第15話 スパーリング

 何が起こった──。

 記憶の一切が途切れて、今覚醒する俺の意識が、本能が危険信号を必死に発して俺は跳ね起きて態勢を立て直し、構える。


「兄よ。この者中々に頑丈である様ですぞ」


「そのようだな弟よ。期待の新星『“塵旋風トルネード”』の名前は伊達ではないようだ」


 余裕綽々と言った様子の覆面姿の二人組が腕組みして俺の前に立っていた。

 なんだ──いったい何が起こったんだ。俺は『廻天』の構え、肩甲骨を回転させ臨戦態勢を取った。

 いけねえ、大変にいけねえ──記憶がぶっ飛んじまってる。

 記憶が飛ぶ、即ち戦闘の心持ち『覚悟』も一緒に飛ぶのと同義であり、俺の体の全てが初期化されたのと同じなんだ。これが意味する事即ち──出会い頭に背後からいきなりナイフで刺されたのと同じ状態。整理がつかいのだ。


「かッ──ヒューッ、はァ」


 肺の圧迫感。そして喉の押し潰れるような違和感。

 状況から察するに俺の気管を潰して脳への酸素供給を一気に立って意識を強制的にシャットダウンさせて意識を飛ばしたんだ。

 何となくだが、記憶が戻ってきた──そうだ俺は。

 三河と敵情視察に来たのだ。そして模擬試合をすることになったのだ。

 このエセ四次元殺法コンビのクソどもにここまで追い詰められたのだ──。






「200ッ! 201ッ! 202ッ! 203ッ!」


 部室に広がるのは科学的に完全に非合理的なトレーニングの所業であった。

 室内に満ちる汗の臭気と纏わりつくような熱気と湿度。それらすべて部員たちの非科学的トレーニングに基づいた荒行ともいえる訓練。意地と耐久性と根性が試される訓練。

 ロープ登り、プッシュアップ、ブリッチ、ヒンズースクワット。それぞれ常軌を逸した回数、時間を熟しているのは明白でそれを当たり前としているのだろう。

 更にプロレスリングの上で行われている光景は更に常軌を逸している。

 汗のかき方と顔に浮かぶ疲労のそれを見れば五つの訓練を踏破してから始めたのだろう──スパーリング練習をしている。

 互いに組み合っている者たちの表情は苦痛と苦悶の表情で水平チョップの打撃に組み合い締め合い投げ合っている。


「途轍もないな。非合理だ」


「ああ。非合理だ。だが根性だけはそこいらの部活にはない程ある精鋭たちだ」


 三河の言動には慎重であるのはこの短い付き合いでも分かる。その男がそう言うと言う事はこの者たち只者ではない。

 筋肉の張り、付き方、そしてデカさ、常識外れ。

 どいつもこいつもどういった訓練をすればこんな化け物じみた体になるのか問いただしたいくらいに体が異常に発達している。

 俺のように『廻天』とう技を修める為に必要最低限の筋肉しか着けてきていない者とは違い、まさしく筋肉達磨、ゴリラだ。

 これぞ古来より行われてきた非科学的な極致の究極の方法であり、確かな肉体を得る方法と言える。

 過剰な運動と過剰な食事。異常消費と異常摂取を繰り返し造り出されれるのは──これらの肉の鎧。


「おっそろしい根性だ。俺にゃこんな根性も覚悟もないね」


「だろうな。日和見主義の風来坊だ。──坊は坊でも今は俺達化学部の用心棒だがな」


 スパーリングでリング上の一人が泡を吹いてぶっ倒れて、それで終わりかと思えば、代わる代わる他の者がリングに上がり、更なるスパーリングを始めるではないか。

 終わりなどない、終わりなどはありはしない。ぶっ倒れるか、立ち続けるか。その二択だ。

 その中でも一際異彩を──雰囲気オーラとでも言うべきものを醸し出している者が二人いた。

 部室の奥で、互いに逆水平チョップを互いの胸板に撃ちあっている二人組。

 覆面姿でナニの形がくっきり浮かんだブーメランパンツのその二人は俺の目に映ったのは印象は──言うなればシンメトリーの彫刻のような男たちであった。

 雄であることを主張する立派な筋肉──ギリシャ彫刻にしては少々肉を盛り過ぎているが、これはまさしく金剛力士、阿形吽形のそれと同じ。

 覆面の柄と僅かながら背丈が違うだけでそれ以外はまるっきり一緒。


「あれが今回の俺達の目標にしてゴールポスト、ターゲットの『革命兄弟』。革野命一、革野命二だ」


「そうかい。ならさっさと潰しちまって良いんだな」


 俺はズイッと場の空気を読まずプロレス部部室のど真ん中を突っ切ってそいつらの者とに向かった。

 視線を感じる──しかしそんな事は気にしない。気に掛けない。

 喧嘩をするのにいちいちその場の空気を読んでいて何ができようか。往来だから喧嘩をしない、人目があるから喧嘩をしない。

 ──馬鹿が、喧嘩に作法も流儀もない。

 喧嘩はただの物理的な暴力を伴った主張のぶつけ合いだ。俺の主張は『革命兄弟』なるこいつらをボコボコにして乱闘喧嘩祭の出場権を奪って心置きなくワンゲルの出し物の手伝いをする。それだけだ。


「てめえらが『革命兄弟』か? 喧嘩しようぜ」


 俺は見下す様に顎を突き出してその二人を嘲笑の貌で見た。

 こんな非合理な連中に負けるほど俺は生半可な喧嘩をしてきていない。理に順じ理に適い、理詰めの果てに理解の超常へと至っている。

 手前味噌のようであるがそれ即ち『廻天』であり、あの憎たらしい親父の作った技は、認めたくはないが、完璧に近い『最強』と称するに値する武術であると思っていた。


「兄よ。こやつもしや噂の──」


「うむ。確かに。──新星。この極天地に新たに吹き込まれてきた風の『“塵旋風トルネード”』と見て間違いはないようだ」


 革命兄弟は互いに腕を組んでシンメトリーのように立つその姿にぞわっとするものを感じた。

 あまりにも『同じ』過ぎる。

 もう、一人でいいのではないかと思う程同じ立ち姿振舞い方、その在り方に疑問を感じずにはいられない程にまったくと言っていい程に『同一』。

 完璧な複製──どっちが兄なのか口を開くまで分からない程だ。僅かに背が高い方が兄貴で、僅かに低い方が弟だ。

 この区別とて目を凝らさねば分からない。マスクの柄も、ブーメランパンツ穿き方も、肌色もすべてが同一。はっきりと区別するには困難極まる。


「せっかくの喧嘩のお誘い悪いのだが、私たちは大切なスパーリングの時間なのだ」


「またの機会を願うのだ」


 何ともお堅いお返事で俺にそう返してくる革命兄弟に俺は煙草を咥えて火を付ける。


「……──ーッス。はァ──……、スパーリングってアンタらがここに立ってシバキ合うのかい?」


 俺はリングを背もたれに親指でそこを指す。


「ああ、その通り」


「我々の聖地。我々の表現の場だ」


「そうかい……じゃあァ……」


 俺は煙草を摘まんだ指で煙草を弾き、灰をリングの上に降らせて卑劣に嗤う。

 自分の土俵を聖地だ何だという奴らは大抵プライドが高い連中ばかりだ、自分のやり方に自信満々、それが周囲に認知されて当然と考えている。

 それを土足で越えて見たのなら──言わずもがな。


『……──……』


 兄弟二人目を血走らせて俺を睨むように見ていた。

 これだ。簡単だ。

 この手の手合い──ヤーさんと同じだ面子メンツで飯食って言ってる連中と同じだ。

 メンツを潰されたのなら、潰した相手を徹底して潰し返しに仕返しをしてくる。そう言った手合いだ。


「俺の間違いか? ここはどうにも煙草を吸いたくなる。──特にこのリングの上へだとな」


 俺はリングの上にあがり込んで大きく煙を吐き、灰を更に降り積もらせる。

 心の底から馬鹿にするように、そう振舞う事で相手の俺が心底自分たちを馬鹿にしていると考えるだろう。

 結論として言うのなら当たらずしも遠からず。確かに心底馬鹿にはしているが、同時に警戒もしていた。この二人の雰囲気オーラを感じて油断して掛かるのは愚か者のすることだ。

 この二人は──普通に強い。

 一般常識レベルより僅かに抜きんでている程度だろうが、それでもニコイチ、『革命兄弟』、『“乱雨台風サイクロン・ハリケーン”』と渾名されるだけの実力は備えている。

 単純計算で腕が四本ある多方向から攻撃が可能な格闘家だと思えばいいのだ。楽観的に考えればそれで済むが。


「済みそうにもないな……」


 俺は小さな声でそう言い、薄笑いを浮かべてリングの上で煙草を踏み消した。

 奴ら『革命兄弟』のプライドにトドメの一撃だ。これで喧嘩に乗ってこない奴は相当な腰抜けか、冷静さを兼ね備えた強者。

 俺の土俵に乗せてしまえばこっちのものだ。


「いけないな。これはいけない」


「備品は大切に。リングは大切に──意識は大切にしなければ」


 兄弟二人はそう言って遂にリングの上に──上がった。


(──勝った)


 そう思った。確証にも似た感情が芽生え、奴らの顔面を足蹴に潰してやればこの部活の全権を握ったも同然。後は三河の好きにさせればいい。

 そう思っていた──が。


「────ガッ──」


 喉を刈り取るように、頭を刎ね飛ばすかのように炸裂したクロスエルボーが俺の頸を直撃した。

 背中から俺はリングの上に叩きつけられ体がリングの反発力でゴム毬のように跳ね上がる。

 息が出来ない。まさかここまでとは想像できようか? この巨体で、この重いたいであろう肉の鎧を身に纏った革命兄弟が、陸上選手並みの速度で突っ込んでくるなんて。


「口ほどにもない」


「初撃を受けようとは舐めているのか?」


 舐めているどうこう以前の問題だ。

 俺は馬鹿だ。常識に囚われ過ぎている、本番の喧嘩ころしあいではないにしても、これは仕合ケンカ──これの為だけに心血を注ぐものも居てもおかしくない。

 それがこの極天地の空気風紀、マナー、常識だったのならばなおさら余計にそちらに傾倒する連中も現れよう。

 そしてその現れた結果の一つの結果が──『革命兄弟』。革野命一、革野命二両名の“乱雨台風サイクロン・ハリケーン”なのだ。

 ヤバい。息が正しく吸えない──肺の圧迫による収縮障害ではない。単純な気管外圧傷の呼吸困難だ。

 こうなった時は──この手に限る。

『廻天』にはこうした戦闘困難に際した時の対処法を幾つか用意されている。特に呼吸器系は顕著に多いい。手足が折れていようとアドレナリンがドバドバ出ている喧嘩の最中では痛みなどは然程も感じない。

 しかし呼吸器に関しては話が別だ。意識とは脳への酸素供給と直結しているが故に空気を肺へと取り込めない状況は詰みに等しい。

 故に肺圧迫の際の呼吸困難は空気を取り込むのではなく限界まで吐き切るのが鉄則。

 そしてこの気管外圧傷は──。

 徐に俺は指を喉に押し込んで喉チンコを摘まむように指先を気管の奥へと侵入させる。


「ウ゛ぅエ゛ぇッ!」


 激しく嘔吐えづき涎も胃液も一緒くたに口からダダ漏れさせる。

 遂には胃の底まで空っぽにしてようやく喉の苦しさが、嘔吐えづきの苦しさに変わり、そして喉の酸素供給が再開する。


「これほど無礼者とは」


「礼儀を弁えず、聖地を汚す無頼漢か」


 革命兄弟は二人並んで見下す様にリングに伏せる俺を見下ろして薄ら笑いを浮かべていた。

 上等だ。上等だ──やってやる。

 スイッチを入れよう。喧嘩のスイッチだ──変わることのない凶悪で最悪のあのスイッチを。

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