(2)

 全員を見送ると、ほどなく警察から連絡が入った。業者はついに返還の意向を示したという。

 当然のことと捉えており、なんの達成感もない。加えて、

「……やっぱり」

 ここを去るのをつらいと思っている心がある。


 いつものように地域センターに足を運ぶ、河川敷沿いの大通りではなにやら祭りの告知が大々的に貼りだされていた。ハロウィンフェスティバルというやつだろう。去年は、あのテロ事件もあり中止されたようだが今年は開催される。


 お祭りか……。


 正直なところ、あまり行く気がしない。祭りというだけで、あの惨劇の記憶が帯電したようなチリチリした感覚となって、痛みを思い出させる。

 手を空に掲げた。あの赤黒い染みのよう火傷の跡はほとんど消えていた。

 午前の講義を終えて、テラスに出て手すりに肘を乗せる。


 そろそろ二ヶ月か……。


 目覚めてからの日々は絶望から始まった。家族は今生の人ではなくなり、家は失い、一年半もの欠落。そして、


 隆臣、瑞樹……。


 友との決別、なによりも……。


 ……詩乃。


 恋人が自分の存在そのものを記憶より棄却していたという苛烈すぎる現実に、綜士の心は打ちのめされた。

 だが希望を与えてくれた人がいた。あの時、偶然邂逅したあの少女、口は悪いが義理堅く思いやりがあり、弱者を労わる心を持っていた。自分はあの日、あの少女の手を握った時、救済されたのかもしれない。

「……リサ」

 口に出していた。携帯を取り出す。事態が動いたことを説明しなければならない。

「……」

 なぜか発信できない。指が虚空で停止する。


「フゥ」

 息を吸い込んだ。呼吸に乱れは生じていない。少し迷った後、メッセージで今朝知った大体のあらましだけを入力して通知……しようかとも思ったが、やめにした。直接話すべきだろう。

「やあ、綜士くん」

 背後からの声、振り返る。

「ああ、こんにちは、山之内さん」

 初老の男性、山之内典史が穏やかな笑みを浮かべていた。電設会社の社長を務めている人物だが、彼も高認資格を目指しており、今の綜士にとって同級生のような立場であった。

「今日の講義はどうだった? なかなか面白いね、勉学というのも」

 伸びをする山之内。

「ええ、知らないことがわかるようになるというのは、カタルシスというか、天啓を得たような気分になって」

 我ながら大げさな言い様だと思った。

「ハハッ、君はまだ若いから吸収も早いだろうね。私くらいになると、頭のあちこちが固くなっていかんな。ところで今朝気になるニュースを見たんだが」

「ああ、そのことですか」

 家を取り戻す展望が開けたことを説明する。


「そうか、それはよかった。……ご両親も喜ばれるだろう」

「ええ……。ありがとうございます……」

 目の水分が濃度を増したように感じた。

「時に綜士くん……」

「はい?」

「あえてきかせてもらうが、君は……あの事件をどう思う?」

 あの事件、当然、自分の運命を激変させた日宮祭のテロ事件のことだろう。

「……許せない話、だと思ってます。俺の家族だけじゃない、多くの人たちの命を一方的に奪って置いて……。どこの誰が犯人なのか知りませんが……」

「そうか……その感じ方は至極自然な感情だろう」

 山之内が手すりに手を置いて、空を見渡した。


「警察の捜査は難航しており、手詰まったような気配すらある。遺族の一人としては無念な限りだ……」

 この人もあの事件で妻子を失っている。どうしようもないやるせなさを抱えているのは綜士と同じだろう。

「壁を感じているよ……」

「え?」

「途方もなく高くて、冷たい壁だ。押しても叩いても、ひび一つ入れることはできない。その鉄の壁の前では一人の人間など蟻以下でしかない。超えることも隙間にもぐることもできない。真実はその壁の向こう側にあるとわかっているのに」

「……」

「私は、その壁を……」

「あの……?」

「ああ、そろそろ午後の講義の時間だ、戻るとしようか」

「はい」

 なにか言いかけたようだが、打ち切られた気配がした。


 午後の講義を終えると早めに聖霊館に戻ることにした。服部泰山氏と日之崎通商の処理について話し合うことになっている。

「ただいまー」

「おかえりー」

 玄関ドアを開いたところで、芽衣子が出迎えてくれた。既に私服に着がえ終わっている。

「お茶の準備できたから、お客さんとはダイニングで話して」

「ありがとう……あ」

「どうしたの?」

「い、いや……」

 慌てて二階に向かう。今の芽衣子とのごく自然なやり取りは、いつのまにか自分がここに根を下ろしていたことの証左であるような気がした。


 大体の書類を用意したところで、玄関のベルが鳴った。服部氏が来たのだろう。

「いらっしゃいませ」

「お邪魔します、あ……」

 階段を降りたところで、服部と視線が交差した。ずいぶん懐かしい感覚が走った。

「お、お坊ちゃん!」

「え、ええ……。お久しぶりです、服部さんあのお坊ちゃんはやめて」

 服部に両腕を固く握られた。

「ああ……! よく、よく……ご無事で……」

 服部がうるませた目をそっと伏せる。

「はい……。服部さんもご健勝なようで、なによりです」

「さあ、こちらにどうぞ」

 芽衣子の案内にしたがってダイニングに移動した。


「そうだったのですか……。総一郎さん……社長の自宅が……」

「ええ……」

「そんなことも気づけなかったとは……一生の不覚です、申し訳ありません」

 深々と頭を下げる服部。

「い、いえ! 服部さんのせいなんかじゃありませんし。それに今、話したようにようやく解決の目途がつきまして」

「ええ、アルクィン財団の方々には私からもお礼を申し上げねばなりません。それと海望商事の谷田川道社長にも」

「はい、道さんには、本当に感謝しています」

「……綜士さん、今日ここに来た理由は他にもあります」

「ええ、日之崎通商の後処理でしょう」

 服部が軽く咳ばらいをした。


「いえ、我々は日之崎通商を再開させたいと願っております」

「え……?」

 口が半開きになった。

「他の役員たちともずいぶん前から話し合っていたのです。経営者不在で我々が、勝手にどうこうするわけにもいきませんでしたから、しかるべき相続人の方……すなわち綜士さんが帰ってから復興しようと」

「で、ですけど……」

「今日のうちに、従業員たちには意思確認を行ってきました。ほとんどの者が復帰の意向をしめしています」


 戦争の影響で、不安定な職に就いているのかもしれない。古巣からの呼び声に応じてくれたことにはありがたい心境だった。

「綜士さんのご裁可さえ、頂ければ明日にでも再始動の準備に入ります」

 服部が目力を込めて、そう述べた。



 大体の話をまとめ終ると、服部を見送ることになった。日之崎通商は事業を再開するため、服部らが中心となり、元の従業員たちを結集させるという。特に反対する理由もなく父母の急逝により、彼らに迷惑をかけたことを思えば綜士も、安堵する思いだった。

「それでは、後はよろしくお願いします服部さん」

「任せてください。先代と綜一郎さんの志を継承できるとは名誉の限りです。綜士さんもいずれは後を継いで」

「すみません、その話はまた」

「はい」

「……ところで、俺がここにいるって誰から聞いたんですか」

「ああ、仕事の関係で豊緑亭に行ったときに赤橋家のお嬢さんから伝えられたんですよ」

「え……?」

 瑞樹のことである。


「綜士さんのご学友ですよね。あなたのことをとても心配しているようでしたよ」

「そうでしたか……」

 服部の車が出ていくのを見届けると、西に沈みはじめた陽ざしが雲の割れ目から降りかかってきた。



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