(5)
「俺に……?」
「うん、これ」
芽衣子がラウンジ備え付けの子機を手渡してきた。今、自分に電話をかけてくる人間が思い当たらず、当惑しながら子機を持って部屋を出た。
「もしもし……」
「桜庭くんか?」
あの時の日之崎警察署の刑事だった。
「今ちょっといいかな?」
「ええ……」
嶺公院での闘乱騒動のことであった。学校側が警察に通知した内容によると、リサの撮った動画が決定打となり、綜士に暴行を加えた6人が二週間の停学処分となったという。ナイフを持ち出したあのパーマ男にいたっては処分を引き続き検討するとした上での無期停学という処分であり、退学もあり得るという。そして、
「矢本……という名前はありますか……?」
「いや、見たところないが……。その子がなにか?」
「いえ……」
先行して起こった綜士と隆臣の衝突は問題化しなかったようだ。先に手を出したのがこちらだったので、気になっていた。隆臣は綜士と司法の場でやり合う気はないようだ。
「警察としてはまだ任意で事情聴取しただけの段階だが、既に学校と向こうの保護者から君に示談の申し入れが来ているがどうする?」
「……知りません」
足蹴にされた怒りもあり、無視するつもりでいる。
「わかった」
刑事もそれ以上は聞かなかった。
「それと俺の新しい携帯の番号を教えますから、次からはこっちにかけてください」
「ああ、そうだな」
聖霊館に警察から電話が来たとなれば芽衣子が心配する。警察からの連絡は以上となった。
また重苦しいものが胸にこみあげてきた。
「あ……」
いつのまにか芽衣子がすぐ横に来ていた。
「綜士、大丈夫? すごい顔になってるけど……」
「大丈夫……、今の電話も大したことじゃないから……」
「うん」
芽衣子はなにも聞かない。そのことがかえってつらい気がした。
その後は、綜士もぼんやりテレビを見るだけとなった。時刻は9時半になろうとしたところ、
「さあ、みんな、明日も学校なんだから今日はもう寝ましょ」
芽衣子が呼びかけた。
「はーい」と依織。
「うん……」続いて美奈。
瞬と伸治も素直に応じた。退室していく、小学生組の背を見送りつつ、芽衣子に問う。
「ここって十時に就寝?」
「規則ってわけじゃないけど、小中学生が部屋に戻るのはだいたいそれくらい。綜士は高校生だからまだ平気だけど……あ、ごめん……」
「いいって……」
16才。普通なら高二だが、高校には行けなかった。一年半の昏睡により精神的にはまだ中三の終わりである。
さっきネットで調べたが、高認っていうのがあるのか。それをやるしかないな……。
さすがに中卒では生きづらい。独学で勉強する決意をほぼ固めている。
「リサ、あなたももう……」
「……?」
リサが真剣な表情でなにか見ている。ニュース番組、南太平洋のソロモン諸島近辺の海域においてFCU軍とEIS軍が激しい艦隊戦を戦ったというものであった。
現在、両軍の強力な電子ジャミング兵器により、戦場の様子というのは一般メディアからはほとんど映像が出てこない。軍が公開しているものからでしか、戦地の様子は確認できない状況が続いている。
「……リサ、もう休も」芽衣子がリサの両肩にそっと手を置いた。
「……うん」
リサがテレビの電源を落とした。
「……」
なにか気になる。リサは国際情勢にそんなに関心が高いのだろうか。父親の母国であるアメリカが自由共同連邦の中核を占めている以上、気になるのは当然、と思うことにした。
一階、浴場近くの洗面所で子どもたちが歯ブラシ手に持ち、歯磨きを始めた。
「綜士はこれ使って、予備はここに入ってるから」
「うん、ありがとう」
黙々と歯をみがく。視線に気づいて目をやると、瞬、伸治と目が合ったがすぐそらされてしまった。まだ、馴染むには時間がかかりそうである。
歯磨きを終えたところで芽衣子が全員に呼びかけた。
「明日の朝食はシチューのあまりとロールパンね、結構冷えるようになったからパジャマはちゃんと着て必要なら毛布もそろそろ出しちゃって」
彼女は本当にしっかりしていると思う。
「ふぁーい」
あくびをしながら答えるリサ、もう眠いのだろう。
「特にリサ、あなたは、その……変な格好で寝ないように……」
なにか言葉を濁す芽衣子。寝相が悪いのだろうか。
子どもたちが先に二階に上がっていく。
話しておくか……。
やはり今日のうちに切り出すことにした。
「芽衣子、ちょっといいかな……」
「なに?」
「ダイニングで話そう」
「わかった、美奈、先に寝ちゃって」
「う、うん……」
芽衣子と共にダイニングテーブルの椅子を引いて腰を下ろした。
「話ってのは、俺のことなんだけど……」
「……別に話さなくてもいいんだよ。もう気づいてると思うけど私たち、お互いに過去の詮索はしないから」
「うん、でもやっぱり芽衣子には言っておこうと思う」
芽衣子にこれまでのあらましを話すこととなった。去年の日宮祭でテロに遭遇し傷を負ったこと、それにより一年半近く意識を喪失していたこと、目覚めた時には家族は全員死んでおり家も詐欺集団に勝手に売られたこと、ほとんどを伝えたが、詩乃たちとの件は伏せて置いた。
「そう、一年半も眠っていたの……」
「うん……信じられないかもしれないけど」
実際、今でも綜士自身、信じ切れていない感すらある。
「綜士は元柳の人だったんだ。あの事件はもちろん私たちも知ってる、あのお祭りの日、ここのみんなと行くつもりだったから。でも開会式場で大変なことが起きたって知って……。綜士があそこにいたなんて……」
爆風と猛火、空を焦がすほどの煙の渦、一生忘れることはできないだろう。
「ご家族のことは……」
「……」
最後の別れすら言えずに、現世を去ることとなった両親と弟。それを思うだけで、言いようのない感傷の槍に刺される心地がする。
「……せめて、苦しまずに逝けたんならよかったんだけど……」
芽衣子がテーブルの上で握りしめられた綜士の手を、静かに自分の手で包んでくれた。
「ありがとう……」
なにも言わずにしばらくそのままでいた。
「……そろそろ私たちも部屋に戻ろ。綜士は明日はどうする?」
「午前中は、そこの公園でリハビリのウォーキングをやるつもりでいる。午後は図書館に行って眠ってた間に起きたこと調べて、その後は病院」
「わかった、私は4時には戻ると思うけど、なにかあったら携帯に連絡して」
「なにかすること……できることはあるかな?」
手が空いている以上できることは、自主的にやっておきたい。
「ううん、大丈夫。でも猪岡さんのことはリサから聞いてるよね。よかったら手伝ってあげてくれる」
「うん」
「それじゃ、もどろっか」
ダイニングの電気を落とした。
二階まで上がろうとしたところ、
「……お?」
「なにやってるの?」
リサが階段に腰かけて、肘を膝に手を顔につけて待機していた。
「……べっつにー」
つまらなそうにそういうと、立ち上がり、背を向けた。
……あいつ、ひょっとして……。
拗ねた、のではないだろうか。考えてみれば、綜士をここに導いたのはリサである。にもかかわらず芽衣子だけに、綜士が身の上話をしたのが内心おもしろくないのかもしれない。
ちょっと、悪いことしたかな……。
不義理だったかもしれない。集団生活、というのは思いのほか難しいようだ。
まあ機会があったらあいつにも話すか。
別に隠すようなことでもないし、リサがここにいる事情というのも少し気にはなっている。
「ほんじゃ、おやすみー」
リサが部屋に入った。と同時に、
「うりゃあ、依織ー」
「きゃあ!」
「ほれほれ、くるしゅうないくるしゅうない」
「や、やめてよぉ」
中からなにか戯れている声が響いてきた。
「それじゃ綜士、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい……」
部屋に戻る芽衣子の背を見て、わずかな懐かしさのような念を抱いた。ずっと昔、自分を寝かしつけてから部屋を出ていったあの背中を見た時のこと。背負うものがある女性が放つ気をまとった凛々しい後姿。
芽衣子は、この聖域の子どもたちの母なのだろう。
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