(2)

 町の会所前に設置された受付を通って。会場になっている敷地内へとやってきた。パイプ椅子が並べられ、来場者が続々と腰を下ろし始めていた。

「さて、俺たちはどうしますか?」

 隆臣が会場を見渡す。椅子は高齢者に譲って、一般客の中学生の身としては立ち見にならざるを得ないだろう。

「そこの売店前でいいでしょ」

 瑞樹が指さした先にある物品販売所前は開けており、そこで立ち止まった。

「ふう、この寒い中よくやるよ」 

 両手をこすり合わせて起こした摩擦熱が鋭敏に肌を刺激した。

 演説台近くでは市議や町議、商工会議所の幹部と思しき人間たちが、横一列にならんでいた。そこで一際注目を集めているのは、やはり月坂九朗であった。カメラのフラッシュの嵐もものともしない。場慣れした貫禄で来場者たちの挨拶詣でに笑顔で対応していた。

「お……」

 遠目に両親と弟の姿を視認した。ちょうど月坂九朗とにこやかになにか会話を交わしている。

「おじさんたちも来たみたいだね」

 詩乃が髪を結いながら、口にした。

「へえ、あれ伊織ちゃん? 大きくなったね」

 瑞樹が手を目の上にかざした。

「昨日も言われたよ」

 知り合いの幼児を見るたびに出るような感想である。詩乃が笑いをかみ殺すように口元を押えた。

「……」

 先ほどの妙な態度もあり、少し伊織の様子を窺ったが特におかしなところはない。キリっとした顔のまま、九朗に頭をなでられていた。


 単に緊張してただけか……。


 そこでアナウンスが会場に伝えられた。まもなく式が開始される。

「あ、私、そろそろ行くね」

「うん」

「がんばって」と瑞樹。

「なにをだよ」苦笑する隆臣。

 詩乃が踏み出す。

「……!」

「え?」

 おもわず彼女の手を取っていた。

「……綜士?」

「あ……」

 このまま行かせてはいけない、なぜかそう思ってしまった。

「なーにやってんの」

 瑞樹が呆れたように腰に手を当てた。

「おやおや、そんなに彼女と離れるのが寂しいか」

 隆臣も目じりを下げた。アホか、と言わんばかりの表情。

「綜士、どうしたの?」

「……えっと、俺も……」

 行っていい? とは言い難い。まるで母親に置き去りにされるのを恐怖する幼児みたいなみっともなさである。


「途中まで送るから」

 そこを妥協点とした。

「わかった、行こ」

 手を取られ歩き出した。

 人の群れを抜き進みながら、VIPたちの集まる中央席近くまでやってきた。両親たちはあそこにいるが綜士は正規の手続きを経ていない。これ以上先に進むのは適当ではない、だが、

「綜士、そろそろ……」

 手を離せなくなっていた。

「……」

 なぜか離してはいけない、そんな気がした。

「あ、あの……」

 困惑する詩乃、しかし綜士にもこの情動を説明できるわけでもない。手をつないだままになった二人に、辺りが不可解な視線を送り始めた。

「……ごめん」

 そろそろ限界、と、手を静かに、宙に落とした。冷風が吹きつけ冷ややかな感触が、顔中に拡散していく。間を置かず詩乃がそっと両手で頬に触れてくれた。

「すぐ戻るよ……」

 柔い微笑、吸い込まれるような瞳、もう止めることはできない。

「待ってる……」

 詩乃が名残惜しそうに手振りで一時の別離を告げると、歩き始める。その小さな背を瞬きもせず見つめ続けた。


「お寒い中、大変長らくお待たせしました。まもなく日宮祭、開会式を行わせていただきます」

 アナウンスが、神経に障るスピーカーの高い音とともに会場に響きわたった。

「開会の前に、特別来賓の方々の紹介をさせていただきます」

 司会が、来賓席のお大尽たちの紹介を始めた。


 ここにいても仕方ない……。


 隆臣たちのところに戻ろうと、踵を返した。その時、

「え……?」


 ノイズ、のような音を、耳にした。


 なんだ、これ……。


 辺りを見回すも、皆、司会者の説明に聞き入っている。だが、ノイズは一層勢いを増したように感じた。

 首を回す、光の差さない曇天の空、密集する人の集まり、それ以外なにも見えない。

「続きまして、立志党、月坂九朗衆議院議員でいらっしゃいます」

 来賓席に視線を戻した、月坂議員が立ち上がると丁寧に一礼した。近くには詩乃の両親、そして、少し離れた場所に詩乃も着席している。

「音が……!」

 声に出てしまった、ノイズが走るように拡がっていく。近くの人間がなにごとかと綜士を凝視した。

「ほとんどの皆様がご存じでしょうが、月坂議員はここの選挙区で30年以上議員として選出されており、多くの要職を歴任し……」


 みんな聞こえていない⁉


「ッ!」


 その時、であった。


 すべてが、形を、変えた。


「ああ!」

 すさまじい轟音と、ほぼ同時に姿勢を崩すほどの衝撃が体を襲った。

「……⁉」

 聴覚をマヒさせるほどの耳鳴り、目も強烈な閃光を目にしたようにシャットダウンした。石畳に倒れ伏していることだけはなんとか理解できた。


「な、なに⁉」

 一体なにが起こったというのか。ただ圧倒的な風圧により地面叩きつけられたことはわかってきた。徐々にぐちゃぐちゃに混線した語感が機能を回復していく。そして、目にしたのは……。

「あ……ああ……!」

 阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。黒煙がいたるところで立ち昇り、その下には人、と思しき黒い物体が横たわり、獣とも思えないような悲鳴が鳴り渡っていた。

「な、なにが……⁉」

 あまりの惨状に理解が追いつかない。悪い夢でも見ているようなふわふわした倒錯感すら覚える。

 緊急用であろうベルや警報の音すら人間の悲鳴にかき消されていく。茫然と立ち尽くしたと同時に、

「う……!」

 すさまじい痛みが体を這ってきた。極度の熱風を受けてやけどしたのだ。

「く……いた……⁉」

 その痛みが総士を現実に連れ戻した。今、しなければならないことなど一つしかない。

「う、詩乃!」

 彼女の名前を絶叫すると同時に、足は地面を蹴っていた。

 会場は一変し、今やどこがどことも判別できなくなっていた。


 確か……!


 詩乃の両親を視認したその近く、そこに彼女はいたことを想起した。

 苦痛と絶望に満たされた声をかいくぐりながら、必死に彼女を探す、煙と辺り一帯に舞い散るほこりが視界を遮る。

「詩乃! 詩乃―!」

 張り裂けんばかりの声で呼びかけるも返事がない、喉元が熱に刺激され、声を出すだけで激痛が走る パイプ椅子を払いのけて、倒れ伏している人々に目を走らせる。うめきながら助けを求める老人の姿を見ても、この状況では助ける余裕がない。

 黒色に焼けた誰かが、自分の家族であったとすれば……。無力感と焦りで涙が噴出してきた。

「うう! ああ!」

 熱を持ったパイプ椅子を払いのけて、見えたのは、

「あ……」

 月坂夫妻、詩乃の両親だった。

「あ、ああああ……」

 かばい合うように地に横たわる二人、体の中のものが露出して火に焼かれている。もはや絶命しているのは明らかであった。

 つい昨日、詩乃の家で会ったばかりの二人、それが物言わぬ姿となって今、ここにいる。

「う、くう!」

 悲痛に苛まれながらも、思考を整理した。詩乃はここからさほど離れてはいない場所にいたはずなのだ。


 あっちに……!


 痛みを忘れたように駆けだす。熱風が熱傷に追いうちのようにしみこみ、気絶しかねない程の痛みとなって襲ってきたが、今、倒れれば自分もここを最後の場所とするだけである。進むしかない。やがて

「⁉……あ……ああ……!」

 自分が見間違うはずがない。

 ようやく、見慣れすぎていると言ってもいいほどに見てきた、その少女の姿をこの目が確かにとらえた。

「う、うたのー!」

 涙混じりの絶叫をその場に置いて、体を丸めて、地に伏している彼女に瞬足で駆け寄った。

「詩乃! 詩乃!」

 地に膝をつけて彼女を抱き起す。目は閉じられており、完全に意識を喪失している。

「あ、ああ!」

 絶望の慟哭、眼からあふれ出た涙が顔中の傷に熱をまとった風と共に染みわたり、意識が遠のいていく。

「詩乃……! うっ、くう!」

 どうすればいいのかわからない。ただ、狂乱の嵐の中、詩乃を抱いたままなにもできなくなる。ただじっと彼女の顔を見つめていると、


「……⁉」

 小さな口元がかすかに動いた。酸素を欲して、か細い吐息を漏らしたのだ。

 ようやくなさねばならないことを理解した。ここから離れて、彼女を治癒しなければならない。この消え入りそうな命の灯を守らなければならない。

「く……」

 詩乃を抱きかかえると、火鉢にあぶられたような痛みをこらえて足の裏で石畳を踏み、ついに立ち上がった。体力は限界の針などとっくに超えている。

 辺り一面は空爆でも受けたかのごとく凄惨を極めており、どこに逃げればいいのかすらわからないが、熱と煙を避けなければならないことを直感して、一歩づつ進んで行く。充満した煙で呼吸すらままならない。

「ハァ……ァ……」

 意識が朦朧としてきた。脳がこれ以上のダメージを許容できないことを伝えてくる。それでも両腕に抱いた命を手放すくらいなら、死んでもいい。

 再び轟音が木霊した。なにかのガス設備が爆発して、建物の一つがきしみながら、倒壊した

「ふう!」

 その衝撃が暴力的な熱波を発生させ、綜士の背中を強襲した。

「ああ!」

 さらに飛ばされてきた火をまとった塊が左顔に直撃した。顔を焼かれる苦しみに悶えながらも、歩を進める。

 眼の輝きは虚ろいでいき、時の間隔もおぼろげになってきた。死の足音が背後から忍び寄ってくるのを感じた。


 詩乃……! 父さん……母さん……。い……おり……。


 自分の家族もこの灼熱地獄のどこかにいることをようやく認識したが、どうすることもできない悔しさと悲惨に打ちのめされる。


「……あ」

 聴覚がなにかを知覚した。規則的な高音、

「……!」

 消防車のサイレン、と推察した。進路を変えて、その音のする方に足を引きずりながら進んで行く。人の声も明瞭になっていく。

「こ……だ、はや……!」

 考えている暇などない。もはや自分のものとも思えなくなった体に頭から最後の指令を下した。あの声の方向へ行け。

 ようやく、煙を抜けた。妙な姿の人間たちが、わらわらと駆けずり回っている。消防服を着た消防隊員たちであると察知した。

「ァ……!」

 助けを求めるも、もはや声帯がほとんど機能していない。なんとか自分たちを見つけてほしい。

 とうとう感覚が途切れた足が、膝を地面に落とした。


 ここ……まで……きて……。


 死ぬわけには、死なせるわけにはいかない。詩乃を右手だけで支えて、空に向けて、左腕を静かにのばした。

 天を覆う黒雲が、わずかに亀裂を生じさせ、日の光をこの目で捉えた。

「誰かいるのか⁉」

 誰かが走り寄ってくる。しかし顔を向ける力はもうない。がくりと首を下方に垂れた。

「来てくれ! 子供二人が……!」


 詩乃……。


 脳はその活動をスリープさせたのか、今、なにも考えてはいない、無心で彼女の顔

をじっと見つめる。そして……。

「……あ……」

 彼女の眦がわずかに揺れ動いた。魂と体を結ぶ線はまだ途切れてはいないことを最後の力で認めると、視界が暗転した。そして、緩慢な眠気とともに、意識は闇へと落ちていった。



 閉め切られて密閉された暗室に、液晶の光がともった。

『緊急ニュースをお伝えします! 本日、日之崎市柳町で行われていた日宮祭で大規模な爆発が起こり多数の死傷者で出ました! 現在、爆発の原因は不明ですが、警察は事件の可能性も排除できないとの見解を示し、緊急対策本部を設置しました。また会場には、衆議院議員で前外務大臣の月坂九朗議員も出席していたとの情報もあり、事実関係の確認に全力挙げるとしています。さらに……』

 大した音もなく、電源は落とされた。

 


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