(4)
「こんなところか……」
量販店で肌着を買いそろえた。眠っている間も、背は伸びたようで昔よりも一回り大きいサイズを要するほどになっていた。
はやく家に帰れるようになれればな……。
実家は相変わらず不法に転得した不動産会社に施錠されたままになっており入ることができない。しかし、道の話によるとかなり折れてきているという。テロの混乱に付け入った盗難物を占有しているという体裁の悪さが理解できてきたようで、返還の意向を示唆しているというが、その代償に犯人が逮捕されるまでの保証金を要求してきたとも聞いている。あまりの図々しさに憤激すると同時に、いかなる譲歩もしないという意向を、郁都を通じて先方にはしらせてある。郁都も同感と述べて、逆に不法占有期間分の代償を要求することにした。事態の解決にはまだ少し時間がかかるようだ。
でも……。
立ち止まる。一つの想像が胸に去来した。
もし実家に帰れるようになったら……。
それは聖霊館とみんなに別れを告げる日になるはずである。
足を止めて、地面を見つめながら思索を重ねた。
実家に戻って一人きりの生活を桜庭邸で始める、というのはあまりにも寂しい気がした。もうあの家には綜士の帰りを待つ家族は一人もいない。孤独と哀愁に苛まれながら生きていくことができるのだろうか。
頭を振って、考えるのを中断した。そういう境遇で生きている人間は決して自分一人ではないのだと言い聞かせて心中の動揺を鎮める。
リサたちと合流する三階の中央ホールに行こうと思った時、吹き抜けしたの一階で鈴が鳴る音を拾った。そこでなにかをじゃらじゃらと回す人をみて思い出した。
「あ、そうだ」
芽衣子から福引券を渡されていたことに気づき、先に済ませて置こうと決めて、一階ホールに足を進めた。
「これ使いたいんですけど」
「どうぞー」
年季の入ったガラポン抽選器をガラガラと回す。ティッシュ、石鹸、おもちゃのヒーローマスクなどなど、五等の白玉ばかりが出たところ、
「お」青玉が出た。
「おめでとうございまーす! 特等、遊園地ペア券になりまーす!」
スタッフが鈴を盛大に鳴らしながら、祝福してくれたもののげんなりした気分になった。独り身の綜士がもらったところうれしいものではない。
大量に引いた景品とともに待ち合わせの五階ホールに向かった。
どうするかこれ……。いっそ換金するか……。
などとぼんやり考えながらエスカレーターに運ばれる。なにかの業に翻弄されている気分になった。
中央ホールでリサたちの姿を認めると、遠慮がちな足取りで近づく。向こうもこちらに気づいたようで、依織が紅潮させた頬をうつむかせた。
「その……終わったのか?」
「おう、活きのいいが手に入ったぞ」
魚でも買ったのかと言いたい衝動をこらえてチラリと依織に視線を移すと、高速で二回頷いた。
「ンモー、そういうことなら最初から言ってくださいよ」
結奈がニヤニヤしながらこちらを見てくる。言えるわけがないだろ、という言葉を吞み込んだ。
「えっと、それじゃどこかで昼食にしようか?」
話題を変えるように提案した。
「う、うん……」
依織が口元を鞄で覆いながら同意してくれた。
「なに食べますー?」
結奈が案内板を、首を回しながら見渡した。
「あまり高いもは……ね」
リサと依織がうなずく。他のみんなへの遠慮もあるので簡単なもので済ませることにした。
「向こうのあれでいいだろ」
リサが目をやった先に、大型のフードコートが見えた。多数の店舗が構えており、親子連れや学生客で賑わっている。
「ああ、いいかな二人とも?」
「はいです」
「うん」
「はぁ……」
ガラスケースの向こうのギターをうっとりと見つめる。老舗メーカーのビンテージ・モデル、大観衆が熱狂するステージでこれを引けたんなら成仏してもいい。もっとも値段のほうは高校生の自分などお呼びではない高値の花である。
「いいなぁ……」
届かない思いに身を疼かせる。
いつかものにするこのギターとあの運命の……、
「本郷さん、仕上がりました」
「はいはい」
店員に呼ばれて駆け寄った。
「ぬふふ、一段と美しくなったじゃないか相棒」
光沢の張った愛用品をにやけ面でケースに収めると店を出た。
「さて飯にしますか……」
今日は、メンテついでにこの辺りのライブハウスをはしごして飛び込み影響をかけるつもりでいる。どこかメンバー募集をしている市中のバンドを見つけてもいいかもしれないが、その前に腹ごしらえである。
一人でも目立たないファーストフード店を見つけて、4階に降りたところ、
「あ……」
見慣れた制服の一段を視界に捉えた。嶺公院高校の生徒、それもかつて賢哉も所属していた軽音部の面々と見受けられる。彼らもこの休日に楽器のメンテナンスに来ていたのかもしれない。
「……」
元々他人の目など気にする性質ではない。彼らがこちらに気づいたところで堂々と挨拶すればいいと思うが、あの冷え切った元メンバーたちの目を想起して足が床に張り付いてしまった。
袂を分かった間柄とはいえ彼らの気分を害するのは本意ではない。踵を返して向かいのエスカレーターで下に向かうことにした。
「そんでシスターがいうんですよ、あなたは人の話を聞かないからそうなるんですって、ひどいですよねー」
まったくもってその通りだと思いつつ、カフェオレを口に運んだ。
フードコートの一角で食事を終えても、結奈の口はハムスターを乗せた滑車の如く間断なく回り続けている。
会話のリリーフを務めてくれるのはありがたいのだが、いい加減くたびれてきた。リサは慣れているのか黙って携帯をいじりながら聞いている。依織はまだソワソワした様子で人生初めてのブラが入った紙袋を後生大事に抱えながら相づちを打っていた。
「ねえ、いおりん」
「な、なに、結奈……ちゃん」
「ゆいなんって呼んでよ」
「……それはちょっと……」
どっちが小学生かわからなくなってきた。
「来年はセントアンナに来る?」
「……うん、たぶん」
この間、芽衣子とも同じ話をしたことを思い出した。聖霊館と聖アンナ教学舍は設立母体が同一であり今も結びつきがある。
「クラブとかもう決めてる?」
「え……」
「もしよかったら、うちのセントアンナ劇団に……」
「おい、まだ早いだろ。そういうのは」
リサが軽く諫めた。
「ああ、そうだよねごめん、でも有望株は早いうちに青田買いしておきたくて」
「私、上がり症だから演劇はちょっと……」
依織が、左右の人差し指の指先をくっつけ合う。
「向いてると思うけどなぁ、そろそろリサちゃんも本格的にやってみない?」
「やるかよ。部活なんて……」
一瞬、リサの表情が険を帯びたのが垣間見えた。
「……ねえ、リサちゃん」
結奈の声が少し変わった。
「なんだよ」
「もう、走らないの?」
「……」
沈黙、走る、とはどういう意味なのだろうか。それとなしにリサの方に視線を向けると、リサは黙って首を横に振った。
「そう……それとそろそろカレンさんの……」
「……大丈夫、心配ないから」
「……?」
二人がなにを話しているのかよくわからない。気づくと隣にいる依織もなにやら重い顔つきになっていた。
「そろそろ出るぞ」
リサが会話を打ち切るように時計に目をやってそう述べた。
「この後どうしよっか、ソーニャ?」
店を出たところで、結奈が綜士の顔を見て訊ねた。
誰がそーにゃだ……。
「せっかくだし、少し遊んでってもいいだろ」
前を歩くリサが、肩を揉みながら言った。
「うん」
「そんじゃあ、アミューズメントコーナーの方に行きましょ」
結奈が指し示した二階の接続通路の先の建物はゲームセンターやスポーツ施設などが入居している。暇つぶしにはもってこいだろう。
「……」
中学の頃はよく、友人たちと行ったものである。
「綜士さーん、いいですかー?」
「え? あ、ああ、行こうか」
リサの視線を一瞬感じ取った。
「おっと?」
携帯に着信、芽衣子からのメッセージだった。夜は少し遅くなるから、夕食は冷蔵庫に作ってあるので温めて食べるようにとの旨であった。
「ふーん、なにやってんだろうな、芽衣子のやつ」
リサも携帯を手にしていた。彼女も心当たりは特にないようだ。
「……まあ、別にいいだろ」
瞬が言ったように男がらみという可能性も排除できない気もするが、芽衣子に限ってそんなことがあるだろうかとも思ってしまう。
「芽衣子さんになにが?」
結奈がキョトンした表情で覗き込んできた。
春かもしれないと、胸裏で思ったが声にはできない。
「お姉ちゃんがどうかして……あれ……」
依織がポケットに手を突っ込みながら、なにかあくせくしている。
「え……?」
「なんだよ依織?」
「な、ない……!」
「ないって……なにが?」
真っ青になりながら鞄に手を突っ込み依織。
「け、け、携帯……!」
「なに、落としたのか?」
「ど、ど、どうしよう!」
涙目になりながらパニックになる依織。
「お、落ち着いて……こんなときのためのGPSだろ」
「おー、冴えてますね綜士くん」
結奈が大仰な手振りで、述べる。
「……るさい」
場所を確認すると、すぐ近くに位置情報を捉えた。おそらくさっきのフードコートの座席に置きっぱなしにしてしまったのだろう。
「さっきの所だ、ちょっと行ってくる、三人は待ってて」
身を翻して、速足で向かおうとしたところ、
「私も行く……!」
依織もついてきた。
「オレたちは……」
「すぐ戻るから……!」
二人でフードコートまで向かうことにした。
幸いあっさりと依織のスマートフォンは見つかった。
「よかったー」
依織が安堵の時を漏らす。手荷物に意識を配り過ぎて、うっかり懐からこぼしてしまったというところだろう。
「お兄ちゃんごめん、ありがとう……」
「いや、見つかってよかった、戻ろう」
「うん」
再び店を出たところで、
「……ねえ、綜士お兄ちゃん」
依織が控えめな声音で訊ねてきた。
「うん? どうしたの?」
「お兄ちゃんって絵を描くの?」
「ああ、中学までは少しやってたね、コンクール目指してたとかじゃなくて、趣味みたいなもんだけど」
「わ、私も描いてる……!」
依織が立ち止まった。
「え?」
「わ、私ね……絵を……」
「ふーん、そうだったんだ」
「リサちゃんしか知らないの! みんなには言わないで!」
「あ、ああ……でも」
隠すようなことでもあるまいと思う。
「別にそんな……知られたっていいんじゃないの?」
「ちょっと恥ずかしいから……。私のってその……ちゃんとした絵じゃなくて……」
「ちゃんとした?」
「だから……漫画みたいな……絵で……」
「ああ……」
要するにアニメや漫画のイラストを描いているのだろう。
「別に普通の趣味だと思うけど」
「うん、ありがと……」
誰かに話したかったのかもしれない。
「えっと、紙に直接描いてるの?」
「うん、いつかペンタブで描きたくて少しずつお小遣いためてて」
「ああ、そうだったんだ」
「お兄ちゃん、ペンタブ使ったことある?」
「ああ、学校にあったな。俺はあまり使わなかったけど」
美術部よりも漫画研究部で用いられるのがほとんどであった。
「フフ、今度、絵教えてもらってもいい?」
「え……? 別にいいけど、俺なんかより参考書見た方がずっとためになるとおもうけど」
「教えてー」
「う、うん……」
ドキリとした、ねだり声で弟を思い出してしまった。
ペンタブか……。
自分が買ってあげても別にいいのだが、それなりに値の張るものである。芽衣子と相談して決めた方がいいだろう。
「そろそろ戻ろう、リサたちが待ちくたびれてる」
「うん!」
人懐っこい笑みを浮かべて依織が綜士の左腕に組み付いた。はたから見れば仲のいい兄妹だろう。そのこと自体は嫌でもなんでもないが、
「……」
業火に消えた弟の伊織のことを思えば、なんとも言えない気分になった。
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