(5)
メンテを終えて、今日の予定を考える。ライブハウス巡りもいいが、喜美子から頼まれていたことがあったのを思い出した。
「月坂さんにつきまとってる男ね……」
地域センターで目撃したと言っていた。賢哉の家からは少し離れた場所にあるが、行ってみてもいいだろう。あのテロ事件で月坂一族が逆恨みのような仕打ちを受けて来たことは賢哉も知っている。そうした手合いが差し向けた刺客という可能性も排除できない。
「なんてったっけな……」
喜美子が男の特徴をなにか述べていた気がするがどうも思い出せなくなっていた。エスカレーターを下っている途中、吹き抜けの下の一階ホールから演奏の音を耳が捉えた。
「お……」
自分とさほど年の変わらないインディーズの学生バンドのようだ。
「そっか、ライブハウスばかりが歌う場所じゃないんだ」
どこか流しで歌えるような店を探してみてもいいかもしれない。携帯を手に持ったところ、
「ふっ!」
エスカレーターが到着したことに気づかず盛大につまづいて前のめりに倒れ込みそうになり、
「やべ……!」ぶつかりそうになった誰かを避けたところ、ギターをかばうように床に手をついてしまった。
「あ……だいじょぶ……ですか……?」
頭の上から声がした。とっさに身をかわした相手だろう。
「いえいえ、こちらこ……」
辺りが静まり返ったように感じるほど、眼前の人物の確認に全神経を集中させる。
「……?」
怪訝な表情を浮かべたのは、
「は……はわ……!」
まぎれもなくあの時、出会った金髪の少女、日聖リサであった。
「どうかしました?」
キョトンとした表情になるリサ、賢哉の顔を覚えてはいなかったようだ。
「あ……」
あまりの事態に賢哉も言葉が続かなくなる。再会を切望してはいたが急すぎる。
「お、お、おれ……!」
「へ?」
逸る心音を無理やり押さえつけると、
「う、うぉんちゅー!」
実直すぎる思いが喉の底から這いあがってしまった。
「……」
真顔になるリサ。変人に声をかけてしまったと思ったのかもしれない。
「い、いやその、俺、この間、サンクチュアリ汐浦って店で会った男なんだけど!」
大きな手振りで慌てて取り繕う。
「え? ……ああ、あの時の……えっと」
「ほ、本郷! 本郷賢哉です!」
「ああ、そうだった……そうでしたね」
リサが髪をかき上げる。そのわずかな一挙動ですら生唾を呑み込むほど美麗に見えた。
「い、いやあ、こんなところで会えるなんて……。アッハッハ!」
「ハァ……」
「俺、上の楽器店でギターのメンテナンス頼んでたんすよ! ひ、ひ、日聖さんは……」
「ああ、オレは家族で買い物だけど」
彼女は一人称がオレ、らしい、がそれすら愛おしく思える。
「へえ、ご家族と……」
辺りを見回す。
「今ちょっと外してて、すぐ戻ると思うけど。えっと、結奈もいますよ」
普段なら遠慮して去るところだが、この千載一遇の好機を逃がしたくはない。
「日聖さん……」
「ああ、リサでいいですよ」
「え、ええ、俺も賢哉で……。楽に話しましょ、それで……」
「はい?」
交流の糸口を必死に模索する。
「今度俺と……」
「……それ」
リサが、賢哉が背負っているギターケースに視線をすべらせた。
「ああ、これ」
ケースを開く。メンテを終えたばかりのギターを取り出して見せた。
「ギターですかそれ、本郷さんバンドかなにかやってるの?」
「うん……。追い出されちゃったけどね……」
「え?」
「ハハ……俺、学校の軽音部でバンド組んでたんだけど、ちょっと調子に乗り過ぎてたところあったみたいで、まあ三行半ってやつだよ」
思い返すも胃が痛くなる思い出である。
「そりゃまた大変でしたね、えっと本郷さん高校は……」
「け、賢哉でいいから」
とはいうもののリサに名前でなんて呼ばれたらそのままゆで上がってしまいそうになる。
「学校は啓吾さんと同じとこっす、嶺公院高校」
「……」
リサが一瞬、硬直したように見えた。
「あの……」
「ええ……」
妙な間が挟まった。
「リサ……ちゃん、今度、ライブ聴きに来てくれないかな?」
思い切った。くどくどと回りくどい手を使うのはやはり性に合わない。
「ライブですか?」
「うん、チームブレイクの話をしたばかりでこんなこと言うのもなんだけど、ソロであちこちのライブハウスで歌ってて、よかったら結奈ちゃんと一緒に」
「結奈がどうかしましたか?」
聞き知った声が背中を叩いた。
「あ……ほわぁ!」
「ほわぁ⁉」
いつのまにか天都結奈が背後まで接近していた。二人で間抜けな叫び声をあげる。
「ゆ、結奈ちゃん、なにやって……」
「そんな驚かなくても……こんにちは賢哉さん、お買い物ですか?」
「ああ、ギターのメンテで……」
「ああ、バンドマンでギタリストでしたね、賢哉さんは。お兄ちゃんよく言ってましたよ、ちょっと口数が多くてやかましいけど音楽に関しては一生懸命なやつって」
「アハハ……」
やや頬が赤らむ。
「ふーん、結奈みたいだな」
「なんですと⁉ 結奈がやかましいと⁉」
周りの目を引き始めるほどには十分やかましい。
「そういうとこがだよ、ほら……あ、綜士」
「え?」
リサが目を向けた先から誰か歩いてくる。
「……」
大きなマスクをつけた男が一人、小さな女の子を連れてやってきた。
「リサちゃんたち、ごめーん」
依織が情けない声を上げる。
「悪い、待たせたな……うん?」
その先に、一人の男がいた。短髪でギターをもったどこか軽そうな印象を受ける。
「ああ、俺は……」
男が名乗ろうとしたところ、気づいてしまった。先ほど不法に貼られたあのポスターを引きちぎったあの男に違いない。
「本郷賢哉です、高校二年」
ということは、綜士と同い年ということになる。軽く会釈をする、
「桜庭綜士」
何の肩書もない高認浪人の身なのでシンプルに名前だけを名乗る。なんとなく惨めな気分になった。
「結城依織です……こんちには……」
依織も頭を下げる。人見知りするタイプなのかどこかおどおどした声音であった。
「綜士くん、本郷くんはお兄ちゃんのお友達で汐浦に住んでるんですよ」
「へえ……?」
どこかリサの顔がこわばった気がした。
「そうっす、啓吾さんには中坊の頃から世話になってまして、えっと桜庭さんも啓吾さんのお知り合いで?」
「……いえ、知りません。一度顔を会わせたことがあるだけで……」
天都啓吾、嶺公院高校の生徒で隆臣とも関りがあるようなので接触は避けている。賢哉という男がなぜか怪訝な表情を浮かべた。
「本郷さん、綜士くんは最近、えっと……リサちゃんたちと暮らし始めたばかりで」
「そうなんすか、家庭の事情で今まで別々に?」
「え……?」
目を細めた。この男は一体なにを言っているのだろう。
「それはその……」
口ごもる結奈。
「あ、あの本郷さんオレの家っていうのは……」
「ああ! そういや苗字違いますもんね、親同士再婚したとかそういう事情でしたか」
本当にわけがわからなくなってきた。
「いや、そういうんじゃなくて……」
「うん? ご兄妹なんですよね?」
兄弟?
「兄弟って誰と誰が……?」
とうとう声に出して聞いてしまった。
「だから、リサちゃんと、桜庭さんが」
「……違う!」
声を張り上げたせいで、思わずむせそうになった。
「へ? 違うというと」
「お、俺はリサの兄じゃない……ってみればわかるでしょ⁉」
自分に妹がいたとして金髪碧眼になるわけがない。
「い? でも、一緒に暮らして……」
「だから……! 本郷さんでしたか。俺は色々と複雑な事情でリサの家に住まわせてもらってる身の上なんです。それで…?」
本郷、という男が停止した。瞬きもせず、生命活動そのものが停止しているかのごとく棒立ちになっている。
「あの……?」
「つ、つ、つまりお二人は、同棲っちゅうか同棲っちゅうか……」
目の周りの筋肉をひくひくさせながらなにかを口する本郷。
「はい?」
「はい、綜士くんとリサちゃんは一つ屋根の下で愛を温め合っているんです」
リサが結奈を羽交い絞めにするが、賢哉の視線はふらふらと宙を漂っている。
「あのですね……!」
らちが明かない状況にイラついて、マスクをはぎ取った。
「俺たちの家っていうのは……」
賢哉が目を丸くして綜士の顔を凝視していた。相当驚いている気配がある。
「その顔……」
「え? ああ……ちょっと事故でもらった傷、だけど」
「……あんた、名前なんつったっけ……?」
賢哉の雰囲気が変わった。声音に敵意、のようなものをかすかに感じる。
「だから、桜庭……綜士だけど……」
「……どこ中出身?」
なぜそんなことを訊くのだろうか。
「……元柳第一中学だが……」
「……ふーん」
なにかをいぶかるような表情、どこかで会ったことがあるか記憶を探るが初対面としか思えない。
「賢哉さん?」
リサが賢哉の発する気が固くなったのを感じ取ったのか、目元を寄せた。
「ああ、ごめんリサちゃん、そろそろ行くよ」
「ええ……」
賢哉がギターをケースに丁寧しまう。視線を外されたままでも綜士に対して警戒するような気を発しているのが肌に伝わってくる。
「そんじゃ失礼します、結奈ちゃん、リサちゃん、依織ちゃん」
綜士の名前を外したのになにかの意図を感じる。わずかに距離をとった賢哉が振り返った。
「リサちゃん、今度遊びに誘ってもいいかな?」
「え?」
「よかったら考えといてよ、啓吾さんか結奈ちゃんに連絡入れとくから」
そういうと去って行った。賢哉の背に視線を送る。
なんだ……あいつは……。
なにか不穏なもの感じる。
「ぬっふっふっふ……」
今度は結奈の不穏な声が横合いから流れてきた。
「ライバル登場かもしれませんね、面白くなってきちゃった」
「なにを言ってる……。行くぞ」
三人を先導するように歩く。本郷賢哉、という男が何者か気にはなるが表情には出さないように努めた。
エスカレーターが一階に到達するや、賢哉は口に手をあてた。
「桜庭綜士……だったな」
顔にはかなり熱傷の跡が見えた。喜美子のいっていたあの不審者と一致する特徴である。加えて、隆臣、瑞樹と同じ中学校の出身、もう確定と見ていいだろう。あの時、嶺公院前でバスケ部と悶着を起こした男に間違いあるまい。
「結奈ちゃんの知り合いだと……?」
意外過ぎる線だった。加えて、日聖リサと同居しているときたものである。
それがなんで月坂さんに……。
なぜ月坂詩乃につきまとうようなことをするのか理解が追いつかない。あの、賢哉にはそう思えるだけだが、絶世の美少女と暮らしておきながら別の女に執心を抱くなどあり得ないことのように思えた。
思考を巡らせながら歩く。
「なんにせよ……」
あの男がこれから挑む自分の恋路の大きな壁になるとはっきり認識した。
「ふっ……壁が高ければ高いほど乗り越えがいがあるってもん……ぶっ!」
前方不注意により、積み上げられた店舗前の空の段ボールに身を突っ込ませてしまった。
適当に遊んだ後、帰路についた。夕暮れの街、木々が葉を落とし始め、秋の色彩模様が深化していく。長らく時の流れの外にいた綜士にとっては冬が明けて秋になるという不思議な感覚だった。
「ねえねえリサちゃん、さっきの話どうするどうする?」
「なにがだよ?」
結奈が段差の上に乗りバランスを取るように両手を広げた。
「賢哉さんのこと」
「……」
本郷賢哉という男の顔を思い出す。リサを遊びに、要するにデートに誘いたいと言っていた。
「ああ、別に……」
興味なさげに目を閉じるリサ。
「ふーん、リサちゃんに興味あるみたいだけど」
依織は黙って歩きつつも、聞き耳を立てているのがバレバレだった。
「こっちはそういうの興味ないから」
「……?」
リサの声がやや硬度を帯びたのが気になった。
「そっか、そうだよね。でも賢哉さんから連絡来たらどうする? 嫌ならそう言っとくけど」
単純で軟派な性格ではないのだろう。それならあの時、リサに彼女自身の連絡先を訊こうとしたはずである。
「……啓吾兄の友達だろ。一応知らせといてこっちで対応する」
「お兄ちゃんに気をつかうことなんてないよ」
「啓吾兄やおばさんたちには世話になってるから……」
「うん、わかった」
やはり結奈の兄、天都啓吾もアルクィンの仲間、と考えていいのだろう。このまま綜士一人が関わらないようにするのは難しいかもしれない。
そもそも俺がすべてをみんなに話していないからだ……。
心の奥で自分自身を苛む。しかし、隆臣や瑞樹との確執を話す以上、彼女のことも話さざるを得なくなるのは当然の帰結になる。口にしてしまえば、それだけで死にたいような気さえしてくる。
「お兄ちゃん……?」
「え……? ああ、どうしたの依織」
「……ううん、ところで」
「うん?」
「なんで私は呼び捨てなの? 美奈はちゃんづけなのに」
「あ、ああ……」
いつのまにかそうなっていた。リサと結奈も関心をにじませた視線を寄せてくる。
「あの、別に嫌だってわけじゃないんだよ。どうしてなのかなーって」
呼吸が安定していることを確かめてから、軽く息を吸って吐いた。
「前に弟のこと話したよね」
「うん」
「俺の弟も、いおりって呼び名だったんだ。桜庭伊織……漢字は依織ちゃんのとは違うけどね」
「……」
リサがかなり集中して聞いているのが感じ取れた。結奈もなにかを察したようだ。
「それで、その頃の習慣っていうか……。その、失礼だったよね。ごめん」
「ううん、いいの。これからも名前で呼んで……お兄ちゃん、フフ……」
どことなく寂しげでやさしい依織の微笑。依織が肩を寄せてきた。小さな手の指先が綜士のそれに絡む。
「ありがとう……」
なんら抵抗感も感じずに受け入れた。
手をつなぎながら歩く綜士と依織、道行く人が見れば、やはり兄と妹にしか見えないだろう。
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