(4)

 蓮華児童園、汐浦にある児童養護施設の中では最大規模で、30人を超える小中学生が生活の場としている。同盟で作戦を練る時は、ここを拠点にしていた。

「こんにちはー」

 インターフォンで勢いよく挨拶する。

「あら、瞬くんね。こんにちは」

 職員の人が応対した。何度も来ているので声と名前を憶えられている。

「お久しぶりです一橋です、清秀たちと約束しているんですが」

「ええ、聞いてるわ、どうぞ中へ」

 門が開かれた。


 さっそくここの大部屋を借りて、岡部シメる会議を開始した。職員たちには勉強会という名目を伝えており、中でやっている議題にも気づかず微笑ましくガラス窓の外から見守っている。

 まずは清秀が昨日までの分析結果を示した。

「結論から言うが、岡部はただの雑魚だ。運動も勉強も下から数えた方がいい程度のランクで、仲間もほとんどいない。そんなのが二学期からいきなり、イキりはじめたのは今のヒエラルキーから這い上がりたかったからだと思う」

 不良めいた上級生に触発されて、暴力と恫喝というこん棒を手にすれば人を支配できると思い込んだのだろう。特に南小に多い施設住まいの同級生をターゲットにすることが多いという。蓮華園の生徒も被害にあっている。一方で担任は岡部の豹変ぶりがなんなのかよく理解できず、適切な指導を行えなかったようだ。

「だから俺たちでしつけてやる」

 清秀が妖しい微笑を浮かべた。既に件の上級生、つまり瞬たちの同級生たちとは話がついており、彼らも岡部をパージすると明言した。同盟を敵に回したくはなかったのだろう。外堀はほぼ埋まった。後は明日の実戦に備えた具体的な襲撃のプロセスの構築である。


「ちょっと見てほしいんだが、ここは草が長くて少しかがめば、ほぼ隠れられる。この物置小屋は放置されたままで中に五人くらいは入れると思う」

 携帯で撮影した土手の映像を見せて説明する。

「土手の上じゃ人目につくかもしれないから、できれば川側におびきだしたい」

 プランとしては小柄な下級生に岡部らを挑発させておびき寄せる案が採用された。乗って来なければ後は力づくである。

 会議は白熱して多くの児童が、興奮気味に自分の考えた案を述べたり、力があることを訴えた。私的制裁という、やろうとしていることの社会的な是非はともかく、一つの目的を設定することで連帯と使命感を確固たるものとしたのである。蓮華園以外からも、家庭環境に問題がある同盟の児童が参加する。かの無智暴虐な岡部の南小での命日は明日になった。


「岡部とかいうゴミは俺がタイマンでやる。みんなは他のやつらが逃げないように詰めてくれればいい」

 一人の少年が踏み出した。

「俺がやりますよ、同じ五年ですし。前からあいつに……」

 屈辱的な言葉を浴びせられたという。彼の気持ちもわかるが、ここは譲れない。

「やつはうちの仲間に手を出しやがった。だから俺がやる……」

 自分の手で打ちすえねば気が済まない。

 時計はいつのまにか6時半を回っていた。伸治に遅くなるから夕食は先に済ませておくようメッセージを送っておく。

「それじゃ、明日は予定通りに」

 清秀が最後の確認をすると全員で気炎を上げた。


「はぁ……」

 ベッドに横たわり、疲労の吐息をもらした。同室の芽衣子は夕食の用意をしており、今はいない。

「もう平気かな……?」

 寝っ転がりながら引き出しから手鏡を取り出して、右口元を映す。まだ少し、腫れている。まだ少し細工する必要があるだろう。

 昨日はケガをバレないようにするため、部屋に引きこもっていたので勘のいいリサは不審に思っているはず。同室の芽衣子はまだ気づいていない、と思う。


 昨日の球技大会の件を思い出すと胃が痛くなる。ポートボールで、クラスメイトの竹井に散々無茶振りされて、エラーの度に嘲られた。加えて、あの乱暴者の岡部にソフトボールをぶつけられて、出血沙汰にまでなった。保険医からは説明を求められたが、たまたまボールが顔に当たっただけと述べた。

 自分は昔から理不尽には慣れている。この程度のことで音を上げることはないし、聖霊館のみんなに心配をかけたくもない。


 でもどうして竹井さんたち……。


 自分をこうも嫌うのだろうか。話したことすらろくにないというのに。マイペースで陰気なところがあるのは自覚している。だからクラスではなるべく目立たないようにしているのだが、そういう人間こそ気に入らないという人もいるのかもしれない。


 あ……そうだ……お風呂……。


 昨日は風邪気味という嘘をついて、入らず湿らせたタオルで体を拭いただけにした。さすがに今日はシャワーくらいは浴びたい。傷を見られないようにするには、先に風呂に入ってしまった方がいいだろう。されど問題がある。

「うーん……」

 一階は芽衣子たちが夕食の準備に勤しんでいる、手伝わずに自分だけがシャワーを浴びるというのはバツが悪いし気が引ける。そんなことを気にする二人ではないにせよ、異変を察知されるのもまずい。

「そうだ……」

 綜士はいつも、普段自分たちが使わない二階のシャワー室を使っている。自分もそこで静かに済ませてしまえばいいだろう。

 夕食の用意が整えるまでにことを終えようと、タオルと着替えを持って部屋を出た。

 二階のトイレのある廊下のさらに先にシャワー室はある。音をたてず、気配を殺してひそやかに進む。

「よーし……」

 ステルスに成功した心地でドアを開いた先にいたのは、


「……」

 完全に固まってしまった。下半身にタオルを巻いたまま鏡とにらめっこしている男が一人、綜士以外の誰でもない。階下に気を配り過ぎて中に誰かがいるかもしれないという意識を向けるのを怠ったようだ。

 こちらに気づいてはいないが、今出ていけばたぶん気づくだろう。


 わ、わ、私……変な子になっちゃう!


 男の裸を盗み見るのが趣味の変な女の子と思われてしまう、かもしれない。

 まだ綜士は勘づかない。美奈もどう動くこともできず地蔵のごとく佇立するだけとなった。

 まじまじと綜士の体を見る。広い肩幅、ざらついていそうな肌質、


 お姉ちゃんたちとは違うんだ……。


 男なんだから当たり前と言えば当たり前だが、年上の男の裸体をここまでつぶさに観察した経験はなかった。


 あれって……。


 体の左部分が赤黒く染まっている。火傷の痕跡だろう。


 ……痛そうだな。


 一体なにが原因であんな傷を負ったのか気になり始めたその時、

「え……?」

「あ……」

 綜士が振り返った。 

「……」

 無言で見つめあう形となる。

「あ……えっと……」

「はい……」

 視線をそらせないまま、言い訳をどうするか頭をフル回転させた。

「み……美奈ちゃん……?」

「はい……」

 もう少し待ってほしい。


 まずい……! 


 今はファンデを落としたままだったことに気づいた。顔を見られれば口元の切り傷を視認される。

「な、なにか……用でも……?」

 慌てて口元を押えながら、当惑する綜士に背を向けた。

「あ、えっと……こ、こ、こ……」

「こ?」

「ここ、つ、つかわ……せて……」

「あ、ああ。ちょっと待って着がえるから……外で待っててもらってもいい……?」

「は、は、はい……」

 綜士が着がえるまで外で待っていればいい、なぜそれを思いつかなかったのだろうか。ロボットのような足取りで廊下に出る。ほどなく綜士も着替えを終えて、火照った体から湯気を発しながら出てきた。


「えっと……」

 遠慮がちな綜士の声、とりあえず怒っている気配はない。

「あの……俺、終わったけど」

 男の体に興味がある女の子と思われたらどうしよう、と考えつつ、即興で思い立った弁明を披露することにした。

「し、下のお風呂場がまだ用意できなくて!」

 理由としては苦しいとは思うが、そういうことにした。

「今日はたくさん汗かいて、はやく体を洗いたくなったからここに来たんです!」

「あ、ああ……」

 果たして彼は納得してくれたのだろうか。

「そ、それじゃあ、どうぞ……」

「はい! ありがとうございます!」

 綜士に背を向けたままカニ歩きでシャワールームにインすることに成功した。自分の間抜けさを呪いながら、頭を叩いた。


 伸治はつま先を床に何度叩きつけていた。夕食が終わっても、一向に瞬が帰ってこない。さすがに芽衣子たちも不審に思い始めたようだ。蓮華園であの岡部についての対応を話し合っているのは知っている。

「瞬、遅いね」

 テーブルを拭きながら芽衣子が時計に目を向けたのが見えた

「なにやってんだあいつ?」

 リサの視線を感じる。

「……もうすぐ帰ると思うから……」

 祈る気持ちでそう述べたその時、ドアが開かれる音がした。

「ただいまー」

 瞬が帰ってきた。安堵の吐息を漏らす。ひょっとしたら今日のうちに岡部を退治しに行ったのではと不安になっていた。

「瞬、遅かったね」

「……うん、ごめんちょっと、遊びすぎちゃって」

 取りあえず、瞬の様子は落ち着いている。様子を窺おうとするとこちらに目配せがなされた。後で話そう、と受け取っていいだろう、その後は、瞬の夕食に付きあう形で他愛もない夜の歓談となった。


 風呂を出て、2階に上がると廊下の開けた場所で瞬が外に視線をやりながら、段差の部分に腰かけていた。

「瞬……」

「明日の放課後、岡部をシメる」

 あっさりそう告げられて、呆然とした。振り返った瞬の顔は感情の色を表してはいないが、瞳の奥は凍りついているように見える。

「反対するか……?」

「し、しないよ! でも……」

 他に手を尽くしてからでも、と口に出しかけたが、瞬が蓮華園まで赴いて同盟での会議にまでなった以上、もうその段階は過ぎたということだ。あの岡部なる悪童には腕力で思い知らせるしかないと合意をみたのだろう。。


 伸治は暴力が苦手だった。映画でのアクションシーンを見るだけで、胃が痛むほど線が細い。同盟にも加入していないが、瞬が同盟の人間であるためその恩恵を少なからず受けていることは自覚している。

「美奈のために……?」

「それもあるが、あのカスは他にもいろいろやり過ぎた。多方面から恨みを買っている」

 段差から降りて両手を揉む瞬、自ら制裁を下すという意思表示に他ならない。


 瞬の過去は伸治も個人的に聞かされており、ある程度は知っている。警察官である父親がなくなってからの児童相談所での峻烈な虐待、そこから追い出されて河川敷で生活したという凄絶な経験、こうした経緯から自己防衛の嗅覚に秀でている。今、岡部に落とし前をつけさせないと、美奈に取り返しのつかないことも起きかねない。観念の吐息をもらした。

「わかった、僕も行くから……」

 瞬だけに汚れ仕事をさせるわけにはいかない。まして聖霊館の住人に害をなした以上、ここの男手である自分が行くのは当然のことと決意した。

「伸治は同盟に加入しているわけじゃないんだから、無理にとは言わないけど」

「いや、行くよ……! 瞬だけにそんな……」


 瞬は荒事が苦手な自分を気遣っているようだが、見栄ではない、自分の義務と言いきかせたところ、影が横合いからぬらりと現れた。

「あ……綜士兄さん……」

「ああ、どうしたの二人とも?」

 瞬ともども、しまったという顔になる。興奮して綜士の気配に気づけなかった。

「……明日の学校のことでちょっと」

 瞬が誤魔化した。この話を綜士にすればきっと自分たちを諫めるだろう。

「そう……。俺は明日は、図書館か地域センターだと思うから」

「はい」

「……それじゃあ、お休み」

「うん、お休み綜士兄ちゃん」

 綜士が部屋に戻っていく、自分たちの会話を聞かれたのではと冷や汗が出た。

「ともかく、僕も付きあうから」

「わかった、明日は放課後委員会があるから、一足先にふけてから聖霊館前に集合だ」

 依織と美奈が帰ってこない間に準備する気だろう。この時間帯なら芽衣子やリサもまだ学校のはずで、綜士も図書館にいると言っていた。覚悟を決めて、拳を固く握った。


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