(4)

「この辺でいいか」

 脱色したような紅葉が、短い雑草の上に散乱している空き地で賢哉が足を半回転させて、綜士と対峙する格好となった。

「……」

 賢哉の様子をそれとなく注視する。顔は所々、腫れが引き始めた赤さを残しており、昨日綜士が与えたダメージをまだ引きずっているような痛々しさを映していた。


「まずは……」

「なんだ……?」

 賢哉がどっしりと構えてから、直立の姿勢に転じた。何事かと目を見張る。

「すまん!」

 今度は直角九十度に腰を曲げて、謝罪の礼を取ったことに、度肝を抜かれた気分になった。

「な、なに……?」

「その、お前……じゃなくて君が、泉っちゃんになんかしたとか……。全部俺の早とちりで勘違いだった!」

 頭を下げたまま、賢哉が大声で話す。


「俺としたことが、勝手に決めつけて、そっちを犯罪者みたいに呼んだことは謝る! 悪かった!」

「い、いや……」

「土下座しろっていうならしてもいい!」

 賢哉が肩膝を地につけたところで、

「よ、よせ!」

 そう叫んで制止した。そんなことをしてもらっても、気まずいだけで、後味の悪いものを胸に残すだけである。

 賢哉が、立ち上がった。


「全部俺が暴走したせいだった……。ろくに確認もしないで勝手に早合点して」

 わなわなと目元を震わせる賢哉。

「それに、まさかお前が泉っちゃんがやべえ連中にさらわれそうになってたのを助けてくれていたなんて……」

 彼女が説明してくれたのだろう。

「ともかく、本当に悪かった! すまない!」

「……もういい、それに」

 こういう誤解を招いたのもこれまでの綜士の行動に起因することは認めねばならない。隆臣との衝突があったればこそ賢哉も色々と勘違いを重ねてしまったのだろう。


「俺も……その、悪かった。殴ったりなんかして……」

「へへ……なかなか効いたわ、つえーな、あんた」

 賢哉が、感心したような微笑を浮かべる。怨恨を抱いているようには見えず、どこかさっぱりしたような印象を受ける。

「怪我はもういいのか?」

 賢哉に先に言われてしまった。

「こっちは大したことない、そっちは……?」

「おう、バリバリまったく問題なし」

 そうには見えないが、話はこれで落着しそうで、綜士も内心で安堵した。


「そんじゃ、勝手なようだけどさ……」

「え?」

「今回の件、これで手打ちにしてもらえないか?」

「……ああ、そうしよう」

 啓吾への配慮もある。これ以上、この本郷賢哉と因縁を引きずらせるのは本意ではない。

「そんじゃ、和解ってことで」

 賢哉が手を差し出した。やや迷ったが、眼前のこの男は殴られた相手にここまでしているのである。こちらも男気は見せねばならないだろう。

「……わかった」

 賢哉の手を取り、握手を交わした。

 後方からの視線を感じる。リサも、事態が収まってくれたことに安心してくれているだろう。



「ふう……」

 手を離すと、賢哉が、額を汗をぬぐって緊張から解放されたように、体をわずかに弛緩させた。

「あの泉地って娘は……?」

「ああ、もうなんともない、と思うけど」

「そうか……」

 異常な振る舞いを見せてしまったので、少し気になっていた。怖がらせてしまったかもしれない。


「ところで……」

「うん?」

「今、ひょっとして……リサちゃんとデート帰りだった?」

 ギョッとした。

「い、いや別に……ちょっと遊びに行ってただけだ」

「ふーん、そんじゃあリサちゃんと付き合ってるってわけじゃないんだ?」

 鼻さきに血がせり上がってくるような感覚がした。この男も結奈のように浮いた話が好きなのだろうか。


「そんなんじゃない……」

「ほんじゃあ、言わせてもらってもいいかな」

「え?」

「俺さ、リサちゃんのこと好きなんだけど」

「うん……」

「うん」

「……なに⁉」

 からかっている、と思いかけたが、

「いや、マジでさ」

 賢哉の表情は真剣そのものだった。


「出会ってからまだ数日なんだけど、本気で好きになった、これまでの人生でないってくらいときめいてる」

「な……」

 返答に窮する。そんなことを自分に伝えて、どうするというのか。

「それで」

「それ……で?」

「告白してもいいよな?」

 こんなあっけらかんとそんなことが言えるこの男の神経がわからない。昔、綜士が詩乃への好意を瑞樹たちへ伝える時は緊張で体中の血管が引き締まるほどだったというのに。

「そ、そんなの……」

 賢哉は黙って綜士の次の一言を待っているように見える。


 リサが……この男と……。


 想像するのさえ、

「ダメだそんなの!」

 嫌過ぎる。綜士の割れるほどの響きの一声が空を駆けて、宙にとどろいた。

「なんでだ? 別にお二人付き合ってるわけじゃないんだろ?」

「そ、それでもダメだ!」

 リサが男と、まして嶺公院の生徒と付き合うなど、許せる話ではない。

 賢哉が後頭部をかきながら、綜士の顔をまじまじと見つめる。

「うーん、困ったなー。一応付き合いの長い桜庭くんに筋通そうと思っただけなんだけどなー。でも、なんでこの人、俺がリサちゃんに告るのそんなに嫌がるのかなー」

 賢哉が、芝居がかったノリで、挑発してくる。


「そ、それは……」

「それはー?」

「り、リサは俺の……家族だ!」

「おう、家族なら別によくね?」

「だ……から……!」

 確かに、自分が妨害していい道理などないと言えばない。単純に、自分の感情の言わせることである。わがままと置き換えてもいいかもしれない。だが、

「お前に……リサは渡さない‼」

 そう叫んでしまった。


「……ようやく気づいたんじゃないのか?」

「な、なに?」

「お前は……お前の気持ちはもう、離れたんだよ、赤橋さんから……」

「……は?」

 あまりにも予想外の名前が出てきた。赤橋、綜士の幼馴染の赤橋瑞樹のことを言っていると見ていいが、賢哉は瑞樹とも知り合いなのだろうか。


 というか……。


 瑞樹から離れた、とはどういう意味で言っているのだろうか。

「悪い、知ってしまったんだ……お前が昔……」

 賢哉が達観したようなまなざしでなにかを語り始めた。


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