(3)
教室を出てくる美奈の姿を認めた。
「あ……瞬……」
「美奈、帰る……」
言葉が止まった。美奈の口元を見る。絆創膏が貼られていた。
「え、えっとね……ちょっとボールが顔に当たっちゃって……」
「そうか……」
介添えの同級生数人がなにか言いかけたが、断念したように見えた。彼女たちに礼を言ってから美奈を伴って正門まで向かう。
正門近くでは、伸治と依織が不安そうな表情で待機していた。清秀が歩み寄ってきた。一瞬、美奈の顔を見てから、
「瞬、あの件は明日蓮華園でまた……」
そう述べた。
「ああ……」
今日は美奈についていてやれ、ということだろう。清秀に心中で感謝して、帰路についた。
帰宅途中で、今日の球技大会について話すことなった。
「そんで、瞬がガンガン点決めてさ」
「うん、見てたよ、すごいね瞬は」
どこか儚げな微笑を浮かべる美奈。
「まあ、別に……」
普段なら得意になって語ったのだろうが、そんな気分ではない。美奈はやはり昼に起こったことを話す気はないようだ。
美奈はわかってない……!
内心でそう叫ぶ。ああいう手合いは反抗の意思を示さなければ際限なく調子に乗る。常にクラスの主導権を握るためにマウントを取れる相手と見るや、どこまでも加虐的になれるのだ。以前の児童相談所で散々そこのことを思い知らされた瞬の実感であり、確信であった。子どもの世界ならではの残虐性には大人も鈍い。結局のところ各自で自衛するしかないのだ。でなければ同盟などという組織ができることもなかった。
彼女がやれないなら、自分でやるしかない。美奈のためだけではない。親のいない自分たち全員の自存のためである。
夕暮れの街でも電灯は最小限にしか灯ることはなかった。国の計画節電の一環で、電力は極力使用しない市の方針である。それは闇に紛れて悪事を働くという思いつきも惹起するものであった。子どもたちは早くに帰ることを推奨され、家と学校だけがほとんどの児童にとって世界のすべてになったのである。
聖霊館に帰ると、明日の予定を確認した。午後に蓮華児童園まで赴いて清秀らと、岡部を征伐する計画を練る。殺さない程度に殺してやりたい気分だった。
スマートフォンに伝達事項が来た。岡部についてである。家は学校から離れた賃貸マンションで、一人っ子。通学路は以前瞬が身を置いていた河川敷の堤防の土手道を通る。奇襲をかけるならここがいいだろう。竹井なる女児に好意があるようで美奈を標的にしたのもやはりそれが原因である可能性が高い。手下二人は友達と言えるほどの関係性ではなく、いきがり始めた岡部のおこぼれちょうだいの腰巾着みたいなもので、岡部を締め上げればもうやつの味方はしないだろうとのこと。
「見てろよ、クズ野郎……」
静かに毒づく。伸治が入ってきた。
「……綜士兄さんが裏庭の畑でなにか植えるんだって」
「そう……」
「僕たちも手伝おうよ」
「ああ」
本題をはぐらかす二人、瞬は迷っていた。このお人よしの伸治を岡部征伐作戦に参加させてよいものか。判断がつかないでいるところ、ベルの音が響いた。
「あ……まずったな、夕食の準備手伝うの忘れてた……」
「ううん、芽衣子姉さん、今日は僕たちはなにもしないでいいから休んでてって」
くたびれているだろうと気をつかわせてしまったようである。
結論が出ないままダイニングに向かった。
「……美奈は?」
彼女の姿が見えない。
「ああ、ちょっと疲れてるから後で食べるってさ」
リサがテーブルに腰かけながら、そう述べた。
「……?」
その左正面に座った綜士の顔が妙に暗い。
「綜士兄ちゃん」
「え……? ああ、なにかな?」
慌ててを顔を整えたように見えた。
「畑やるんでしょ、俺も手伝うから」
「ああ、ありがとう……。まあ、ジャガイモ植えるだけだからそんな大仰なもんでもないけどね……」
微笑んではいるが、やはりなにか不自然に感じる、今朝美奈が言っていたのはこのことだったのだろうか。リサもそれとなしに綜士の様子を観察しているように見えた。
夕食が終わっても、美奈は来なかった。
「……美奈の分、私が部屋に運んでおくね」
依織がトレーを手に持つ。
「オレがやるよ」
リサが立ちあがるも、
「い、いいの……!」
そのまま行ってしまった。
美奈は昼のことで気が沈んでいるのか、口元の傷を芽衣子たちに見られたくないのか、どちらにせよ瞬も心痛に胃が縮む思いだった。
翌日、朝食を終えると、河川敷までやってきた。
「あそこだな」
土手道を確認する。ジョギングをしている人間が何人か見受けられた。休日にしては人が少ない。平日の夕方ごろならさらに人目には付きにくいだろう。さらにショートカットできそうな土手下の小道や潜むにはちょうどいい長い草の群れも見える。襲撃の手はずを頭の中でシミュレートした。
あんなゴミはタイマンで余裕に潰せる、だが……。
あの手の輩は見えっ張りで一人でいる姿を見られることをひどく怖れる。あのお追従屋二人も連れているだろう。連れに逃げられて大人を呼ばれては面倒なことになる。一網打尽にするために、清秀らとうまく連携して包囲網に誘い込む必要があるだろう。獲物を狙う猟師の心境だった。
美奈が気がかりで、聖霊館にいったん戻る。朝食にも彼女は姿を現さなかった。玄関ドアを開けて二階に上がったところ、全員がいた。
「……なに?」
顔の筋に力が入り過ぎていたようだ。芽衣子たちが怪訝な表情で瞬を見ていた。
「瞬、私たち、今から物資の買い出しの契約に行ってくるけど」
「……全員で?」
伸治たちを見渡す。
「ううん、私と綜士で行くつもりだけど」
「わかった、俺はみんなと留守番してる」
「うん、昼食はサンドイッチを用意してあるからそれでお願い……。あの、瞬」
「なにさ?」
「なにかあったの?」
「いや、なにも」
タイミングとしては今だろう。美奈に昨日のことを聞いてみる機会である。
「そんじゃ、俺も宿題やるから……みんなちょっと付き合ってもらっていいか?」
伸治たちにそう呼びかけた。バラバラのテンポでうなずく三人を追って瞬も学習室に入る。
「綜士兄ちゃん、姉ちゃんを頼むな」
「あ、ああ……」
ドアを静かに閉じた。
「さて、やりますか」
「うん」
テーブルを囲む。チラリと美奈の顔に目線を向ける。口元に傷を隠すためのファンデーションかなにかを塗りつけているように見えた。おそらくおととし卒館した柚葉が残していったものだろう。
しばらく経ったところで、
「俺、飲みもの用意してくるわ」
「うん」
ノートにペンを走らせる依織、伸治はこちらの意図を読んだようだ。
「美奈手伝ってもらっていいか?」
「え……? う、うん……」
美奈を連れて部屋を出た。一階のキッチンで、紅茶の急須を取り出した。
「カップ出すね」
「美奈……」
引き出しを開けた美奈を呼び止めた。
「な、なに?」
「最近、なにか困ったこととかないか?」
「……別に、ないけど」
予想通りである。
「ふーん、学校はどう?」
「どうって……、普通だよ」
美奈が視線を逸らす。勘づかれているか、わからないでいるようだ。
「口の傷、もういいのか……?」
「だ、大丈夫……」
顔をそらした。凝視されれば拙い化粧が見破られると危惧しているとみていい。
「念のためもう一度、消毒したほうが」
「平気だって……!」
張りのある声、動揺を隠せないでいる目元を見ればそれ以上もう聞く必要はない。これまでの見立てと推測はすべて正しかったということだ。
小さな彼女でもプライドというものがある。いじめられているなど認めないだろう。この場でこれ以上追及するのは、やめにすることにした。
後は……。
こちらの仕事になる。
「サンドイッチも持ってくか」
「学習室で食べるの?」
「ああ、たまにはいいだろ」
「……うん」
時計を確認する。そろそろ出た方がいいだろう。
「あっ、やべ」
「どうしたの?」
「俺、友達と約束あったんだ、悪いけどちょっと出てくる」
我ながら白々しい口ぶりだった。
「え?」
「戸締り頼む」
サンドイッチを持って、玄関に放置したままのジャケットを羽織って外に出た。
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