(3)

 準備を終えた芽衣子とリサとともに、街を歩く。まだ夕時だというのに通りかかる家がことごとく雨戸を閉じはじめた。

「ここは、治安に問題でも……?」

「うん、戦争が始まってからどんどん悪くなってる。パトカーのサイレンに慣れるくらい……。貿易制限で買うものも売るものも少なくなっていって、それに港の自衛隊やFCU軍基地が警戒を厳重にして、日用品の供給も政府が直轄して行うようになったから汐浦はその影響で……あ」

 芽衣子が立ち止まった。


「ごめん、リサ……」

「別いいんだよ、本当のことだし」

 なぜリサに謝ったのだろう。

「ほら行くぞ」

 さっと先に行くリサ。

「……」

 少し気になった、彼女たちも綜士の詳細を聞いていない。詮索は慎むことにした。


 スーパーに入ると目を疑った。どう見ても庶民的な量販店なのに、扱っている商品の価格が尋常ではない。食肉コーナーは明らかに品数が少ない上、

「こんなぱさぱさの鶏むね肉が300グラム1000円……⁉」

 インフレだなんてものではない。豚肉、牛肉に至っては2000円以上の価格シールばかりである。

 芽衣子が怪訝な表情をしているのを見て、思わず焦った。彼女はまだ綜士が長らく昏睡状態にあって今の世情に疎いことを知らない。

「……これでもかなり落ち着いた方なんだけど。ただでさえ供給が少なくなったうえに買いだめとか起こってるからね」

 社会科の授業程度の知識しかないが、日本の食料自給率はかなり低いと記憶している。こんな市井のスーパーにまで戦争の影響が及んでいることに慄然としたものを覚える。

「汐浦の市販店はどこもこんなもんだぞ。調味料やインスタント食品とかはあまり変わんないけどな」

 リサがシチューのルーをかごに入れた。

「だから野菜もほとんど冷凍野菜ね。牛乳も価格の変動が激しいから安いうちに買って、冷凍してその日に消費する分だけ解凍して飲むかたちで」

 自分が一年半眠っていた間に、ここまでの事態になっていたことに言葉を失う。


「お兄さん、これでもかなり頑張ってんのよここは」

 会話を立ち聞きしていた夫人にいきなり話しかけられた。

「こ、こんばんは……」

「うちなんてもう半年以上鳥しか食べてないわよ」

 綜士の挨拶に返事もせずに愚痴る夫人、会話する気などなく不満をぶちまけたいだけなのだろう。そこに別の女性が口を挟んだ。

「でも知ってる? 元柳の方じゃここの半額以下で売ってたんだけどね、今じゃほとんど会員制に切り替えてこっちからの遠征客をシャットアウトしてんのよ。殿様商売もいいところよね、汐浦の人間を一体なんだと思ってんのかしら」

 次々と腹に不平を抱えた来店客が集結してきた。

「ほんといやよね、あそこの人たち。自分たちを貴族かなんかとでも思ってんじゃないのかしら。海外のげーてっどなんちゃらじゃあるまいし、同じ日之崎市民でこうまで排他的になるなんて、市役所も黙認してるみたいで信じらんないわよ」


 収集がつかなくなりそうである。芽衣子がそっと綜士のシャツをつかんだ。足音を立てないようにその場からひそやかに立ち去った。綜士たちがいなくなっても、元柳への恨みつらみを吐き出しあう主婦たちを見ていたたまれない気分になった。

 語る言葉がないまま買い物を終えて帰路につく三人、嫌な場面を見てしまった。

「……あの、こういうことって、谷田川さんたちに相談したりは……?」

「ううん、うちの家計は財団の予算で賄ってるから、それ以上をお願いするのは心苦しいしね。なにかあったらいつでも相談してほしいとは言われてるけど」

 芽衣子は責任感が強いのだろう。

「オレはちゃんと言った方がいいと思うけどなー、別にうまいもん食いたいってわけじゃないけど、冬になればもっとひどくなるだろうし」

「そうね……。でも、まずは私たちだけでできることからやってこ」

「そうだね……」

 口元を押えて考え込む。自分になにができるかを。


 食べ物か……。うちの会社でも扱ったことがないか、日之崎通商の記録でも調べてみるか……。


 通りがかった河川敷ではなにやら人が列を作っている。ボランティア団体が日雇い労働者などを対象に炊き出しを行っているようだ。


 ひどいもんだな、まるで震災じゃないか……。直接戦争やってるわけでもないのにこんなことが起るなんて。


 グローバリズムの行きついた先なのかもしれない。

 聖霊館に戻ると、依織という少女が緊張をはらんだ足取りで近寄ってきた。

「お姉ちゃん、ご飯研いでコンロに置いといたよ。牛乳ももう溶けてるから」

「ありがとう依織、すぐ用意するから後はゆっくりしてて」

「おつかれさーん」

 チラリと依織を見ると、彼女はびくりと体を震わせた。

「あ、ありがとう……」

 ものすごい勢いで首を縦に振るとそそくさと行ってしまった。

 ダイニングに入ると、瞬と伸治が皿を並べていた。

「お、お帰りなさ……い」やはりこちらもまだ表情が固い。

「ただいま、準備ありがとう」 

「うん……俺たち他になにかする……?」

「今日はもういいから、ご飯できたら呼ぶね」

 芽衣子がそう言うと、退散する少年二人。


「芽衣子……」

 いきなり背後からの声を耳が拾い、驚いて振り返った。

「お風呂場の掃除終わったよ、7時過ぎにタイマーセットしてあるから……」

 あの美奈という少女だった。眠たそうな目元は普段からのようだ。

「うん、ありがとう。宿題とか大丈夫?」

「平気……料理も手伝うから」

「そっちはいいよ。どうせお肉切って炒めて煮るだけだし」

「手伝わせて……」

「わかった」

「……」

 綜士も手伝いたかったが、邪魔になりそうである。

「リサ」芽衣子が呼びかけた。

「ほい」

「あなたは綜士にここの生活規則とかを教えてあげて」

「へーい」

「あ、ああ、頼む……」

 ダイニングを出る際に振り返ると、美奈が台の上に乗ってコンロに火をかけていた。彼女はあまり背が高くないようだ。


 リビングでリサから説明を受けることになった

「ゴミ出しは、各自の部屋のは自分で朝出す。共用のは気づいた人がやる」

 メモを取りつつ、リサの話に集中する。風呂場近くまで移動すると、洗濯機が二つ設置されていた。

「洗濯物はここで出しておけば平日なら猪岡さんがやってくれるから、朝か前日の夜にまとめて出しておけばいい」

「猪岡さん?」

「区役所が派遣してくれてるハウスキーパーさん。大体朝10時から12時くらいまでにやってきて、家のこと助けてくれるんだ。まあ時間的に顔合わせることあまりないんだけど。廊下や共用部屋の掃除に夕食の仕込みまでやってくれる。ここの鍵も持ってるから」

「ふむ……」

 さすがに全部を児童だけでやるというのは難しいのだろう。

「正確に決まってるわけじゃないけど、右のが女子で左のが男子な」

「わかった」


「デリケートなものは芽衣子がまとめてやってくれるから……ってお前には関係ねえか。アハハっ!」

「……ああ」

 女性組の下着類だろう。

「夕食はだいたい芽衣子が献立決めて調理も仕切ってる。オレたちは芽衣子の指示でそれぞれできることをするって感じで。朝食は、みんなで簡単なものを作ってる。大抵前日のあまりものかパン焼くくらいだな。学校は8時半までに行けばいいから、いつも8時にはみんなここを出てる」

 綜士は明日からリハビリ、通院それとこの一年半に起きたことを調べるつもりでいる。

「オレたちは明日も学校だけど……お前、その、高校は……」

 リサが聞きづらそうに聞いてきた。

「……今からどこかに入学する気はないよ。確か高卒扱いになる試験みたいなのがあったと思うからそれ目指すことになると思う」

 わずかに動悸の気を感じたがすぐに鎮めた。高校、という話題だけであの確執が蘇り、綜士の胸裏に暗い影を投げつける。

「うん、でもまずは体をまともにしてからだな」

「ああ」

 胸のざわめきを滅却しようと呼吸を整えた。過去を振り切れる強さは、まだ綜士にはない。


 そういえば……。


 リサはどこまで綜士のことを知っているのだろう。嶺公院高校前でのやり合いを目撃した以上、なんらかの因縁があそこにあることには気づいているだろうが。

 話して置いたほうが……いや、必要があるなら話すことにするか……。

 あまり他人に知られたいことではないが、綜士とてみんなのことをよく知らない。

「リサ、俺、まだ芽衣子からもここに来た理由聞かれてないけど、話したほうがいいか……?」

「別に。とっつぁんの紹介ってだけで、みんなお前のこと信用してるよ」

「でも……」

「知りたいか? オレのことも……」

 リサの声に真剣味が宿った

「え? いや、無理にとは……」

 正直、気になってはいた。

「まあ別に大したことじゃないけどな」

「……」

 まだここに来たばかりである。余計な詮索は控えることにする。

 大体の案内を終えてダイニングに戻った。既に食事の準備は整っており、全員が集まっている。配膳を終えるとすぐに夕食となった。キリスト教の施設らしいので食事前のお祈りでもするのかと思ったがそういうわけでもないようだ。

「それじゃいただきます」

 芽衣子がそう述べたが、

「いただきます……」

 児童たちの返事はか細い。リサが呆れたように息を吐いた。原因が自分にあると思えば綜士も居心地悪いものを感じるが、自分だけ別の場所で食べるわけにもいくまい。

 黙々とスプーンでシチューを口に運ぶ小学生組、普段はおしゃべりでもしながら食べるのだろうか。

「おい、お前らなにか話せって」

 リサがスプーンを置いた。

「……」

 やはり難しいようだ、と思ったが、

「あの……!」


 依織が綜士の方に顔を向けた。

「うん?」彼女の方を見ると、

「……」泣き出しそうな顔になってしまった。

「おい大丈夫だぞ、この兄ちゃんそんな狂暴じゃないぞ」

「あ、ああ……、なにかな?」

「しゃ、しゃくらば……しゃんは……」

 舌足らずになる依織、笑いをこらえるリサを隣に座っている芽衣子がひじで小突いた。

「な、なにか……好物ときゃ……ありまひゅ……?」

「いや、別に……あ、いや……」

 とっさに思いつくほどのものはないが、彼女なりに勇気を振り絞って話題を作ったのだろう、なにか答えてあげたい。

「グラタンとかは好きかな」

 実際は自分じゃなくて弟の好物だった。

「しょ、しょうですか……」

 会話が終わる。


「あ、あの……!」

 今度は瞬だった。

「す、好きなスポーツは……なんですか……?」

 美術部だったのでスポーツなど体育の授業くらいでしかやったことがない。

「えっと……サッカー……かな」

 かなり適当に答えた。

「あ……そうなんですか、俺もサッカー好きで伸治もよく学校でやるんですよ。中学入ったらサッカー部入りたいかなーなんて……」

「へえ……」

 軽く口元を緩めて穏やかな笑みを浮かべたつもりだったが、瞬の顔がフリーズしてしまった。彼には恐ろしい顔のピエロがニヤリと殺意の笑みになったように見えた、のかもしれない。


 こ、今度は俺からなんか聞いてみるか……。


 軽く深呼吸して話題を投げかけてみることにした。

「えっと……みんなは同じ小学校なんだよね?」

「……はい」

 伸治がこたえた。

「学校は面白い、かな……?」

「た、楽しいです……!」

 あのダウナーな雰囲気の少女、美奈が身を乗り出すようにして答えたので少し驚いた。

「そ、そう……」

「でも今年はね……、ちょっと残念なことがあって」

 芽衣子が口を挟んだ。


「残念?」

「10月に予定していた修学旅行が中止になったんです……」

 と伸治。

「え?」

「そう、京都だったんだけど……。こういう時節だから旅行どころじゃなくなっちゃって」

「そうか……」

 一生の思い出になるであろう、小学校生活最後の楽しみを台無しになった痛惜、察するにあまりある。

「しゃ……桜庭さんはどこ行ったんです?」

 依織が問いかける。

「うん、俺は……、俺のことは綜士でいいから」

「ひゃ、はい……!」

 やはりまだ難しいようだ、

「俺は小学校は沖縄だったな」

「へえ! 飛行機で?」

 凍結状態の瞬がいきなり口を開いた。

「あ、ああ……」


 余計なことを聞いたかもしれない。元柳と汐浦では修学旅行の行先にも、差違がある。

「俺、乗ったことないんですよね。空を飛ぶってどんな感じなんです?」

「ハハ……、離陸と着陸がちょっと怖いけどそれ以外は電車とあまり変わらないよ」

 海外にも旅行に行ったことがあるので、搭乗経験はそれなりにある。

「でも機内サービスのジュースにお金払おうとして恥かいたことはあったっけな」

 美奈が顔を伏せたのと同時に口角をわずかに上げたのが見えた。笑ったのだろう。他の子たちも表情が和らいできた。

「リサは結構乗ったことあるよね」

 芽衣子が口元を拭いてリサに話題を向けた。


「ああ……でも10時間近くも乗ると飽きるどころかくたびれるぜ。しかも毎回エコノミーだったし」

「10時間?」

 どこに行ったというのだろう。

「うん、ぱ……父さんがアメリカ人だからな。それで何度かオレも向こうに連れてかれて」

「へ? そうだったのか」

 白人としての形質が強く出ているためそのこと自体は別におかしくもなんともない。しかし、リサは以前、彼女自身を日本人と表していた。

「えっと……」

 母親は? と聞きかけたが言いよどんだ。

「母さんは日本人だよ。ハーフ……だったけどな。だからオレはクォーターってやつになるらしい」

 なんでもないことのように語るリサ。しかし、


 だった……?


 過去形なのが気になる。気づくと全員が重いものを飲み込んだような顔になっていた。


 おそらく……。


 リサの母は故人、なのだろう。

「まあ、向こうにも親族なんていないし、父さんは里帰りでも、オレにとっちゃただの観光だったけどな」

 あっけらかんとしたリサ、今も父親と離れ離れで暮らしているということは複雑な事情があるのだろう。

 その時、なにかのサイレンを聴覚が捕捉した。

「……パトカーね。みんな食事中だけどごめん」

 芽衣子が携帯を取り出して画面を確認する。地域の治安情報を確認しているのだろう。

「やれやれ今日もかよ」

 リサがスプーンを置いて芽衣子の携帯を覗いた。

「うん、ただの事故みたい。安心して」

 芽衣子がそういうも、

「……」

 それが本当かどうかはわからないでいた。


 食事を終えると全員で後片付けとなった。食器を二人が洗い、二人が拭いて、二人が棚にしまうという流れ作業である。綜士には入る余地がなかったので、申し訳程度にテーブルを拭いて、椅子を整理しておいた。時計を確認、時刻は7時22分。

「さて、この後お風呂だけど、うちは奇数日が女子、偶数日が男子が先に入ってるの。今日は11日だから私たちが先ね」

「うん」

 共同浴場はさっき見せてもらった。結構大きく4,5人は同時に入れる。

「あの、二階にもシャワールームみたいのがあったけど……」

「ああ、あれ。今は使われてないけどあっちも使えるよ」

「うん、使わせてもらっていいかな……。この火傷だと湯船につかるのはちょっときつくて」

 嘘だった。

「……わかった、タオルとかの予備は昼間言ったところにあるから」

 芽衣子は綜士が、火傷をみられるのがいやで瞬や伸治と同時に入るのを躊躇していると解したのかもしれない。

「ありがとう」


 二階に向かう。遠慮はしないと、約束したばかりでこんな自分を偽るような真似をするのは心苦しかったが、首から下も依然としてあの事件の爪痕が今も深く刻まれている。そんな男と同じ風呂に入るなど、子どもたちは嫌がるだろう、というのが綜士の本音だった。

 階段を上がろうとしたところ、

「あの……」

 小さな声音、振り返ると依織がいた。

「なにかな……?」

 なるべく脅えさせないように、表情を緩めた。

「これ、よかったら……」

 パックに詰まったシャンプーにリンス、石鹸だった。芽衣子が気を利かせたのだろう。

「ありがとう、い……依織……ちゃん」

「はい、お風呂の後はみんなラウンジで遊ぶのでよかったら、しゃ、桜庭さんも……」

「うん、後で行くね」

 些少ながら顔をほころばせて微笑した依織が頭を下げて辞去していく。その背を切なげに見つめた。

 彼女の名前を呼ぶのは、やはりつらい。

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