(3)

 帰りの電車のシートに腰かけながら、今日のことを思い返していた。

 楽しかった、それ以外の感想はないと言えるくらい楽しんでいた。でもあまり喋らなかった。柄にもなく緊張していたんだと思う。


 まさか私が男の子と二人で遊園地に行く日が来るなんて……。

 隣で目を閉じてうつむいている綜士を横目で覗く。こうしてみると、年下の弟みたいに見えてくる。

 私があまり楽しんでなかったと思い違いしてなければいいんだけど。自分の頭を小突く。男に弱目を見せたくないという自分の習い性のせいだ。もう小学生の時じゃないんだからいい加減改めないと。


 乗客の少ない車内を見渡す。遊び疲れて母親の膝に頭を乗せる小さな子、肩を寄せ合うカップルが目に止まる。知らない人から見れば私と綜士もそう見えるのだろうか。

 林の影が急激な速さで現れては消えていく。ここを抜ければもう日之崎だ。まだ帰りたくない、この静かな空間を彼と過ごしている。それだけでなぜか心が安らぐ。ママがいなくなってからこんな気分になったことは一度もなかったのに。


 もう「オレ」はやめにしようかな。乱暴な感じがするし、不自然だ。でも、今さら「私」に変えたら、そっちのほうが不自然だと思われるかな。ありのままの自分でなんてありきたりなフレーズが胸裏に浮かんでくるけど、この一人称が当たり前になりすぎて、こっちのほうがありのままになってしまったのかもしれない。今さら、女の子らしくなりたいだなんて、我ながら気の迷いにもほどがある。


 変だな私……。あれだけ男を毛嫌いして拒絶してきたのに、今、男の子と並んで腰かけて、あまつさえこの空気を心地よく感じている。

「綜士……」

 小声で呼びかけたが、返事はない。まどろんでいるのだろう。彼も昨日の件で疲労をためこんでいたんだ、きっと。なのに、今日は私のために……。


 私は、この彼をどう思っているんだろう。異性として意識していないと言えば嘘になる。でも、男女の仲になりたいわけでもない……と思う。

 綜士は、聖霊館の家族、それだけ、それだけでいい。今は……。




「綜士、綜士……」

 自分を呼ぶ声がする。ああ、そうだ、電車がもう目的の駅に到着するのだろう。

「綜士、着くよ、起きて」

「ああ……」

 目元を擦って伸びをした。窓の先に見えるのは、明かりを灯し始めた日之崎のビル街、日常に帰ってきたことを認識する。

「大丈夫?」

「ああ、平気。ありがとう、うた……」

 目を見開いて、出した言葉を呑み込もうとしたが後の祭りだった。

「……」

 眼前にいるのはあの彼女などではない。リサだ。


「あ……ありがとう」

「うん……」

 なんでもないようにうなずくリサだが、瞳の奥を揺らせる感情は寂しさに見えた。

「……ごめん」

「なにがだよ、ほら降りるぞ」

 降車するリサを追う。うかつだったと歯噛みした。

 夕暮れの街に秋風が吹きつける。枯れ葉が飛翔し、鳥の群れように空に乱舞した。古めいた音楽が流れる交差点を渡ったところで、


「……?」

なにかの気配を捉えた。辺りをとっさに見回す。

「どうした?」

 リサが振り返る。そっと近づき、彼女をかばうような姿勢になった。

「綜士……?」

 人の視線と思われるが、交差点を行き交う人の波に埋もれて対象を特定できない。

「……いや、気のせいか」

「へ?」

 状況がよく呑み込めていないリサ。下手に今感じ取ったものを説明して彼女を不安がらせることもない。

「行くぞ」

「あ……」

 リサの手をつかんで、この場から、離れることにした。



 物陰に隠れながら、小走りに去って行く男女二人に目をやる。

 あの桜庭綜士という少年、なかなかに鋭い。あの金髪の少女は恋人だろうか。駅前で見かけて、自宅を押えておこうとつい追ってきたが、今日のところはこの辺で退散したほうがいいだろう。顔を目視されて、彼に不審に思われては、今後に差しさわりが出てくる。慎重かつ忍耐強く、待つことにする。いずれ必ず機会は巡ってくるはず……。



 リサの手を引いたまま、聖霊館前の通りまでやってきたところ、

「お……」

 芽衣子が正門前で誰かと話している。男のようだ。その男がなにかジョークでも飛ばしたのか顔をほころばせた。

「芽衣……」

 喉元が締めつけられたように、呼び声を呑み込ませた。芽衣子が話している相手は、

「あの人って」

 リサも気づいた。あの本郷賢哉に間違いない。隣には結奈もいる。

「……」

 黙ったまま近く。怖気づく必要などない。向こうもこちらに気付いたようだ。


「ああ、お帰り二人とも」

 芽衣子が顔を向けた。

「おかえりー」と結奈。

「ああ……」

 本郷賢哉と視線が交差する。話があってやってきた、と眼球の動きだけでわかった。


 リサが握ったままの綜士の手に力を込めた。心配ない、という意思を込めて握り返す。

「早かったね、もっとゆっくり楽しんできてもよかったのに」

「十分遊んだよ」

 結奈が目をぱちくりさせた。

「結奈ちゃん、こんにちは……いやもうこんばんは、か」

「グッドイブニーン、ソーニャ、とリサっち」

「結奈、昨日はありがとう」

 リサがやや固い声を発する。


「いえいえ、あちきも久々に母校でハッスルできて楽しかったっす、時にお二人とも」

 結奈が咳払いをして、片目を閉じた。

「ずいぶん、仲良しさんです?」

「え……? あ……」

 リサと手をつないだままだったことを失念していた。お互い慌てて、離す。


「ふーん、ソーニャあぁ、結奈のリサちゃんに断りもなくそういうことするのは……全然オッケー」

 両手で両頬を揉みながら体をクネクネさせる結奈から視線を外して、隣の男と相対した。

「よお」

 昨日もこんな具合に対面したが、今日の賢哉は目じりが下がっており、まったくもって陽気な声音だった。

「ああ……」

「ちょっと話したいんだが、いいか?」

「……わかった」

 賢哉が聖霊館から道路向かいにある空き地に目線を寄せて顎をくいっと上げた。あそこで話す、ということだろう。


「あ、あの……」

「こんばんは、リサちゃん、ちょっと彼、貸してもらっていいかな?」

 賢哉がリサに頼み込んだ。穏やかで、柔和な声音であった。

「リサ、大丈夫だから」

 芽衣子がリサの肩をつかんでそう述べた。

「……」

 リサの視線を背中に感じつつも、本郷を追って歩き出した。


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