第13話 初めてのキスは刺激的に
「轟君……轟君!」
「うん? ……ああ済まねえ、ちょっと呆けてた」
「大丈夫? なんだかここ最近ずっとそんな感じだよ」
放課後の僅かに日が傾き始め風景が赤みを帯び始めた時間帯。
俺と鮫島で、喧嘩の練習もとい、俺の習って身に染みて覚えた戦い方を教えていた。
しかし、俺の方に身が入らない。
別に鮫島の動きが悪くて嫌気がさしたなどといった事はない。体調が悪いと言う事もない。
原因を突き詰めていくという心意気を誰が買おうか、さて困った。
俺は突き詰め過ぎて行ったのだろうか、それとも幻想を見ていたのだろうか。
夢を見て、夢に憧れ過ぎて、その夢が現実となった時想像が現実を凌駕してしまって拍子抜けってそんなとこか。
「動きはいいぞ。後は肩の動きを意識して、こう──肩甲骨を回す感じで」
くねくねと俺は動きを実演して見せた。
傍から見るとただ肩を上下しているようにしか見えないだろうが、これも俺があの忌まわし親父より仕込まれた技なのだ。しかも基礎の段階。
巷で言うとこの『ウェイブ』に近い動きだが、これはそれをより実践的に、実戦的に突き詰めた武術。
名前なんてどうだっていいだろうが、あの親父はこの武術を『廻天』と名付けていた。
この平和ボケした日和見主義の日本人に戦時中のあのハングリー精神を、富国強兵の精神を取り戻させようと武器に頼らず、己の身一つで、この肉と骨で構築された肉袋で、一騎当千の英霊を生み出そうと作り上げた
鮫島と二人向かい合って肩をくねくね、肩甲骨が回転するのを意識する。
胸を張って、腕を回すのではなく、腕の起点たる肩、その更に起点の骨子たる肩甲骨を深く意識して回すのだ。
肩甲骨の内側に張り付いた筋肉を引き剥がすように意識をそこへ集中させて回す。
「……ふぅん……、だいぶ鈍っているな……」
肩甲骨を回しているから分かる。
鎖骨の当たりがポキポキと音を立てている。胸骨の頂点、胸骨柄と鎖骨の隙間に気泡と余計な筋が溜まっている証拠だ。
頸や指の骨がポキポキなるのと同じで骨と骨との間で気泡が弾けているのだ。
この気泡が完全になくなるまで回し続けて、完全になくなって動きが体に馴染んだ時に初めて『廻天』の下準備が出来る。再度言う『準備』ではない、『下準備』だ。
準備する前段階。基礎のその前の段階だ。
と言っても俺は親父のように鬼ではないし、手加減が出来る程の裁量がある方だと理解している。
鮫島には過ぎた技だ。というより危険だ。
日本人の平均
『廻天』は肩幅がモノを言う技であり、射程距離も肩から肘までで短い。
そんなハンデを元より背負っている技なのに
ならば肩甲骨回転は不必要だろうというだろうが──しかし武術は一芸を極めれば多岐に渡って応用が利く。
歩く事の出来る足を、人間は走る事や、蹴る事、ドリフトや片足立ちなど本来なら不必要な動きにも使う事が出来るように、この肩甲骨回転も応用をすれば──。
「ッ──ッ──!」
浅く息を早く細かく吐き、両腕で裏拳をシャドーに打つ。
肩甲骨が上へと上がりきった時に振られる腕の円運動は瞬発的でいて尚且つ腕は意識するまでもなく脱力している。
脱力は何よりも大切だ。バッティングもボクシングでも。
刃牙でも言っているだろう、究極の脱力を得たのならゴキブリ並みの速度が出せると。
まああれは誇張が過ぎるが、あの解説の通り確かに脱力は大切な役割を果たしている。その脱力を意識するまでもなく出来るというのは過分に大きい。
神経の配置なのだろうか、それとも筋肉の向きから意識が向く前に振られているのか、どっちにしろこれが顔面のどこにでも当たれば中々の威力になる。
顎に当たれば必勝、頬に当たれば頬骨は砕けるだろう、さらに上に行けば脳震盪は確実だ。
更に速度を上げて裏拳打ちを速めていく。だが、身に入ってこない。
何かが邪魔をしている。
「次どうしたらいい?」
「俺と同じ動きをして見な。武器持って。出来るだけ武器を手首の先で操るようなそんな感覚でさ」
腕が風を切る音と、棒を風を撓ませる音。
互いに同じ動作をしているが、しかし互いの意識している所は全くの別方向を向いている。
鮫島は直向きに強くなろうとしていた。弱い己を越えようと必死に俺に『廻天』を倣って。
対する俺は──。
三河主催のワンゲル対ボーイスカウト部活対抗乱闘祝勝会が終わって約一週間ぐらい経っただろうか。
大層俺はあの祝勝会を楽しんだが、ただ一点に措いて心の底に滓のような引っ掛かりのような、心の一部に突っ掛かる事で思い悩んでいた。
そう──セックスが上手くいかなかったのだ。
途中までは良かった、途中までは。
壁沢にチンポを触られ愛撫され扱かれているとき、まさしく俺のチンポは他人の温もりを知りオナニーで得られた快感など耳クソほどのモノだと知った。
そして人の体温の熱さをペニスで感じた。生でぶち込んで処女を奪い、童貞を捨て、男となったはずなのだが、どうしてだろうか。
あのまま興奮が続いていれば、勃起が持続していれば、スプラッシュは出来たのだろうか。
深く、深く考えるほどに答えが遠のくようで、思考がまとまらない。
何故だろう。童貞でいるより情けなく感じる。ここ一番で極められない男ほど情けなく哀れな存在はいないだろう。
俺は差し詰め『射精童貞』とでも言えばいいのか、あれだけお膳立てされ、据え膳食わぬは男の恥とその恥を見事に被って大恥をかました、結果として残ったのが壁沢とのどうしようもない空気感と、無言の沈黙。
ああ、恥ずかしい。いっその事中折れする位なら腹上死した方が男冥利に尽きよう。
初夏の夕暮れに、黄昏るのもいい加減にしろと言われるのも仕方がないだろうが、黄昏させてくれ。男としての、雄としての、
だが、それでも蛙の鳴き声だけは五月蠅いぐらいに響いてくる。
この感情をなんと例えればいいのだろう。羞恥心? それとも後悔? いや、たぶん罪悪感。
あれだけの事をしておいて、しでかして措いてこの為体、嗤われたって仕方がないだろう。
「死にてぇ……」
いっその事死ねたのならきっと楽になれるのだろう。だが死ぬ勇気もなければ、自分を含めた誰かを殺す度胸もない。半端だ、半端者だ。
親父も言っていたかな、鍛錬を逃げ出した中二のその時、大声で怒鳴っていた気がする──半端者め、と。
半端だ。半端だとも。半端だからこそ我を見失う。
セックスの時も、喧嘩の時も、我を忘れて制御の出来ない本能に身を任せてしまう。そのおかげでインポ擬きの恥を被り、乱闘試合で堕ちる寸前にまで追い込まれたのだ。
たかだかセックスじゃないか。そう笑うモノもいるだろう。
しかしながら当人の俺からすると重大な危機だ。
雄として、生き物としてどうなのだ? セックス、交尾のフィニッシュに射精できない者など、生きる価値ないだろう。
『廻天』と同じようにはいかない。反復練習と、体に馴染ませる休み時間。この二つで今迄何とかなっていた。
何とかなってしまっていた。
それがこんな局面に直面すると──思考と体は
頭で考えている事と、体の反応が相容れず、ボディーイメージが崩れたとでも言えばいいのか、とにかく噛み合わなくて、射精が出来なかった。
俺はポケットから煙草を取り出して火を付けた。
煙草の紫煙を肺一杯に吸い込んで、その苦味と喉に残る絡まる煙の感触を楽しむ──こともなく考え事にうまく肺に脳に、ニコチンが回らない。
よくある事だ。大抵こういった時はニコチンがすでに全身に回っているか、悩み事でムシャクシャしているかの二択だ。
解決策は、脂物でニコチンの喉の通りをよくするか。もしくはガムシャラに動く事だ。
「何をしている。この学園は全敷地は禁煙だ」
矢庭に声が飛んできたために俺はビクッとして身構えてしまったが、その声の主は。
「なんだよ……爆川か、脅かすなよ」
左足の膝に痛々しくも巻かれた包帯。俺の肘鉄で砕かれた骨を補強しているのだろう。
これで松葉杖を突かれたのなら俺は本当に情けない。己を見失ってその結果こんな可憐な少女の膝を叩き割ったと思い知らされるようで、現実が嫌になっていただろう。
幸いなことに爆川は松葉杖なしでしっかりとその足で歩いていたのだから少しは現実を直視できる。
気まずい……どう言葉を掛けたらいいのか分からない。
大抵のボコボコにした相手は俺を避けて俺を遠ざけて視界に入る事すら嫌がったが、こいつは違う。
正々堂々と、俺に喧嘩を売って、実力で負けて、喧嘩に勝った。
俺の唯一の取り柄である腕っぷしも、これでは立つ瀬がない。
「禁煙だ。直ちに消して懲罰を受けろ」
「マジで言ってんのか? ケガ人だろ。少しゆっくりしろよ」
俺は咥え煙草で差し伸べ、爆川を気遣おうとしたがその手は振り払われた。
「女と思って侮るな。この程度の怪我どうと言う事は──」
傷ついた左足を踏み込んだ瞬間、苦痛の表情を僅かに見せそしてその態勢が崩れてしまった。
俺は咄嗟に爆川の体を支えてるために腕を伸ばして受け止めた。
軽い。病的な程ではないにしても、男の体重から考えると断然に軽い。
こんなに軽いウェイトで俺と殴り合ったのか。それを考えるだけで恥ずかしくなってくる。
己より劣る相手を手玉に取るほど卑劣な行為はない。親父から聞いた唯一タメになる格言であり、確かにそれは本当にその通りなのだ。
弱いものをイジメて楽しむはただの卑劣者。爆川は俺よりも劣っているとは思わないが、しかし女性というだけで庇護に値するだけの価値がある。
いらぬ世話だと跳ね退けられようと男として、女を愛で守るは男のサガというもの。
女を守れない男ほど情けない者はいない。そしてそれを貶めて弄ぶ行為は卑劣にも劣る、外道だ。
そう俺は、外道だ。
「悪い……。余計な世話だったな」
俺は煙草を踏み消して吸い殻をポケットにねじ込んだ。
コイツにこれ以上迷惑はかけられない。俺は爆川を支えた体を放して距離を取った。
居心地が悪い。場所を変えようと踵を返した時、爆川が再度訊いてきた。
「何かあったのか? お前らしくない」
「お前らしくないって……お前と俺はたったの三回しか顔を合わせてないんだぞ。何が分かるって言うんだ」
「アタシは風紀員だ。この学園での困っている生徒には等しく助けの手を差し伸べる義務がある。身体的にもそうだが、精神的にも悩んでいるなら相談に乗るぞ」
その言葉に俺の足が止まった。
確かに悩んでいる。しかし内容が内容だ。
女性に、異性に色事の相談を相談するのはいかがなものか。しかもその内容も裏部活の祝勝会に参加してその勢いで同意のない行為をしたといった事など話すべきではない。
だが、この気持ちばかりは話さずにはいられない。困り事を他人に相談するのは弱い者がすることだと思っていたがしかし気持ちばかりは『言葉』にしなければ決して他人にはその真の意味が伝わることはない。
俺は思い切って言って見る事にした。
「この間、俺は童貞を捨てた! ……でもイケなかった。それで悩んでたんだ」
「…………」
こんな事を相談するなど、俺としても顔を見せるのは気恥しく背を向けたまま言った。
僅かな沈黙で応じる爆川に、僅かな空気感が悪くそれをヒシヒシと感じていた時、少し戸惑ったように爆川が声を発した。
「そ、そうか。それは、おめでとうっと言うべきなのか」
「めでたくねえよ。イケなかったんだぞ。男としての恥だ。雄としての恥だ」
もう異性にこんな相談をしている時点で雄の恥どうこう言っている謂れはない。ただの恥の塊だ。
恥に塗れて、恥を晒して、恥を重ねようと既に犯した現実は変えられない。壁沢と交わった事も、こうして爆川に相談していることも。
現実を受け止め不可逆の現状を改善と行動を起こす事しか人間には赦されない。
これで現実は変わるのか、変えられるのならそれでいい。変えられなければただ恥をまた重ねるだけだ。
もう怖い者などない。これ以上の恥を受ける事など稀にないだろう。
どうなろうといい、どうなったっていい。最早捨て鉢に思考が傾いていく。
「恥をかかされたわけでもねえ、自分でかいた恥にどうやってケツを拭けって言うんだ」
「……その、お前は、そのセックスを、引き摺っているのか……」
「引き摺らねえで何を引き摺るって言うんだ!」
「ならば、ならば──アタシが相手をしてやらなくもない……」
「──……はァ!?」
俺は驚きで振り返った。想像もしていなかった反応に頭が混乱している。
爆川の顔を見ると夕暮れの赤と同様に顔が赤らんで、俺と同じ『恥』を感じているようであった。
口元を手で隠して少しでも気を紛らわせようとしている風に、あの荒々しい爆川の雰囲気が、あの威勢のいい爆川が──女の顔であった。
語弊があるが俺の目には彼女は、爆川の顔は恥じらう乙女の可愛らしいその姿に捉えられて仕方がなかった。
花も恥じらう歳うら若き乙女の表情──いや、待て、待て待て。
俺と爆川にそれほど接点という接点は無いはずだ。あるのは殴り合った刺々しい関係性ばかりで、男女の関係に発展するようなことは一切なかった筈だ。
だが、彼女の表情。彼女の顔は確実に俺に好意を寄せている表情であった。
俺の勝手な勘違いか、それとも本当に的を獲た考えなのか。定まらない。
もし、もしもだ。彼女が、相手をしてくれるというのは──その、あれだ。
──彼氏彼女の事情になってもいいと言う事なのか? 。
「どうなってもいいのか……? 俺が相手なら……」
「…………」
「どうなってもいいのかって聞いてんだよ!」
俺はズカズカと大股で爆川ににじり寄ってその髪を掴んで俺の顔を見させた。
震えているようで、俺の手に彼女の恐怖心や緊張、そしてささやかな期待。
──こいつ……馬鹿なのか。俺を相手に選ぶなど。数回しか会っていない男を身を許すなど、とんだ、そうとんだ。
「アバズレか? どうなんだ? 俺に抱かれてもいいってのか? えぇ?」
「それで……お前の気が治まるのならば。……いくらでも私の体を使って自らを慰めろ」
まるで自分がどうでもいいような言い方をする爆川に、俺は奥歯をギリギリと鳴らして苛立った。
何だその捨て鉢な言い方。まるで自分は他人の物でもあるかのような言い方をしやがる。
自分は自分だ。確固たる孤独を誰もが持っている筈の孤立した個人でしかない筈だ。なのに──こいつの言い方は自分が公共物かのような、そこら辺のベンチや自動販売機、街灯のそれのような言い方をしやがる。
苛立たしい、苛立たしい。
何が腹立たしいって、俺が一人気取って天涯孤独になったみたいじゃないか──ふざけるな……ふざけんじゃねえ。俺は一人じゃねえ、俺は一人じゃねえんだ。
「ッ──!」
無理やり俺は爆川の唇を犯していた。
互いの唇を重ね合わせ、その体温を、その唾液を、その体液を互いに入れ替えるように、舌を器用に使い
口移しに俺を爆川という雌に送り込んで侵食する。
成されるがまま、俺の本能に身を任せられてその震える体を抑え込まれ
爆川を押し倒して草むらの上で爆川の体を覆うように俺は上を取って見下ろして、その舌を引き抜いた。
ツーっと唾液が息を引いて、互いの繋がりを惜しむように垂れた。
「このまま抱かれても、このまま犯されてもいいのか」
「お前がそれでその……交尾の引き摺りを乗り越えられるのならば、アタシは幾らでも──んんっ!」
俺はその口を塞ぐように再度唇を付けて俺はその唇を喰らうかの如く接吻をする。
興奮、狂想、昂奮──例えようのない感情の高まりに俺の体は正直に反応する。熱を佩びて、下半身には血が滾り逸物に血が巡って怒張する。
パチパチと視界が弾けるような刺激、唇から全身を駆け巡る快楽のそれが遂には──。
「ッ──。止めだ止め! 猿の一つ覚えじゃねえんだ。惨めったらしく引き摺ってられるか」
俺は爆川の体から体を退け、返事も聞かずにその場をたった。
献身的、いや、自己犠牲的な爆川を見ていると俺が惨めに見えて、仕方がなくてそれから目を背けたくて、俺はその場から逃げるようにして去った。
夕暮れは誰の物でもなく、ただ照り輝き俺達を汚してくるように光っている。
風情を感じる心があるのなら、詩を紡げる力があるのならば、これは恐らく黄昏、そして虚無感。
ズボンとパンツを一緒に捲ってその中身を見ると、見事としか言いようがない射精を俺は果たして果てていた。
たかだかキス位で、たかだかキスで、俺は絶頂に達したのだ。
心理的な理由なのか、それともほかの何かなのか。その意味は分からない。
だが、俺はキチンで女で射精できる事が分かった。喉の詰まりは消える事はないがしかしながら彼女は、爆川あかねは俺とは対極にあるような気がしてならなかった。
俺と同じ場所にいるが、全くの真反対にいるような──そんな気がしてならなかった。
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