第五章 愛別離苦
(1)
ようやく降り立った空港のターミナルは予想以上に閑散としていた。開戦初期に、公空空域を飛んでいた、民間機が軍用機と誤認されてEIS軍に撃墜された事件で人々は空での移動を恐れるようになった。加えて、両勢力が大気圏外で展開した強力な電磁パルスは飛行機の正常な運航を阻害し、一日に飛ばせる数も政府により大幅に制限されることになったのである。
「……病んでいる」
時代そのものが。そう思わざるを得ない。地下でハイヤーを待たせているが、その前に連絡したほうがいいと判断して、無用の長物から必需設備に復権した公衆電話ボックスに入った。かける先はこれから向かう日之崎市民病院である。
受付を通して、彼の担当である衣笠七瀬氏につないでもらったところ、
『……川さん! 大変です!』
七瀬氏の絶叫が耳を震わせた。
『衣笠さん、どうしました?』
『さ、桜庭さ……綜士くんが……!』
面会は明日にするつもりだったが、どうやら予定を早める必要があるようだ。
一階のエントランス横のトイレの窓から外に出た。四度目の無断外出、自分を心配してくれる医師や七瀬ら看護師たちのことを考えれば、躊躇なく、というわけにもいかないが。
再び嶺公院へ向かう。今度こそ彼女と、面と向かって話さなくてはならない。このまま詩乃の記憶の片隅にも残らない、存在しなかった人間として処理される、まして……。
なんだってあいつらに……!
そんなことを決められなくてはいけないというのか。憤然と足で地を叩く。憤りと理不尽さにゆで上がった綜士であるから、彼を張っている目にも気づくことはなかった。
昨日と同じ嶺公院高校に接する大路にやってきた。校舎にはまだ部活動に勤しむ生徒の姿が散見される。
「……?」
二階の一部の部分に人が集まっているように見えた。そして、何人かの男子生徒がこちらに向かってくる。先頭にいたのは、よく知っているあの幼馴染だった。
「……」
他の生徒を手で制して、一対一で綜士に対応する旨を伝えている気配を感じ取った。彼がやってくる。
「ここにはもう来るなと言ったはずだが?」
これまでに見たことのないほど、冷たい目をしていた。
「……隆臣、なんの権利があってお前が俺を阻む?」
「……そういう問題じゃない」
なるべく感情を出さないように心掛けるつもりだったが、早くも心の内界が波立ち、処理が難しくなってきた。
「ならなんだってんだ。俺は詩乃と話がしたいだけだ」
「それは昨日話した通りだ。今のお前は、あの娘にとってなんのメリットにもならない。それどころか……」
言いよどむ隆臣。害悪だ、と続けようとしたのかもしれない。
「なんでお前がそんなことを決める? なんの資格があってそんなことを……」
理性の綻びから生じた激情の芽が手を震わせてきた。
「俺一人の判断じゃない、医者や先生たち、学校の保険医、いろんな人達と話し合って、これまでずっとそうしてきたんだ。この一年半の積み重ねをお前ひとりのわがままで台無しにしていいのか?」
「わがままだと⁉」
さすがに聞き捨てならない、とうとう大声が出てしまった。
「そうだろう、失声症を克服するだけでも半年以上かかったんだぞ……⁉ 今、月坂をまた不安定にするのがお前の望みなのか? 本当に彼女のことを想うなら潔く身を……引け」
語尾の一言は、完全に一線を越えるものだった。
「ふざ……けるな……!」
「友人として……忠告している」
よくも抜け抜けとそんなことを言える、と感じた。
「友人……⁉ ああ! 奏穂幼稚園以来の親友だよな俺たちは! なのにお前は俺が死にかけてる間、気にもかけずに瑞樹と高校生活を謳歌して、いいご身分だな!」
「……」
「そんで今度は俺が一年半ぶりに目を覚まして会いに来たっていうのに、見舞いの言葉すらなくのけ者扱いして……! あまつさえ詩乃と話すことさえ許さない……。これが友人だって……⁉」
「……綜士、世の中がお前だけの事情で回ってくれると思ってるのか?」
「ああ⁉」
「みんな生活があって人生の目標に向かって進んでいる。遅れたやつ一人のために、時計の針を止めることも後ろに戻すこともできない」
「へえ……、バスケ一辺倒だったお前が、ずいぶん詩人めいたこと言うようになったんだな。すごいな、ここの教育は。俺も入りたかったよ」
隆臣にこんな趣味の悪い皮肉を言ったことはかつてなかった。
「お前の出来の悪いポエムなんかどうでもいい! 詩乃と話をさせろ!」
距離を詰めた。隆臣を眼前に捉える。
「……ダメだ」
「あ……?」
「帰れ、詩乃には会わせない」
自分の彼女を、友人が下の名前で呼んでしまった。その挑発に遂に激憤が体の芯から突きあがり、頭を狂わせ、思考の平静を砕いた。
「隆臣ぃぃぃ!」
隆臣の制服の襟をつかんで、殴りかかった、があっさり振り払われ、振った拳が空を切る。それを見た後方の男子生徒たちが一斉にかけてきた。再度、攻撃をかけるも、なんなくいなされ、この弱り切った体では今日まで運動部として鍛えてきた隆臣には到底及ばないのだろう。
それでも、怒りが体の危険信号を無視して、綜士の体を突き動かした。そらされた右手の運動力に合わせて、体全体を一回転させて、
「ぐっ!」
隆臣に全身を預けた裏拳を見舞った。ごく自然にやれた動作だった。しかし、隆臣もそれで終わらない。
「聞き分けろ!」
遂に彼も手が出た。軽いミドルフックだったが、的確に綜士の脇腹に一撃を入れる。
「はっ……」脳がゆすがれ、膝を地に着いた。
息を荒げて、自分を見下ろす隆臣を睨みつける。この男と殴り合いのケンカまでやったのは記憶にあるかぎりこれまで一度もない。
「見損なった……綜士」
「こっちの……セリフだ……」
二人、譲れない信念と想念のぶつかり合い。が、水を差す輩が背後から急襲してきた。
「がっ!」
何者かに後頭部を強打された。
「な……に」
防御姿勢を取りながら振り向いた先にいたのは、異様な風体の男だった。チンピラのようなパーマ髪に、着崩した制服。薄ら笑いを浮かべながら、さらに一撃蹴りを見舞う。反射的に、右手でそれを受け止めた。
「なんだ、お前は」
「へっ、死ねよカス」
今度は振り下ろしのハンマーパンチ、身を引いて紙一重でそれを交わす。
「門間……!」
隆臣が諫めるような声を出したが、止めようとはしない。周りの男子生徒たちのリーダー格になっていると思しき隆臣の黙認、それが彼らに一つの合意を形成させた。こいつはぼこっていい。
気炎を上げた男たちが、一斉に男たちが一斉に足に勢いをつけて、綜士にぶつけた。
「くっ…!」
六対一、いや七対一だろうか。いくらなんでも多勢に無勢すぎる。地面に伏せったまま、捕らえられた猛獣の息の根を止めるかの如くの蹴りの嵐。肌を赤く染め、皮がはがれ、骨がきしむ。綜士の状態など知らない血気盛んな男子生徒たちが手心を加えるわけもなく、死の危険性すら迫ってきた。傍観する隆臣、彼が本気であることはもう疑いようがない。
チンピラめいた男が綜士の正面に立ち、とどめとばかりに勢いをつけて綜士の顔面を蹴り上げようとしたその時、
「ぶが!」
男が顔面になにかをくらいのけぞった、と同時にそのなにかが空中で回転して、なぜか雨が降った。地面に落ちて、コロコロと転がったそれはミネラルウォーターのペットボトル、誰かが投擲したのだろう。そして、
「ずいぶんお行儀がいいんだな、嶺公院は」
何者かがゆっくり歩いてくる。
「弱ってるケガ人を取り囲んでリンチか。見上げた武士道だな、おい」
金色の髪が夕日に照らされて、わずかにきらめいた。
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