(2)

 店の前にちらばった枯れ葉をほうきで集めてチリトリに乗せていく。この時期になると、特に親に催促されないでも、自発的に掃除するのは習い性のようなものだった。昔を思い出す。はやく遊びに行きたいのに、掃除を頼まれてげんなりしていたところ、あの二人がやってきて手伝ってくれた。三人一緒なら、つまらない仕事も楽しく感じられた。

「ハァ……」

 赤橋瑞樹は一人、ほうきを抱えて空を仰ぎ見た。


 古い記憶が胸を突く。あの頃とはもう違う。自分たちは変わってしまった。立場、境遇、関係、ともすれば人格さえも。

 なにをどうするのが正しいのか、自分自身わかっていない、にも関わらず隆臣にやつ当たるような態度を取っている今の自分は身勝手かもしれない。詩乃からはなにも訊かれていないが、心配しているのは明らかである。いい加減、切り替えないとまずいという自覚はあるのだが、どうしても脳裏によぎる綜士の顔が自分を過去に引き戻す。


 ゴミ箱に集めた枯れ葉を落としたところで、携帯に着信が来た。詩乃からである。一昨日、詩乃の家に泊った喜美子はもうすっかりいつも通りで心配はないと本人が言っていた。しかし詩乃は、どこか喜美子がまだ気が沈んでいるように見える、と心配しているようだった。それで今日もよかったら一緒に遊ばないか、と綴られている。

 昨日、詩乃の家に喜美子の様子を窺いに早紀と行ったのだが、その時、彼女はいなかった。すぐ戻ると言っていきなり飛び出してしまったとのことであった。


「あの後……」

 戻ってきた喜美子は、確かになにかに揺らいでいた。一昨日の夜のことといい、一体なにがあったのだろうかと考えても、ピンとくるものはない。

「喜美子ちゃん、私になにか訊きたがってるように見えたけど……」

 結局なにも訊かれなかった。

「……瑞樹」

「え……わあ!」

 驚いた。いつのまにか藍染早紀が眼前まで接近していた。


「そんなに驚かなくても……」

「ご、ごめん、おはよう、藍染さん」

「もう、早紀でいいって、おはよう瑞樹」

「う、うん……」

 瑞樹は少し、彼女が苦手だった。藍染早紀、色白の細身で足が長く、モデルのようでなんとなく気後れしてしまう。合奏部では詩乃といつも親しくしてくれているので感謝している。

「今日は商店街で買い物してたんだけど、ちょっと瑞樹のところにもよってみようかなって」

「ああ、そうなんだ……」

 訊いてもないのに話してくれた。


「詩乃からのメッセージ見た?」

「うん、喜美子ちゃん……やっぱりちょっと心配ね」

「そうね……」

 身なりはしっかりしていたので、乱暴をされたとかではないと思う。他になにか怖い思いをしたのだろう。

「まあ、本人が話してくれるの待ちましょ」

「うん……」

 むろん、詮索するつもりはない。ただこうも自分たちの周りでイレギュラーな出来事が立て続けに起こると、よくなってきた詩乃の精神にも悪影響が出るのではと不安も感じている。


「それで今日は、瑞樹は大丈夫?」

「予定なら特にないし、平気だけど」

 早紀が髪をかき上げると、なにかもじもじしながら、

「そ、それじゃあね……よかったら今日は、私の家に……」

「え……?」

「……? 瑞樹?」

 誰かが近づいてくる。顔に白い何かを張り付けた異様な風体の男だった。思わず身構えた。早紀も体を固くしたようだ。


「ちーっす」

 男が、いきなり挨拶を交わしてきた。なんのつもりかと、目を細める。

「……うん? どしたの二人とも?」

 どこかで聞いたことのある声だった。

「だ、誰⁉」

 それ以上近づくなとばかりに警戒色のにじんだ声を上げたのは早紀だった。

「誰って……同じクラブなのに、そりゃないっしょ藍染さん」

「え……?」

「あ……」

 ようやく気付いた。

「本郷……⁉」

「うん、俺っち、本郷賢哉よ」

「ど、どうしたのその顔⁉」

 早紀も驚愕の目を向けながら、顔の半分を覆うほどのガーゼを貼り付けている賢哉を凝視している。


「いやあ、山で修業してたらでかい熊が出てきてさ、ハハ、KOされちまったわ」

「なにアホ言ってんの!」

「大したことねえって」

 賢哉がガーゼをはぎ取った。赤く染まった鼻が痛々しさを醸し出している。

「なにがあったの?」

「ちょっとした喧嘩……ともかくそんなんどうでもいいんだ。今日は赤橋さんに用があって」

「え……?」

 賢哉が自分に用とはなにか、想像がつかない。


「えっと……悪いけど、藍染さん、外してもらっていいかな?」

「私には言えないっていうの?」

 早紀が不服そうな表情で眉根を寄せた。

「うん、ちょっとね……」

 本郷が頭をかきながら、横目でこちらに視線を投げかけてきた。

「早紀、ここは」

「わかった……」

「藍染さん、ちょっと中で待ってて」

店のドア開いて、早紀を中に入らせた、が賢哉の顔に意識を奪われ過ぎて、わずかにドアが閉まり切らなかったことには気づけなかった。

 賢哉に振り向く。

「私に話って?」

「ああ、その……」

 なにか躊躇いがちに目を泳がせる賢哉を怪訝な視線を寄せた。

「答えたくなかったらいいんだけどさ」

「なに……?」

 賢哉が息を大きく吸い込んで、吐いた。目元に力が入ったように見える。

「桜庭綜士ってやつのこと、教えてもらえないか?」




 午前中だけでもかなり遊び、昼食に園内のレストランまで赴いた。

「ふう……」

「疲れたか?」

「大丈夫、午後は自然エリアの方まで行ってみよう。珍しい動物とかもいるみたいで、なかなかおもしろそ……」

 苦笑したようなリサの瞳に気付いた。

「な、なにかな?」

「いや、綜士っておもしろいな」

「なんでさ?」

「来るまでは落ち着いてたのに、子供みたいに夢中になってはしゃいじゃうから」

 顔に赤いものが拡がっていく。リサを元気づけるつもりが、自分の方が楽しんでしまっていたようだ。

「い、いいだろ、俺だってまだ大人ってわけじゃないんだ」


 聖霊館では小学生たちの手前もあって、彼らの手本とならなければならないと律しているとの自覚はあるが、それで元々の自分を抑圧していたのかもしれない。今日は誰にはばかることもなく本来の自分でいられているからだろう。

「ちょっと安心したよ、もう、大丈夫みたいだな……」

 その穏やかな微笑に、目を奪われた。自分のすべてを許し、受け入れてくれるようなやわらかでやさしいまなざし。胸を内から鼓動が突く。年下のリサから母性感じ取ってしまったことに心がざわめく。

「ああ、その……改めて、昨日のこと謝るよ。リサに教えてもらった武術なのに、喧嘩なんかに使ってしまって」

 リサが指先でこちらの鼻先を押した。もうその話はいい、とうことだろう。

「悪い……」

 手のひらを軽く握る。痛みはなく、腫れもすっかり引いている。


 俺は一人で生きてるわけじゃない、力を行使する場面というのはわきまえないと……。


 この拳を誰かにぶつけなくてはならない時、それは大切な人を守らなくてはならない時、だけだろう。


 午後も散々遊び倒して、ほとんどのアトラクションを制覇したが、まだ回っていないところがある。


 どうしようか……。


 行ってもいいのだが、どうにも切り出すのは躊躇われる。普通に考えて恋人と二人で乗るようなものだろう。

 チラリとベンチで休憩しているリサを見やった。さすがの彼女も疲労の色がにじみ出ている。最後を締めるにはちょうどいい頃合いだが、

「……よし」

 意を決した。

「リサ」

「綜士、次はあれに乗りたい」

 リサが指さした先に首を回す。

「え……」

 機先を制された気分になった。たった今、熟考していた観覧車が視界に入った。

「うん、行こう」

 無駄に意識を回し過ぎていた自分が滑稽に思えた。


「どうぞー」

 スタッフの誘導に従い、二人でゴンドラに乗り込んだ。徐々に高度を上げていき、西方の山々と東方の海が見えてきた。

「うわあ」

 リサが窓に手をつけて、眺望に感嘆の声を上げる。

「あっちが、日之崎?」

「うん、汐浦はあのあたりだな。あっちの丘のほうが元柳で……」

 息を呑んでしまった。中学生の時、あの彼女とここに来た時、同じような会話を交わしたことがあったのを回顧してしまった。

 舌をかんで、自省する。今この場で昔の恋人のことを思い出すなど、リサに無礼だろう。

「綜士、どうかした?」

「べ、別に……」

 腰を降ろしてリサと相対する。

「リサ、どうだった、今日は……?」

「……まあまあ」

 そっぽ向くリサの頬が紅潮を浮かばせた。


「ハハ……そりゃよかった」

 それなりに楽しんでくれたようで、綜士も報われた気分になった。

「あのさ……」

 リサが珍しく控えめなトーンになった。

「うん?」

「もし、元柳にある家を取り戻せたら……どうする?」

「それは……」

 返答に窮する。要するに聖霊館を出ていくのかどうかを問いているのだろう。

「わからない……そうなってから考える」

 それではいい加減なことはわかっているがそうとしか言えなかった。

「そっか……」

 濃厚なオレンジ色の西日が、リサのブロンドにかかる。


「……いいな」

 口からおかしな言葉が漏れた気がした。

「え?」

「……みんなへのお土産買ってこうか」

 とっさに誤魔化した。

「……」

 なぜか黙り込むリサだが、理由など考えるまでもない。ここでの販売品を見せれば、二人で遊園地に行ってきましたと伝達するのと同義であり、それを依織たちがどう捉えるかは自明である。

 そんな繊細な娘だったのかとも思うが、彼女も思春期である。配慮したほうがよいだろう。


「駅前でお菓子でも買って芽衣子に渡しとくか」

「うん……」

 うまく軟着陸させたようだ。

 この施設も計画停電の煽りを受けており、早い時間で閉園する。名残惜しいが、そろそろ帰路につかねばならない。

「リサ、降りたらもう帰ろうか」

「そうだな」

 風を受けて、ゴンドラが揺れる。二人だけの空間、自分の心は今、確かに安らぎを感じている。このまま回り続けて、帰る時を先伸ばしにし続けたい、そう思っている。


 詩乃以外の女の子と、こんなことする日が来るなんてな……。


 悪い癖と思いつつも、詩乃のことをまた想起した。だが、これまでのような疼痛はもう頭に走らない。


 思い出になったから……なのだろうか……。それとも……。


 新しい恋を見つけたから、と思いかけたが、


 そんなわけあるか、リサは家族だ、俺の妹みたいなものだ……そんなんじゃない……。


 額を押えて、思考を新たにした。

 入場口までの大路を並んでぼんやりと歩く。脇にある人工池が噴水を巻き上げ、淡白い輝きを放っている。

 今の二人は、傍から見れば、恋人に見えるだろうか。手をつないで歩く恋人たちが目に入る。大胆にも腕を絡ませて歩く仲睦まじ気な男女も見える。お互いを意識はしているだろうが、真似できるわけもない。こんなところに二人で来ておいて言い訳がましい気はすれど、二人はそういう仲じゃない。



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