(4)
二階のシャワールームのドアを開いた。介護施設にありそうな手すりが備えられている。聖霊館の過去の入居者には足の不自由な人もいたのだろうか。服を脱いで、鏡を見る。
「……」
左肩から上腹部を焼いた炎の刃、病院でも何度も目にしたが日常の空間で見ると痛々しさを一際、主張してくる。
あの時、俺は……。
ただ一人、たった一人の人間を救うために命をチップとして、人生最大の試練に挑んだ。無謀であり果敢であった。そのことは微塵も後悔していない。だが、すべては戻らなかった。
見返りなどなにもいらない、と今でも思っている。だが突きつけられた現実はあまりにも綜士に過酷なものだった。綜士が死の鎌を防ぎ、現世へ命を引き戻した結果、その主は綜士を必要としなくなった。そして友と信じた男との決定的な確執が起こり、これまでの人生で結んできた大切な絆をことごとく喪失することとなった。
誰のせいにもできない……。それでも……。
まだどこかで未練を引きずっている。事態はまだ確定したわけじゃないと思いたい心がある。
いつか……詩乃が……。
「……ッ!」
自分の頬を思いっきりひっぱたいた。その名はもう唱えてはならない。自分自身を妄念の泥沼に引き込むだけなのだから……。
「ふう……」
シャワー終えて一階奥にあるラウンジに向かう。窓から月明かりが、差し込んでいるのが見えた。この住人数にしては広すぎて、夜の聖霊館はやや怖い空気がある。
「ああ、綜士、待ってたよ」
部屋に入るとリサ以外の女性陣は既に風呂を終えており、全員ラフな部屋着になっていた。
「どうだった?」
「普通に使えたよ、ありがとう。えっと、ここは……」
昼間も来たが念のためもう一度聞いてみることにした。
「談話室というか、まあみんなで遊ぶとこ。ここのボックスに色々入ってるから」
「ふむ?」
芽衣子が引き出しを開けると、中にはビデオゲーム機からボードゲーム、カード類などいろいろ入っている。
「これ初代ファミコンか、他にもすごく古いのがあるな」
昔の住人たちが遊んだものだろう。その時代に流行したレトロチックな玩具が並んでおり歴史の移り変わりを映したような展示物を見ている気分になった。
「テレビは二つあるの、まあみんなで大体同じもの見たり、遊んだりするけど、違うことする時はどっちがかがイヤホンつけてね」
「なるほど」
テレビは大型の液晶テレビ、型は古くリモコンではいまだにアナログ切り替えボタンがついていた。
「さくらば……さん」
「はい?」
振り返ると、美奈がいた。
「これよかったら……」
乳酸飲料のカップを差し出した。
「ああ、ありがとう。……美奈……ちゃん。それと俺のことは綜士、でいいから」
「はい……。綜士さん」
さん付けもなんだかこそばゆいが、まだ出会って一日目である。好きに呼んでもらうことにする。
当分は、ここのみんなの生活上の慣習や考え方をそれとなく観察してそれに適応する形でやっていこうというのが現在の綜士の方針だった。年下相手に尊大に振る舞ういやなやつと思われて嫌われるのは避けたい。
ましてこの子たちには……。
ここしか帰るべき場所がない上、難しい年ごろである。できうる限りの配慮が求められるだろう。
「おう、美奈~、オレにもくれー」
背後から酔ったようなリサの声が背中を打った。
「り、リサちゃん……!」
「え?」
なぜか美奈と依織が赤面して固まった。振り返ると、
「お、おい……⁉」
Tシャツ姿のリサなのだが、下は下着一枚しか身に着けていない。
「リサ――! あんたはまたそんな恰好で!」
こちらに気づいた芽衣子がすさまじい勢いで駆け寄ってきた。
「綜士がいんのよ……⁉」
「あっついんだもん」
芽衣子がリサの腕を引っ張って奥に連れていく。
「お、俺ちょっと出てるから」
ほうほうの体で部屋を出てドアを閉じた。
「ちょっとは慎みってものを持ちなさい……!」
部屋の中の喧騒から日頃の芽衣子の苦労が推し量れる気がした。
その後、瞬と伸治もやってきて全員がそろった。そのままなんとなくテレビをみんなで見るだけとなった。
やっぱりみんなまだ固いな……。仕方ないか、俺も早くなれていかないと。
隅にあるパソコンが目に入った。
「……芽衣子、あれちょっと使ってもいいかな?」
「いいよ、ネットもできるから」
「うん」
椅子に腰を落として電源を入れる。出てきた画面は自宅にあるものより一世代昔のOSだった。ネットブラウザを立ち上げて、過去のニュースを見る。
あの事件は……。
去年の日宮祭でのテロ事件を調べる。チラリと背後の様子を窺ったが、全員、テレビの方を向いているのを確認してから、事件記録を出した。
20X3年、2月に起きた事件、このテロ事件により立志党の月坂九朗衆議院議員が死亡し、娘夫婦も死亡が確認された。最終的な死亡者数は82名にも及び日本でも最悪のテロ事件として記録されることとなった。
「……」
手が震えて歯ぎしりが抑えられなくなった。両親と弟、3人の死がただの統計上の数字になっている悔しさで身悶えしてくる。さらに事件を調べる。
犯人は依然として不明、犯行声明もなし。警察は事件を調査しており、過激派団体などの家宅捜索も実施されたが確たる証拠をつかめないでいる。
ただ、ある噂だけがネットを中心に広まっていた。すなわち最初から目的は月坂九朗だったという噂である。月坂九朗は与党において現代の闇将軍とも揶揄され、現政権にも強い発言力を有してきた。どこかで恨みを買うこともあったのではないか、折からの財政出動拡大に反対の意向を示してきたことから利権上のトラブルが生じたのではないか、などどれもゴシップの域をでないものばかりであった。
これ以上探っても意味がないという程度のリテラシーはあるが手が止まってくれない。そして、見つけてしまった。SNSの書き込みをまとめたサイト、そこにかかれていたもの。
『月坂とやつの娘は死んだがまだ孫が残ってるって聞いたぞ。やつはどこにいる? けじめとらせろ』
『なんでマスコミはそいつを追わない? 月坂の孫だからってビビってんのか。情けねえ』
『聞いてみたいもんだな。てめえのじじいのおかげでこんだけの人間が死んだけどどんな気分ですかってよ』
血流がつま先から頭のてっぺんまで一気に沸騰してきた。怒りと憤りで視界がぐらつく。この匿名の暴力者達だけにではない、なにもできなかった自分自身に対して。彼女がこの一年半でどれだけ苦しみ抜いてきたか、想像もつかない。
「おい」
背後から声がした。かなりの勢いで振り返った。
「代わってもらっていいか……? オレも使いたいんだけど……」
リサだった。
「……ああ」
ブラウザを落として席を立った。彼女の意は察した。少し落ち着いて休め、ということだろう。
子どもたちは、綜士の様子が不穏なことには気づかないままテレビに見入っていた。慌てて怒気に歪んだ表情を調整して、何事もなかったかのように平静を装った。その時、
「綜士、電話が……」
芽衣子に呼び止められた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます