第16話 覚悟の差

 何だ。何がいけないのだ。

 何かがいけないのは分かっている。だがそれが分からない。

 合わない。

 徹底して喧嘩のリズムがこいつらに──革命兄弟と噛み合わない。


「ガッ──はッ!」


 血反吐が出そうな連中の異常なチョップ──ラリアット。

 投げ技、蹴り技、締め技に打撃。それらすべてが必殺と言っていい威力を誇り、その一つ一つを捌き切るのは至難の技。それをうまく捌けても。


「ラァッ──アァアアアアッ!」


 打撃で、拳でそれに応じようと振るうが、己の拳が仇となる様に痛みを伝えてくる。

 何だこれは──打てば打つほど、殴れば殴るほど、俺にダメージが返ってくる? 。

 手首が痛い。拳骨が痛い。腕全体が痛みで悲鳴を上げている。

 鬱血した手首、もはや脱臼した方が容易ではないかと思う程に腫れ上がっている。


「どうだ。我らが培ったプロレスの技は!」


「我らは避けぬ。我らは捌かぬ。我らは防がぬ。それが我らが体現するプロレスの在り方だ!」


 革命兄弟二人とも均等に相手をしている筈だが、何故だ疲労がダメージの色が見えない。

 筋肉の張り、照り、そして鬱血の有無など表面的にダメージの目視化のしやすい恰好なのに、それらが一切見えない。


「貴様は不思議に思っているのだろう。何故我々に傷を負わせられないのかと」


「これぞプロレスの日々の鍛錬にて手に入れる肉体。『粘りのある筋肉』の為せる技だ」


 非科学的な鍛錬。異常量のカロリーを消費する運動、そして胃のキャパシティーを超過する異常な蛋白質摂取。それら二つが合わせて作られるのは何か。

 即ち──無意識の肉体の報復心。

 更なる酷使に耐えうる肉体を、更なる過労に対する備えを──すべてそれを凌ぐために行われた日頃に己らに科した業なる根源的なる行い。

 人は正史以来、狩りをしてその命を繋いできた。

 喧嘩など眼中にない。種の違う本当の命のやり取り──即ち食うか食われるかの命の駆け引き。

 故に備える。無意識に強さを欲するのが命の、生命の業。

 日々の肉体を強くしなやかに強かに強化する──成長、進化、発達。

 形容は幾らでもできようそれは等しく示す物は一つしかない──強くなること。

 有史から人は脆く出来ている。

 二本の足でその大地を掴んできた頃より人は構造的に見て不完全に進化した。それを補うかの如く大脳とその両腕を進化させ、『道具』と『知恵』という武器を手に入れた。

 だが、根っこに残るそれは動物としての『本能』は失われず。肉体を常に強化し続ける事は止めなかった。

 その機能を引き摺り続けて、この二十一世紀の現代、その非科学的な鍛錬は、『本能』と結びついた。


「こんなことあるかよ……クソがっ!」


 この時代で食うに困ると言う事は滅多にない。故に食料の不自由はない。

 遺された課題は過剰な運動量を熟せるだけの気概と気迫──根性が必要とされる覚悟だけ。

 武道か、スポーツか、如何なる覚悟を己に科してのか。

 その一つ、パフォーマンス・エンターテインメント・スポーツ──プロフェッショナルレスリング、詰まる所『プロレス』もその一つに区分される行い。闘争を生業とする業種だ。

 まったくの畑違い。見世物としての戦い、大衆に向けての派手なパフォーマンスにチューニングされた技の一つ一つ。全てが壊滅的に終わっている。

 格闘技にしては大振りが過ぎるインフォメーションパンチにキック、なのにその一つ一つが異常に破壊力を持っている。

 捌けどダメージは残り、守れば崩され、避け切れない。

 攻撃という攻撃は革命兄弟の、いや、プロレスラーの『粘りのある筋肉』の鎧にて防がれダメージが返ってくる。

 攻めい、攻めにくい。噛み合わない。

 こうも噛み合わないと。俺の技も無用の長物になり果ててくる。

『廻天』──非理法権天の天に属する業であると教え込まれ、実際そうであった『廻天』にプロレスの技が噛み合わない。

 俺の技が、親父の業が──通用しない。


「貴様には決定的に欠如しているモノがある」


「それが何かわかるか? “塵旋風トルネード”よ」


「俺に欠如しているモノだと……?」


 確証を得たと言わんばかりのしたり顔に、頬が歪んだ革命兄弟。

 意味が分からない。俺に欠如しているモノだと? ──そんなものあるわけが。


「貴様にないモノ。それは『覚悟』。覚悟がが決定的に欠如している」


「心持の問題ではない。何かを背負って立つ気迫、己の技を疑い疑心のまま扱うその姿──滑稽の一言」


 俺が『廻天』を疑っている? 何を馬鹿ない事を。

 この技を疑った事など一度もない。そう、一度も。一度もないからこそ今迄の喧嘩で生き残れてきたし地元で最強最凶最狂と囃し立てられ久しいこの俺に『覚悟』がない、だと。

 一体何の確証をもってそんな事を言ってやがる。一体お前らに俺の何が分かるって言うんだ。

 ただ拳を、肉体をたったの一度打ち合わせただけの間柄で俺の何を知るって言うんだ。

 イラつく、ムカつく、苛立たしい、煩わしい──俺の自尊心にも今までの経験をこいつらはそのまんま返しでやり返してきた。

 聖地と呼んだリングを貶めた俺に、俺の聖地、接待の領域である『経験』にケチをつけてくるなんて──プッツン来るのは誰しもの怒りのトリガーだろう。

 人は縋るものが無くては生きていけない。

 食うに困らずとも矜持があれば生きていける、矜持がなくとも食うに困らねば矜持を捨てられる。

 しかしその双方がなくなると人は──壊れる。

 俺の『食う物』と『矜持』は今までに経験してきた喧嘩の『経験値』──即ち縋ってきた『過去の遺産』。

 それをこいつらは土足で踏み込んできた故に──切れていた。


「────ッ!」


 俺の口から迸ったのはもう日との言葉ではない。ただの叫び声、獣の咆哮であった。

 餌を目の前にした獅子の如く、ただ只管に自尊心うえを満たすためにこいつらを叩きのめさずにはいられなかった。

 飛び掛かって、怒りに身を任せて『廻天』の技も忘れてただ暴力性に身を任せて大火の如く燃え上がる激怒にこいつらをくべよう。

 今迄俺にはコレしかなかった。コレしか今迄求められなかった。だからこれが俺の唯一のよりどころ何な。

 潰す。『廻天』で、憎き親父の業で『廻天』の業で。

 肩甲骨を回し、腕の稼働運動域を超過させ、撓る俺の腕で炸裂させる左フック。

 運動量と、破壊力は等価値であり、肉体もそれに準ずる。

 只腕を打ち出すだけならば筋肉量、面積、骨密度で威力のそれを掲出できる。しかし、限られた肉体の中で最大限に運動量を引き出すとなると、体運動に工夫が必要になってくる。

 腰を使っての円運動の遠心力? それも正解の一つ。だが腰は人間の重心に位置する一か所であり、それを運動域に持ってくると、体の軸がぶれて相応の練習を積まなければへなちょこパンチが関の山だ。

 しかし、この『廻天』のフック。肩甲骨の回転によって力の発生位置を肩よりさらに後方に持ってくる事で威力を肩腕拳の順から、肩甲骨肩腕拳の順に手順を増やし攻撃の威力を更に増すことが出来る。

 革命の兄か弟か、どちらかの胸肉を抉るように凪払う。

 皮膚の擦れる感触を拳の骨から感じ取り、こいつ等の血肉を削ぎ払う。

 脳の皺にビビッと来る確実な肉を削ぎ落す感触が確かにあった。

 革命の兄か弟か、どちらかが胸板から血を吹いた。

 ──まだだ! 。 こいつらはニコイチ。その上、こいつ等の連携は──そこらの烏合の衆とは訳が違う。

 背後から後頭部へ突如として訪れた衝撃。僅かに捉えた視界のその像はラリアットで俺の頭を打ち抜いた革命の片割れだった。

 脳が揺れる意識が──飛ぶ。

 今この意識を手放してはいけないだが──脳、振動は、来る。

 暗転する視界に中で止めのように血を吹いた革命が俺の鳩尾へ強烈な張り手を喰らわして呼気すら奪った。

 俺の眼は裏返って白目剥いて倒れていた。





「馬鹿が、こんなとこで倒れてどうするんだ──立てや! 轟ぃッ!」


 三河の悲痛な叫びの問うな怒声がリングの外で発せられた。

 あの冷静沈着、用意周到で罷り通っているあの三河がだ。これで──確証が得れた。

 アタシは扉に手を掛けたそこへと入った時だった。

 歓声にも似たドヨめきと、感嘆の声が聞え見えた。


「兄よ。この者中々に頑丈である様ですぞ」


「そのようだな弟よ。期待の新星『“塵旋風トルネード”』の名前は伊達ではないようだ」


 息も絶え絶えと言った様子で立ち上がっていたその闘士の姿は満身創痍。

 当然だろう。喧嘩の最中にあの轟タケルは意識を飛ばした。

 アタシとやり合っただけの実力を持ちそれなりの修羅場を潜ってきた男ならば、その意味するところは百も承知のはず。

 戦闘の最中に意識を飛ばすと言う事は、寝起きにいきなり水をぶっかけられるのと同じ、唐突な日常からの非日常へ投げ込まれるのと同じで、喧嘩の最中で育っていた覚悟諸々のそれが一瞬でリセットされるのと同じなのだ。

 復帰はかなりの難題。果たしてこの男は立ち上がれたとしても喧嘩を続行できるのか。


「かッ──ヒューッ、はァ」


 息もマトモに吸えていない。

 しかし、その背から漂わせる雰囲気──喧気のそれは、衰えず。

 しかもそれは倒れるよりも更に増しているように感じる、異様な目に見えるかのような可視化できそうなその異常過ぎる雰囲気は喧気の息を越えて──殺意を覚えている。

 ゾクッとする。肌が聳ち鳥肌が脳の中から全身に広がっていく。

 異常、これ以上の表現方法がない程の異常。

 空間の温度すら下げているかのような異常な雰囲気に腸が冷え込んでくるようであった。

 轟の腰が更に低く落ちる。

 ガニ股に腕をだらりと下げて肩だけを回転させている。

 餌に飛び掛かる空きっ腹の野獣の立ち姿。『生きる』事に必死なように、『喧嘩』をすることが命題かの如く変貌し変わり果てた男の目に捉えていたのは──獲物だけだった。


「────」


 奇声と共に態勢を低くタックル。

 肩回転からの腕を鞭のように、いや、あれはもはやモーニングスター。拳を鉄球に見立て腕を撓らせ狙いを付けて向けられている箇所は──革命兄弟の片割れの片膝。

 それが考えの突き詰められた行動なのか、それともただ単に本能のそれなのか判断は付かない。

 しかしその行動は適切且つ的確。

 プロレスラーの肉体は上半身に筋肉を付けがちだ、一概に下半身はヒョロイとは言わないまでも上と比較すると確実に下は劣っている。

 プロレスというエンターテインメントスポーツであるために、多少の台本めいたそれが存在しているのか、戦いを他者に過剰に『見せる』為に必要以上の持久力が必要になってくる。

 長期戦向きの肉体構造の理想形は逆三角形の肉体を示す。──プロレスラーの肉体そのものだ。

 対する轟タケルの肉体はといえば──真逆。超が付くほどの短期決戦型の体形をしている。

 足はしっかりと大地を掴んで、上半身は最小限の筋肉。スピーディーではあるが、決定打に賭けるだろう。

 しかし速度に威力は付随する。もし、轟タケルの修めた武術が、スピードを突き詰めた武術であるのならあるいわ……。

 過度な期待は持つまい。

 噛み合わないだろう。仕方ない肉体のコンセプトからプロレスラーの技術、覚悟の差もある。

 全てが反転しているのだから噛み合わなくて当然だ。やりにくいだろう。

 それの意味することは──轟タケルは読み取れるか。


「…………」


 アタシは無言に歓声の輪の外でそれを見て傍観する。

 本来ならば今すぐにでも止めに入り懲罰の為の措置を取っていいだろう。何せ闇試合が今アタシの目の前で行われているのだから。

 破られやすい校則なのは分かっている。ある程度の黙認もしている。

 しかし今回はその黙認も看過できない程の規模だ。一体多数。多勢に無勢は喧嘩ではない──蹂躙だ。

 蹂躙に伴う意味など愉悦と他人を見下す醜い感情だけであり、喧嘩の中で輝く本当の光は見いだせない。

 喧嘩の美しさは個々人の全霊の感情が乗る事だ。その美しさが最も失われるのが、これだの現状だ。

 上手く捌き切っている。轟タケルのその動きはまるで蜘蛛のそれ、下半身は不動に、摺り足で体重移動をして、上半身はフレキシブルに、腰を中心に上へ下へ、右へ左へと変幻自在に動き大振りの革命兄弟の攻撃を捌いている。

 攻撃もより執拗に──まるで纏わりつくかのように加速していく。

 その拳にアタシが見た轟タケルの思いは、抵抗心。

 親への反抗のように、大人への反抗のな確固たる意志が見て取れた。

 喧嘩の作法がまるで崩れて無様な喧嘩であったが、しかしその意志はしっかりとしている。

 喧嘩の自己表現。それをこんなにも不恰好に愚直に表そうとしているのは何故なのか。

 見ていられなかった。アタシの見たあの光、確かな己を表現しているあの男の後ろ姿があまりにも哀れで、惨め極まりないく気の毒に感じてしまうほどの悲哀に満ちたその姿にアタシはもう見るに堪えられなかった。


「そこまでだ。風紀委員の定例巡回をさせてもらう」


 アタシは、爆川あかねは高らかに声を上げて宣言した。

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