


 全員の姿が担任の目に入るように脇にそれた。

「ああ、聖霊館の皆さん、今日はようこそおいでくださいました」

「いえ、私たちの方こそ突然のご無礼、お許しください」

 芽衣子が丁寧にあいさつを交わす。

「それじゃ、まずは図書室を開けてありますので」

「わかりました」

 担任の背を追って歩き出す。この場に、詩乃たちがいないのを見れば彼も察するところがあったのだろう。


 土曜で学校は休みで、クラブの音もない。校内は静穏そのものだった。

「これだけなんだが……」

 上履きとわずかな筆記用具。卒業式に備えて最後に登校したあの日にほとんどの私物は持ち帰った。

「他になにかないかな?」

「ええ、大丈夫です」

 持ってきたバッグに詰めてしまう。

「教室は見ておくか……?」

 担任が控えめに訊いてきた。

「……いえ、やめておきます。あそこはもう新しい生徒たちの教室ですから……」

 今さら見たところで、感傷の切り口を広げるだけだろう。


「わかった……それではみなさん」

「はい」

「……?」

 担任が目配せすると芽衣子たちが出ていく。

「あの、先生?」

「桜庭……桜庭くん、これから君の卒業式をやるから体育館まで来てほしい」

「へ?」

 卒業式、そういったのだろうか。

「そ、卒業式って……なんです?」

 概念が理解できないわけがないのだが、そう訊いてしまった。


「大丈夫だ、行けばわかる」

「はあ……」

 そのまま担任についていき、体育館前までやってきた。

「うん……?」

 入り口には幕がかかっている。

「さあ、行ってこい」

「……わかりました」

 黒い幕を腕で押しのけて入った体育館は


「あ……え⁉」

 一瞬、理解が追いつかなかった。見えるのは、制服を身に着けたこの学校の生徒たち、それが列をなして一斉に綜士に着目する。みな一様に祝福の意をたたえた眼差しを向けていた。

「な……」

 なんでと口にでかけたが、驚きがそれを封じた。まさか昔の同級生ではないだろう。在校の生徒たちと思われるが、結構な数である。有志で集まってくれたのだろう。それも知りもしない綜士のために。

 さらに目を走らせると壁際には美術部の後輩たち、そして昔世話になった教科担任達が穏やかな笑みを浮かべながら佇立していた。


「桜庭綜士くん、壇上へどうぞ」

 声を聴いて振り向いた先には、いつも朝礼が長いと文句を言われていた校長がいた。思わぬ事態に緊張で足取りが固くなるも、中央の階段を上がった。

「桜庭綜士くん、大きな苦難を克服し、本日、この学校に帰った君に心から敬意を表するとともに、君の卒業を祝いたい。おめでとう」

 震える両手で差し出された卒業証書を受け取り、深々と一礼する。体育館が割れんばかり拍手の音が響く。振り返り、彼らにも体を曲げて礼をする。手を叩く音は一層強くなった。


 目元まで湧き上がってきた熱いものをこぼさないように躍起になる。奥では芽衣子たちも拍手を送ってくれいるのが見えた。

 慎重に階段を降りて、万来の生徒たちの間を通る。担任の元まで向かうと、自らマイクを手に取った。

「あ……きょ、今日は、忘れ物を取りに来ただけでしたが、こんなもてなしを受けられるとは思いませんでした。か、感無量です……」

 噛まないように口の震えを抑え込む。

「忘れ物はもうありません、なにも思い残したこともありません。今日は、本当にありがとうございました!」

 改めて生徒たちに向けて礼の姿勢を取ると、再び拍手と歓声の嵐が巻き起こった。

 綜士は、今日、ようやくこの学校を卒業できたのだ。



 体育館の外、学校の裏庭まで内部の喧騒は響いていた。空は快晴、旅立ちの日には好適だろう。事がうまく運んだようで、胸をなでおろす。

 裏口から誰かがやってきた。

「あ……お疲れ様です。西羽さん」

「お疲れ様、赤橋さん。今日はありがとう、綜士のために」

 瑞樹は、切ない視線を体育館に向けた。

「いえ、綜士……くんがちゃんとここを卒業できていたのかが気になってましたから」


 綜士のクラス担任だった教員にこれまでの経緯を説明して、改めて綜士の卒業を祝ってあげたいと申し出ると快く応じてもらえた。去年の事件で大怪我を負い、卒業式に出られなかった生徒のために、休日に秋の卒業式を開く。それだけのもので担任と有志数人の生徒だけで行う予定だったが、口コミが拡がり思ったより話が大きくなってしまい、多くの在校生が集まることとなった。


「赤橋さん……綜士に会っていかない?」

「……いえ、せっかくの晴れの日に彼の気分を害するようなことはしたくないので……。私は、綜士を……裏切ってしまった身ですから」

 目を閉じて沈鬱な思いをかみしめる。

「綜士は、あなたを嫌ってなんかないよ……」

「……それでも会えないんです……ごめんなさい」

 もう取り繕うつもりはない。隆臣のせいにするつもりも。自分で選んだ道である。芽衣子もそれ以上はなにも言わなかった。

 そろそろ綜士が出てくる。自分はもう去らなければならない。地面に張りついたままの足を動かして身を翻す。

「……」

 未練が体を再び半回転させ、体育館を最後にもう一度だけ目にした。


「綜士……卒業、おめでとう……」

 かすれ声とともに目から落ちた雫が、秋の風に乗って、宙に輝いた。


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