(4)

 全員が風呂を終えて、ラウンジに集まってもやはり来ない。

「うーん……」

 廊下で携帯の液晶を睨みながら、思案に暮れる。今日学校で、なにかあったのか結奈に訊こうかと思ったのだが、躊躇していた。あの彼女のことがなんとなく苦手である他、リサをかえって刺激するかもわからない。

「やっぱりやめとくか……」

 と思った矢先に携帯に着信が入った。結奈からである。


「あ……もしもし」

「ああっと、ええっと、ソウにゃん?」

 また変な呼び名をつけられた。

「綜士だ、結奈ちゃんちょっと」

「こんばんは、ソウにゃん。突然で悪いんですけど、結奈ちょっと訊きたいことあって」

「あ、ああ……」

「今朝、リサちゃんとなにかありました?」

「え……?」

「今日、ずっとなにか悩んでたみたいで、結奈ちょっと心配で」

「今朝は話していない、朝練とか言って早めに出たが」

「あされん~? セントアンナ劇団にそんなんありませんよ?」

 予想はしていたが、やはりのようだ。綜士と顔をあわせるのが嫌で早めに出たのだろう。


「そうか……結奈ちゃん、ごめん。俺がなにか下手やったみたいだ」

「別に結奈に謝ることなんてありませんよぉ。でもリサちゃんは……」

「ああ、わかってる。ちょっと今から話してみるつもりだ」

「はい、戦果の方を期待します。それじゃグッナイ、ソウにゃん」

「ああ」

 そこで電話は切れた。携帯をポケットにしまい、リサの部屋に向かった。


「ふう……」

 酸素を肺の奥まで行きわたらせて、呼吸の安定を図る。

「よし……」

 覚悟を決めるようにノックした。

 想定通りの無反応、どうやってリサを引きずり出すか考える。


 どうするか……そうだ!


 いじけてトイレにこもった弟にやったあの作戦で行くことにした。

「ああ、今日はお土産のプリンあるんだけどなー、数が余っちゃったなー、食べない人がいるなら俺がもらっちゃおっかなー」

 白々しい演技にはなんのリアクションも返ってこなかった。


 うーむ、少しからめ手で行くか……。


「ああ! 依織が誰かのスポーツブラ口にくわえてるー! このベージュ色は金髪の あの娘のものかなー。おい依織、下着は食べるもんじゃな……」

 猛烈な勢いでドアが開かれると、

「ふべ!」

 強烈な右ストレートが顔面に直撃して、後方にのけぞった。


「お前なあ!」

「じょ、冗談だって……!」

「なんなんだよ⁉」

 憤然とした面持ちで仁王立ちするリサに両手で降参の意を示す。

「そ、そっちこそ、どうしたんだよ……?」

「ああ⁉」

 怖い、小型の猛獣がうなり声をあげているようだった。


「だから……帰ってきてから変だぞお前」

「……」

「なにか気にいらないことがあるならはっきり言え……言ってくれませんかね……」

 リサが落としていた視線を正面に据えた。

「……ちょっと来い」

「へ?」

「いいから!」

 腕をつかまれる、部屋の中に連行された。

 強引に引っ張られて、放り投げられると、リサがドアに、


「お、おい」

 鍵をかけて閉じてしまった。巣穴から獲物を引きずり出すつもりが、逆に捕らえられてしまった、というところである。

 密室にリサと二人きり、室内はリサと依織の匂いで充満している。

「え、ええっと……リサさん……?」

 リサがベッドに視線を向けて、あごをクイっと揺らした。

「ああ……それじゃ遠慮なく」

 ベッドにもぐりこもうとしたら、

「バカ野郎!」

 怒鳴り声に冷や汗をかく。下の階のラウンジにまでは届いてはいないだろうか冷や汗が出る。


「静かに……!」

「座れバカ!」

 リサがデスクチェアに腰を落とすと、綜士もベッドに腰かけた。

 ゆで上がったリサの青い瞳に圧されながらも、口を開いた。

「わかってるよ。俺をここに呼んでくれたのは、リサなのに……最初にお前に話さなかったのは悪かった、謝る。でも……」

 それ以前から、なにかの理由で避けられていたはずである。

「そんなんじゃない」さっきも同じ言葉を聞いた。

「だったら」


「……芽衣子、最近変じゃないか?」

「え?」

 なんだか話をそらされた感じがする。

「よく夜中に誰かと電話してるみたいで」

「ああ、なんだろうな。学校の友達じゃないの?」

「かもしれないけど、それなら裏庭でコソコソ話したりなんかしないだろ」

「それもそうか……」

 口に手を当てて、考え込む。昨日の反応から察するに男ができたとかそういう事情ではないだろう。


「オレ、ちょっと心配で……」

「大丈夫だろ、それに芽衣子にだって話したくないことの一つや二つくらいあっていいだろ」

「それはそうだろうけど、その芽衣子は聖霊館に来る前に……」

「来る前に?」

 なにかを言いよどむリサ、

「その、おかしな団体にいて……」

「なんだそれ?」

「……ともかく昔の知り合いとかからだったら不安なんだ」

 どうもリサの歯切れが悪い。芽衣子の過去に関わる話なら気軽にはできないのだろう。


「わかったよ、注意して見ておく」

「頼む……」

「ところで……?」

「あん?」

「姫はなんで怒ってるのかなーなんて……」

「……お前が破廉恥だからだ」

「ハ……? ハレンチ?」

「昨日……芽衣子と」

「……」

 バッチリ目撃されていたことにようやく気付いた。


「あ、あれはだな……その……」

 芽衣子の方から求められたのだが、そんなことを口にしても火に油だろう。

「親愛の表れというか、ちょっと人肌恋しくなったというか……」

「ほう……それならなんで裏庭でコソコソ隠れるようにやる?」

 リサの目と鼻の間に影が浮かんだように見えた。

「それは……月がきれいだったから……」

「アホ!」

「と、ともかく成り行きでそうなっちゃったの!」

 リサがジト目で睨んでくる。


「……学校で友達に言われたよ。お前くらいの年の男って色々大変なんだな」

「大変って……なにが?」

「言わせるのか……オレに……」

「……? お、おい」

 絵の具を塗りたくったかのようにリサの顔が紅潮していく。

「あ、ああ……欲求不満ってやつね、ふべ!」

 口元に張り手をもらった。


 あまり持て余しているような感覚はなかったが、改めて問われると微妙に意識の上に表出してくるような気はする。考えないようにしていたのだろう。

「そういうの、なくもないけど、別にないよ」

「どっちなんだ⁉」

 食い下がるリサ、興味本位なのではないかと勘繰りたくなる。

「芽衣子は俺のおか……姉みたいなもんだし」

「姉で発散するのか、変態だなお前」

「してないって……ただちょっと」

「ちょっとなんだよ?」

 さらに顔が近づく。


「……甘えたくなっちゃう時もあるじゃなーい」

 おちゃらけた調子でボケたつもりだった。

「このボケえ!」

 リサにほっぺを揉みくちゃにされた。

「一応訊いておくが、依織や美奈を変な目で見てないよな……?」

「俺をなんだと思ってるんだお前は」

「瞬や伸治にも過剰なスキンシップはしてないよな?」

「戦国武将じゃないんだから……」

「なんだそれ」

「ともかく……ここのみんなは家族と思って大事に思ってます、そんだけ」

「ふーん……オレもか?」

「え?」


 沈黙の幕が降りた。

「もちろんです姫」

「間があったぞ、おい」

「信じてください姫」

「それなら……」

 リサが椅子から立ち上がる。


「……同じことできる?」

「へ?」

 座っている綜士の正面に立った。これは一種の挑発だろうか。

「……できるよ」

「ほう、やってみせてもらおうか」

 甘く見るなとばかりに、こちらも腰を浮かした。

 無防備に棒立ちするリサの前で、両腕を広げたが、


 ……本気か?


 リサの意図が読めずにぷるぷると空中で震えてきた。リサは黙ってこちらを正視している。


 こ、こうなったら……。


 ままよ、と抱きしめようとしたところ、

「うりゃ!」

「わあ!」

 腕を取られてベッドに引き倒された。

「冗談だ、バカめ!」

「こ、こいつ!」

 リサがのしかかってきた。

「……最近、依織と仲いいよなお前」

「な、なに?」

 マウントポジションを取ったリサ。


 顔が降りてくる、リサの吐息が鼻に入ってきた。

「あ……。……!」

 とその時、ノックの音がした。

「リサちゃーん、あけてー」

 依織が戻ってきたのだ。


 や、やば……。


 視線をあちらこちらに錯綜させるが、体を抑えられたままだった。自分を組み伏せているリサも冷や汗をかいている。この状態を目撃されたらプロレスごっこで押し通せるだろうか、などと考えてしまった。

「な、なんだ依織」

「絵の本、取りに来たのあけてー」

「後で持ってくから、今はちょっと下に行ってて!」

「なんでぇ?」

「いお、ぶ!」


 リサが膝で綜士の口を封じる。

「い、今ちょっと、すっぽんぽんで着がえてんだ! 後から行くから!」

「そのくらいいいでしょぉ、あけてー」

 依織はまだ粘る。

「キャー!」

 下から叫び声が上がってきた。美奈のものだろう。

「美奈? どうしたの?」

「ご、ご、ゴキブリが……!」

 依織がドアの前から離れていく。


「ぷはあ!」

 リサの重量から解放されて、酸素を一気に吸い込んだ。ベッドから飛び降りたリサがドアをわずかに開いて、廊下の様子を窺う。

「よし、おら、出てけ!」

「勝手なことを……」

「いいから行け!」

 背を押されて、室外へと排除された。

「お前なあ……!」

 怒鳴りつけるも、すぐに音量を弱めた。はやく立ち去らないと依織が戻ってくる。

「ったく」

 そのまま行こうとしたところで、後ろ襟をつかまれた。

「なんだよ⁉」

「家や会社のこと、よかったな……」

 リサが相貌を崩してそう言ってくれた。夕方ごろと同じ言葉、だが今度はどこか寂し気な笑みが付帯していた。

 ドアが静かに閉じられていく。

「……ああ」

 聴こえない程の声を一言発すると、ラウンジに戻ることにした。


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