(2)

「リ……サ」

 男たちがたじろぐ。

「聖アンナだぞ……」リサの制服を見て一人がそう呟いた。

「綜士、生きてるな?」

 リサが綜士に目線で無事を確かめる、綜士も茫然と頷いた。

「なんだ、君は?」

 隆臣がリサに問いかけた。

「お前たちこそなんなんだ。そいつ、この先に会いたい人間がいるんだろ。通してやれよ、なんで邪魔する?」

「君には関係のないことだ」

「あるんだよ。そいつは仮だけどもううちの人間だ。アルクィンは家族を見捨てない」


 アル……くいん……?


 リサがよくわからない単語を口に出した。

 男子生徒たちが困惑する。聖アンナの女子中学生に実力行使などしたら、彼らもただじゃすまない。ただの変人のストーカーと思っていた男に、なぜ彼のエリート校の少女が手を貸すのか理解できずにたじろぎ始めた。

「ダメだ、通さない」

「そんじゃ、ゆするか」

「なに?」

 リサが携帯を取り出す。そして、画面を隆臣に向けてなにかの動画を再生した。男子生徒たちが一斉に血の気を引く。その動画はまさしくたった今、彼らが綜士を袋叩きにしている場面に他ならなかった。

「お宅って校則、えらい厳しいんだってな。こんなもんポリに垂れ込まれたら……おもしろいことになりそうだな」


 リサが男子生徒を見渡して侮蔑の目とともに哄笑する。男子生徒たちは油汗をかいて、震えだす者も出てきた。客観的に見れば、彼らが弱っている病人を一方的に痛めつけているようにしか認識できないだろう。勢いに任せてやってしまったこととはいえ、事態が露見すれば停学どころじゃない。警察のご厄介になるのは、必定としか思えなくなったようだ。

 されど隆臣だけはなおも動揺を示さなかった。綜士を一瞥して、リサに向きなおった、

「こうでもしなきゃ、こいつはわかろうとしない」

「隆臣っ!」

 その一言で、もう目の前のこの男は友人でもなんでもないのだと改めて思い知った。憎しみを込めた目線をぶつける。


 その刹那、あのチンピラめいた男がリサに飛びかかった。リサの左手の携帯を奪おうとしたが、軽くリサは身をこなして避けた。最低限の動作で、怯える気配もまったくない。さらに男が、リサの髪をつかもうと、襲い掛かったが、

「ぐぁ!」

 逆に、腕をひねられ、片足で姿勢を崩され、転倒させられた。なにかのゲームや映画で見たような動き、近接格闘術、CQCというやつに見えた。リサはそれらしい訓練を受けているように感じた。

「てめえ……!」

 頭に血が上った男が、内ポケットに手を入れる。取り出したのは、


「な⁉」

 銀色の殺気を放つフォールディングナイフ、正気とは思えなかった。なによりもこの学校の生徒がこんなものを持ち歩いてる、ということが信じられない。

「門間! よせぇ!」

 とうとう隆臣が絶叫して、門間、と呼ばれた男をつかむも男はそれ振り払って。リサにナイフを向ける。リサは動揺も恐れも見せず、構えを取った。

「くっ!」

 体力の回復を待っている場合などではない。杖を拾い、体を起こして走った。

「綜士?」

「リサ、逃げろ!」

「平気だ、こんなやつ」

「馬鹿言うな……!」


 リサの前に立ち彼女をかばいながら、杖を剣のように構えて男を睨みつける。刃物を向けられて武者震いがしてきたが、これは自分が対峙しなければならない相手だ。

「火傷野郎! てめえから刺されてえのか!」

 改めて男を見る。体格は中肉中背、角張った顔に生気を感じない硬直した瞳、とても嶺公院の生徒とは思えない汚い言葉遣い。


 なんなんだこいつは……!


 何者か知らないが、年下の少女を凶器で脅している時点で人間の屑としか形容しようがない。杖を正眼に構え、目で刃の切っ先を捉える。こんな男に、リサを、散々世話になった彼女を絶対に傷つけさせはしない。

 他の男子生徒はあまりの事態に完全に硬直していた。正義を行使していたつもりが、女子中学生を凶刃で襲う犯罪の片棒を担ぐ立場になっていることを認識し、足を震わせるものもいた。

「きゃあ!」

誰かの悲鳴、事態を見物していた中年女性が叫びを上げた。

「だ、誰かー!」

 金切り声が野次馬を次々と引き寄せてくる。恐れおののいた嶺公院の男子生徒たちは一斉に逃亡を開始した。


 門間、という男はまだ引く気配がない。年下の少女に、こうも手玉に取られたままでは引き下がれないのか血走った目で、リサを凝視する。

「こいつ……!」

 門間が刃物を振りかざしたが、

「門間――ッ! 貴様ぁぁ!」

 校舎から長身、大柄の男が地面を揺らすほどの咆哮とともに猛スピードで走ってきた。ナイフ男がその怒号に怯んだその刹那、

「ぐう!」

 背後から隆臣が腕をねじり、ナイフを落とさせた。金属音が、道路に響く。


 ダメだ……! これ以上は……!


 これ以上、リサを巻き込めない。

「引くぞ!」

 リサの手をつかみ、後方にじりじりと下がる。大柄な男と目があった。怪訝な表情をしている。なぜこんな怪我人が隆臣とやり合っているのか、なんのためにここに来たのか図りかねているように見えた。隆臣が門間を組み伏せる様子を確認してから、一気に駆けだした。

 逃げる途中でなにかが見えた。顔面蒼白のまま、絶句して棒立ちになっていた。18ヶ月ぶりに目視した瑞樹に構うこともなく、狂乱の場から走り去った。


「ハァハァ……!」

「綜士、大丈夫か?」

 減退した体力の上、先ほど受けたダメージが重なり、消耗し過ぎた。とうとう座り込んでしまった。徐々にサイレンが近づいてくる。

「逃げろ! お前はもう関わらなくていい!」

「今さらなに言ってんだ」

「いいから行け、これは……俺の問題だ……!」

 息を荒げて、リサに瞳で懸命に訴えた。

「お前までパクられるぞ!」

「上等だって、わりいのはあいつらだ。寄ってたかって一人を、クズだな嶺公院って。知り合いの兄貴には悪いけど」


「頼む行ってくれ……! こんなことでお前まで捕まるようなことになったら手塚さんに顔向けできない! 俺なら心配いらない、一人で話をつけられる。いや、俺一人でつけなきゃいけない……!」

「……わかった、後で迎えに行くからそれまで気張れよ」

 リサが駆け去って行くのを見て立ち上がった。警官数人がこちらに向かってくる。

「動くな!」

 覚悟を決めるように両手を上げた。


 手錠、というものはこんなに冷たかったのかと両腕の先にはめられたそれを見て思った。元柳警察署の取調室、そこでずいぶんと待たされている。いつ聴取が始まるのかわからないまま放置され、治療も受けさせてもらえない。ここの警官達は綜士の顔のせいか、それ以外の身体の負傷には、無頓着であるように思えた。

 ドアが開かれて数人の警官が入ってきた。なにかを取り出し、

「両手を机に置け」

「……」言われるままにそうした。手錠を外される。

「こちらになります、お気をつけて……」

 さらに誰かが入ってきた。


「……?」

 スーツ姿の女性、鋭い視線で綜士を一見すると対面に着座した。

「あなたが桜庭綜士くん?」

 わずかな間を置いてから、こくりと頷く。人格を切り捨てたような氷のような目、しかしどこかで見たことがある顔。

「今日限りでしょうけど、一応名乗っとくわ、月坂朝香よ。詩乃の叔母の」

「え?」

 詩乃の叔母、聞いたことはある。普段は東京で滅多に日之崎には帰ってこない、母親の妹がいると。言われて見れば詩乃の母に似ているような気がした。


「赤橋さんから聞いたわ、中学時代に詩乃と親しくしてくれたんだって?」

「ええ……」

「それで今になって何の用なの?」

「え?」

「一年半も姿を暗ましてたんんでしょ、ああ入院ですって。まあ、どうでもいいわ、そんなこと」

 毒づいた口調、これがあの温厚篤実な詩乃の母親の姉妹なのだろうか。

「単刀直入に言うけどこれ以上詩乃に近づかないで頂戴」

「ま、待ってください俺は……」

「二度も矢本君と話したんなら、今さら説明なんていらないでしょ」

 どうやらこの女性が決めた方針らしいことが窺えた。詩乃の中学までの思い出は完全に抹消する気だろう。詩乃の恋人だった綜士など、排除以外の選択肢がないと、もう態度でわかる。


「詩乃の、記憶喪失の件は知ってます。だからこそ、俺にだって手伝えることが……」

「ハッ、なに言ってんのあなた。だいたいその顔であの子の前に姿みせる気?」

 絶句した、切った張ったのやり取りをした隆臣ですら顔の火傷には触れなかった。

「こ、これは……」

「ああ、日宮祭でもらったのかしら。かわいそうねえ、で、だからなんなの?」

 これは詩乃を助けるために負った傷なのだ。だがそんなことをこの女性に話したところでどうにもならなし、なんの意味もない。彼女は既に結論が出ているようだ。

「きっと怖がるわよ詩乃。彼女を怖がらせるのが趣味の彼氏さんなわけあなた?」

 なんと人間性を欠いた物言いだろうか。殴りかかりたい衝動に襲われるが、相手が詩乃の親族という点がギリギリのラインで綜士を踏みとどまらせた。

「まあ、いいわ。これにサインしてちょうだい」

 朝香なる女性がなにか取り出した。

「あ……」


 誓約書と大文字で書かれている。下に長々と説明されているのは、詩乃との接触禁止を誓う文面なのは読むまでもない。

「一筆書いてくれれば、すべて終わりよ。警察沙汰にしないままお家に返してあげるわ」

「一度……」

「は?」

「一度だけでいいんです……。詩乃と話を……」

 怒りを殺して、声を絞り出した。

「薬中はみんなそう言うわよ。あと一度だけ、もう一度だけ、それでやめられたやつを見たことがない」

 足の筋肉がつってきた。沸点はもう近い。


「だいたいあなた、ほんとは詩乃のこと好きでもなんでもないんじゃないの」

「え?」

「あなた日之崎通商とかいう会社の跡取りなんでしょ。それで詩乃を利用したくて篭絡したってところかしら。大方、親にでも言われて。海外暮らしが長くて世間に疎いあの子をからめとるなんて簡単だったでしょうね」

 感覚が、無我の境に至った。

「天網恢恢なんとやらね。そんな卑しい性根だから家族ともども罰があたったのよ。わかったんならさっさと」

「お前えええ!」

 怒声とともに飛び跳ねていた。反射的に後ろに身を引いた朝香の首元をつかみ、ネックレスを引きちぎった。即座に警官に捕まれ、顔を机に押しつけられた。

「殺して……! 殺してやる! 絶対に!」

 言葉の暴力にもほどがある。自分を侮辱し、両親を侮辱し、詩乃のことさえ侮辱した。


 青ざめる朝香、図星を言い当ててやったと思い、得意になっていたらしいが、明らかに弱って見えた綜士が牙を向いて自身が暴力に見舞われるなど想定外だったようだ。

「……きょ、脅迫の現行犯です! はやくそいつを……!」

 殺意を込めて朝香を睨む、誰かをここまで憎悪したのは初めてだった。本気で殺してやりたいと思ったことも。ドアが開かれた。

「ご退出を……」

 ジャケット姿の刑事課らしき男が、朝香に乾いた視線とともにそう促した。朝香が逃げるように飛び出していく。その背を歯ぎしりしながら、睨みつけた。


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