(3)

 自宅の奪還、会社の再開、本来のあるべき形が復元していく。だが、失われた命と変わってしまった人の心までは戻すことはできない。

「……?」

 本館前で依織がしょげたような顔で立ち尽くしていた。

「依織……どうした?」

「……お兄ちゃん、ここを出てっちゃうの?」

「……そうなるかも」

 黙したままうつむく依織の肩に手を置いて、家に入るよう促す。秋風が背後で空気を切る音とともに通り過ぎた。



「それじゃあ兄ちゃんが社長になるの?」

「まさか、会社は服部さんに任せることになると思う」

 瞬たちの勉強を手伝いながら、学習室で今日起きたことを話していた。

「あ、あの、綜士お兄ちゃん……」美奈が控えめ態度で声を上げた。

「うん?」

「……なんでもない」

 言わずとも顔が物語っている。訊きたいことは依織と同じことだろう。ドアが開く音がした。

「あ……姫」

 リサが来た、が入ってはこない。ドアの前でじっとこちらを見ている。


「ああ、リサ、話が……」

 ドアを閉じて、そのまま行ってしまった。

「お、おい」

 立ち上がって、後を追った。

「リサ」

 呼びかけるも足を止める気配がない。

 自分の部屋の前でようやく止まった。綜士に背を向けたまま立っている。

「リサ、ちょっといいか?」

「……なに?」

 明らかに不機嫌さをにじませた声音であった。

「どうした……?」

「……」

「……俺の家のことなんだけど」

「……知ってる、芽衣子から聞いた。だからなに」

「あ……」

 ここまでつっけんどんな対応をされたのは初めてかもしれない。


「なにを怒ってるんだ?」

「別に」

「……最初にお前に話さなかったのが気に入らないのか? でも今日は早く出たからその後電話で知って」

「そんなんじゃない」

「……それじゃあ、なに?」

「……家も会社も元通りになるみたいでよかったね」

 そう言うと部屋に入ってドアを閉じてしまった。

「……」

 立ち尽くす。自分はなにかリサの不興を買うようなことをしただろうか。

 ノックしようと手を浮かせたが、ひっこめた。この調子では、彼女の不機嫌の水量をかさ上げするだけだろう。


 まいったな……。


 とりあえず学習室に戻ることにした。



 夕食時になってもリサの様子は変わらず、斜め向かいに座る綜士には目もくれず箸を口に運んでいた。

 依織たちもリサの発するただならぬ冷気を感じて、今日は口数が少ない。

 なにか話題を振ってみようかと思案した。

「あ、ああ……今日は……」

 リサを除く全員が視線を集中させた。お前がなんとかしろ、という無言の圧を感じる。

「今日は……」

 冷や汗をかいて、話すべきことを決定しないまま口を開いたことを後悔した。


「今日は、どうだった俺」

 口に出してからあまりにも意味不明な問いを投げたことを自覚した。

「うん、今日もがんばってたよ」

 芽衣子のなけなしの援護に心で泣いた。リサはピクリとも反応してくれない。


「え、ええっと」

 ここで止まるわけにはいかない。次はなにか話題を振ってみよう。

「みんなは文化祭みたいなのやる?」

「うちの小学校じゃ特にそういうのは。簡単な学芸会は二年おきで今年は何もやらないみたい」

 伸治が応えてくれた。


「セントアンナじゃお祭りやるよね」

 美奈が芽衣子を見て口にした。聖霊祭というのをやると前に聞いたことがある。

「うん、私のクラスじゃ聖歌合唱をやるけど、リサはなにか決まった?」

 おそるおそるリサに視線を向ける。

「……まだ、でもカフェになるんじゃないかたぶん」

「お、おもしろそうだなー」

 棒読みで会話を試みるも、悲しくなるくらいの無反応であった。


「綜士お兄ちゃんは中学の頃はなにしたの?」と依織。

「ああ、みんなで射的屋作ったな」

「射的屋って?」

「コルクの弾を打つ銃で景品を落とすやつ。見たことあるでしょ」

「ああ、あれ」

 依織と話しつつも、リサのこめかみがピクリと反応したのを見逃さなかった。多少は興味があるのだろう。


「やったことあるけど、全然落ちなかったぜ」と瞬。

「うん、あまり簡単に落とされるとすぐ景品が切れちゃうからね。弾に切れ目を入れるとか細工して軽量化したりした」

「せこーい」

 依織が笑ってくれたことで少し気が楽になった。

「でも、すごい客はいるもんでね。どこを撃てば崩れるのか一瞬で見分けて、ガンガン景品取られちゃって」

「へー」

 三年の文化祭での記憶、勉強に追われる中、クラスのみんなと協力し合った最後の思い出だった。


「それで特等は一兆円券とか書かれたボードだったんだけど、あれを落とされた時は、仰天したよ。ノリで固定して絶対に落ちないようにしてたんだけど」

「へー」

「一兆円払ったの?」

 美奈が真顔で尋ねてきた。

「うん、まあ、そこは履行不能ってことで、どうしたものかと思って。カバのぬいぐるみを持ち出して、これには一兆円の価値がありますのでってことで進呈したよ」

 アハハと笑ったところで、

「……馬鹿じゃないの」

 リサの地の底を這うような低い声で、体の血管ごと凍りついてしまった。


「リサ」

 芽衣子が咎めるようにリサを睨む。

「ええっと後は……」

 ここで挫けたら負けになると思い、さらに話題を探る。

「ありがちだけどキャンプファイヤーとかやったね。その周りでフォークダンスも」

「誰と踊ったの?」

「え……?」

 伸治のなんでもないような質問に、窮する羽目になった。

「……同級生の人と」


 あの時、みんなにからかわれるのが嫌で、彼女とは踊るつもりはなかったのだが、一生の思い出になるから、と強引に引きずり出されて踊ったのだった。

「……? どうかしたの?」

「いや、踊り方とかよくわからなくて恥かいちゃったなって」

「うふふ」

 依織が不敵な笑みを浮かべる。


「な、なによ……」

「わかったぞぉ。お兄ちゃん、気になってた人がいたんだけどシャイだから誘えなかったんでしょ?」

「あ、ああ……」

 そう言うことにしておいてもらえるとありがたい。

「まあ、お兄ちゃんもてなさそうだもんね」

「悪かったな……」

 胸を張る依織をねめつける。


「女の子からバレンタインにチョコもらったりしたことある?」

 美奈が尋ねる。

「あ、あるよ、それくらい」

「ほんとぉ?」

 さらに意地悪を重ねる依織。

「付き合いの長いやつがいて……まあ義理みたいなのだろうけど」

「ふーん、その人お兄ちゃんのこと好きだったの?」

「いや全然そんな気はなかったけど……」

 瑞樹とは友達以上を意識したことはない。向こうもご同様だろう。そしてあの彼女と付き合うようになってからは自重したのか、もらえなくなった。

「……?」

 芽衣子の視線を感じた気がした。


 その後も他愛ない会話で場をもたせたが、リサは早々に席を立って部屋に戻ってしまった。



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