第7話 獣なる夜に煙を

「────」


「ハイよ……じゃあそういう風に事を運びますわ」


 第二部活棟の化学部部室の教員室で密やかに行われた対談。

 顔を互いに見る事はないが、しかししっかりとした信頼関係が成り立った密談であった。


「リョウくん! 次は何処攻めんの?」


 三河リョウの取り巻き衆、もとい化学部部員の一人が意気揚々と言った様子で三河に話していた。

 弱小部活である化学部にそれこそ一クラス分の部員を抱えているのにはある種の訳があった。

 人間やはり甘い蜜を知ってしまうとその毒牙より逃げだすことは容易ではない。

 飴と鞭という言葉があるが、鞭など必要ない。飴という名の麻薬で頭の中から染め上げてしまえばそれこそ盲目の従者となりえる。

 意味など求めない、やり方に疑問を持たない。ただそれをやれば甘い甘い快楽を得られるその真実さえあれば人はコロリと寝返って、こうして徒党を組むのだ。

 表向きは化学部、裏向きは喧嘩に負けた奴隷たちの仕事の斡旋及び学園内で取り扱っていない物品の売買。こうした裏バイトで公費である部費以外からの収入源を得る事で潤沢な部活運営を行っている。


「陸上部でも攻めるかねぇ。この前言ってた催涙ガス出来てるか?」


「それが……どうにも……」


「ッチ。はァ、だから下に作らせるなって言ったろ。アセトフェノンの無駄になるだけだって」


「へへへ……すいません」


「時間もあるからいいけどよ。たく」


 化学部部長の座は何とも大変な役職だ。と言っても喧嘩に関して言えば持ち前の頭でどうにでもできる。

 喧嘩に際し部活で使用される道具等々の使用は容認される。故に催涙ガスなどの非殺傷化学合成物を用いて相手を無力化して一撃で終わらせれば済む話。

 ドラッグ万歳、お薬万歳、化学万歳だ。

 人間は脳の信号に正直だ。それさえ制御できればどうにだってできる。

 化学物質は人の隠れた本性を暴き出す。それに魅了され三河はこの化学部を立ち上げて、本能のままに部を運営していた。

 ドカッと椅子に座って、ステロイドホルモン系の合成物を鑑賞しながら商品の売買録を確認して、麗らかな一日が終わる。そんな所であった──。


「三河はいるか!」


 大声で怒鳴り込んでくる声に、皆がさっきだってその者に威圧するように立ちはだかった。

 この学園を理解している人間であれば誰だってこの怒鳴り声を聞けば殴り込みであると察する、しかしそれとは裏腹に声の主は──。


「ちょっとごめんよ。はいはい通してくれ」


 牙に介さずと言った様子で三河の前に現れた。

 その男は──。

 一

「轟?」


「うっす。一日ぶり」


 数日前に転入してきた傾奇者で今この極天地のある種の有名人である轟タケルであった。

 今日の授業に顔を一切出さず、飯の時間も現れなかったのにわざわざ三河の前に現れる理由について聞くに疑いを持つ者は幾らでもいるであろう。


「校舎にも顔を出さないで何しに来たんだ?」


「いやー、そのな……」


 バツの悪そうな顔で頭を掻く轟が小声で言ってきた。


「煙草売ってくんね?」


「……は?」


「いや聞いたんだよ。他の煙草吸ってるやつらにさ、どうにもヤニが切れて仕方がなくて。これじゃ明日にゃ俺も奴隷だ」


「いや……ちょっとまて、──っすーはァ。話を順に追って話してくれ」


 三河の言い分も確かだった。いくらクラスメイトだとしても、出会って二日の人間に煙草は売れる代物ではない。学園内での売店で煙草酒類を売っていないと言う事は推奨されない物品であることは明白であり、風紀員たちも目を光らせている。

 確かに三河は酒煙草の密売もとい、仕入れて個人間での売買を主とした商売をしている。

 幾らそれを聞きつけたところで、一見さんお断りをしているこの商売に、こいつを相手にすると出所がバレる元だ。出所は知らない人間が少なければ少ない方がいいに越したことはない。


「いやぁね。明日の部活対抗乱闘にどうしても必要なんだ。俺煙草吸わねえとどうにも喧嘩のスイッチが入ねえんだ」


「部活対抗乱闘? ちょっと待てよ」


 評議員会経由で手に入れた乱闘予定表を開いて、確認するとそこにあったのはボーイスカウト部対ワンダーフォーゲル部としかなかった。


「お前もしかしてワンゲル部にでも入ったか?」


「そうなんだよ! だから頼む! お前とはあんま話してねえが、俺はヤニ中だ。口は堅い方だし頼むぜ……」


「鮫島にでも同情したか? ええ? お前に煙草売って何の得がある?」


「得つったらぁ……」


 少し考えたように轟は考えて、そして言った。


「喧嘩には絶対勝つ。どうせこの学校の事だから喧嘩で博打でもしてる連中も居るんだろ? お前が俺に賭けたら絶対、懐に金は入ってくるぜ」


 入学二日での呑み込みの早い奴だ。確かに部活対抗乱闘での博打は存在している。

 だが所詮、部活対抗乱闘など競馬でいうところのローカルレースと同じ、乱闘喧嘩祭に比べれば実入りは少ないのは明白だし何より──今回のボーイスカウト対ワンゲルの勝負は戦力差からして勝負など喧嘩をしなくても分かるくらいには三河も喧嘩は見慣れしている。


「どこにそんな無謀な勇気を持っているんだ? ボーイスカウトVSワンゲルなら俺はボーイスカウトに賭けるがな」


「そりゃ見込み違いってやつだぜ。俺を誰だと思ってんだ?」


「誰だよ」


 自信満々と言った様子に椅子に足を乗せて宣言する轟の姿に少し面食らってしまう。


「俺は関西を制した喧嘩屋だ! ちょっと二年間少年院にぶち込まれたがこの拳の切れ味衰えちゃいないぜ」


 シャドーでも切るように素早く三河の両耳を掠めるように拳を振った轟。

 その拳に、指に摘ままれていたのは──三河の白髪だった。

 ゾッとする。

 ほんの一瞬であったが、確かにこいつの前に立ってタマ取られると実感する圧を感じた。

 ほんの一瞬、ごく微量に、殺気にも似た圧力。比類なき絶対王者のオーラは紛うこと無き喧嘩ランクの『S』に匹敵する雰囲気を漂わしたのだ。

『S』ランク最下位の爆川あかねとやり合った事は三河も知るところであり、預けとなった喧嘩だったとしても少なくとも数分間は爆川にステゴロでやり合ったのだ。

 冷静に見て分析してみよう。

 爆川あかねは確かに強い。この極天地学園での女子唯一の『S』ランカーだ。それに編入二日で喧嘩を売られ、しかも数分間。『たった』数分ではない、数分『も』やり合ったのだ。

 それを考えれば確かにこいつはこの学園で十分に渡り合うだけの素質を持っているのではなかろうか。

 奴隷の仕事の斡旋、酒煙草の密売とブラックな部分は十分にやってきたが、確かに行き詰ってきているのは確か。


「────」


「どうした売ってくれる気になったか?」


 自信しかない様子の轟に熟考の沈黙で答える三河。

 たったの数分と捉えるべきか数分もと捉えるべきか。ほんのわずかな差だ。

 言っておこう喧嘩ランクには明確に実力の差がある。

 DからCは僅差、Bはそこそこ。──Aランクからは明確に次元が違う。Sランクなどそれこそ俺達は手も足も出ないであろう。

 Sと数分間やり合ったとしても、たったの数分だ。実力を測るにはあまりにも短すぎる。しかも喧嘩は預かり。判断要素が少なすぎる。

 今回の部活対抗乱闘のボーイスカウトの部長『喜島幸男』はランクは何を隠そう明確に強さが分かれる『A』なのだ。

 ただ単にこの男が運がよく大法螺を吹いている傾奇者か。それとも能ある鷹は爪を隠す実力者なのか。

 この二つを天秤に掛けて、軍配を上げるのは難しい。それこそ『博打』の域だ。


「くくく……はははははっ!」


 大声で笑い声を上げて三河は体を突き出して轟の瞳を覗き込んで問う。


「自信も確か、それが蛮勇ではないのは確かだな?」


「たりめえだろ。やっちゃいけねえ事とやっていい事の区別もつかねえ馬鹿どもにお灸を据えるのに、本気を出す気にはなれねえがな」


「憎垂口も十分と来たか。くくくっ……いいだろう。乗ってやるよその博打」


 誰かが言った。男には決める時は決めなきゃならない。

 喧嘩でもビジネスでも決断は大切だ。英断となるか、はたまた愚断となるか。こいつに賭ける事にしよう。


「お前が確かに勝ってくれるなら。喧嘩博打のビジネスの中間マージンも俺達に入ってくる。生き馬の目を抜くほどの喧嘩強さならランキングを引っ掻き回せるだろうな。どうなんだ? ええ?」


「当たり前だろ。今迄この手でそれを示してきたんだ。おめえは見てねえだろうが、示してやるよこの極天地で」


 今迄博打ビジネスはプロレス部の革命兄弟に搔っ攫われてきた恨みもある。

 せめてこいつを使って意趣返しといこうではないか。

 机の中から煙草を取り出す。


「銘柄はどれにする」


「ジャンキースピリットの12ミリメンソールだ。一箱頼む」


「男ならカートンでいけ」


 ニ十箱でドンと渡す。


「これは先行投資だ。これで勝てなきゃ、この分後で取り立ててやるからな」


「お前……案外いい奴だな」


「バカ言え。俺はいい奴じゃねえビジネスマンなだけだ」







「よし、今日はここまでだ。明日が上手く行ったら続きやるぞ」


「うん」


 どっぷりと暗くなった時間帯。空も暗くなって夜闇の中で俺達は動きを止めた。

 大体八時くらいだろうか。夕飯の準備をするのにちょうどいい時間だ。

 にしても、俺も驚かされっぱなしだ。

 鮫島の呑み込みの早さは目を見張るものがある。昨日の段階で冷静に攻めてることを覚えたし、今はもう武器を本格的に使った練習に移行している。

 登山用ストックでは少々扱いづらい為に足先から膝位の長さの木の棒で練習をしている。

 俺の感覚だが、膝より長い棒を扱うとなるとそれこそ専門の、棒術系の訓練が必要になってくる。

 己の同等もしくはそれに近い長さになると人間は得物に振り回されやすい。膝ぐらいがちょうど扱いやすい位なのだ。

 得物に振り回されず、得物を使いこなす、そして急場を凌ぐにはこの練習こそが適切だと俺は思う。

 俺がここに入る前に路上で喧嘩をしたときなんて一升瓶がちょうど手に馴染む武器だった。

 中身が入っていれば重みもあるし、何より一撃入れれば即割れて切れ味を佩びるナイフに様変わりだ。取り回しの良い事ったらありゃしない。自分の手を切る危険性はあるが。


「飯食って寝るぞぉ」


「え? 明日だよ部活対抗乱闘……もっと練習しないと」


「あのなあ鮫島ぁ。お勉強じゃねえんだ。一夜漬けで喧嘩はどうこう出来るもんじゃないの」


 体の動きは頭に刷り込むのでは、頭で理解して動きを体に刷り込むのだ。

 ずっと動き続けていても変則的な喧嘩にとって一夜漬けは大敵。逆効果だ。

 どれだけ練習しようと動きを覚えようと機転が利かない。脳味噌の反応が追い付かないのだ。

 それを回避する方法は──寝る事。これしか言いようがない。

 ずっと練習していても出来なくて、休みを入れたらスッとできるようになることは儘ある。動きが体に馴染んだ証拠だ。

 疲労が動きの染み込みを阻害している証拠であり、机についての勉強ならいざ知らず、喧嘩をするのに一夜漬けは意味がない。休んで動きを馴染ませるのだ。


「必要なのはここぞという時の勝負強さと度胸、後覚悟だ。明日は根性試されるぞ」


 俺は燃え去ってちょうど炭となった柱を組んで焚火を初め飯盒で飯を炊き始めた。

 僅かに残ったキャンプ道具が役に立つ。

 鮫島は腑に落ちないと言った様子だが、おずおずと俺の向かいに座って息をついていた。


「にしてもあの部長どこほっつき歩いてんだか。部活が大変な時だってのに」


「いろいろ根回しをしてるんだと思う……あの人観察眼あるから」


「根回しったって、喧嘩場所の整理とか?」


「それもあるし。評議員会の審判の申請とか。あ、そうだ。轟君が部活棟に行ってたとき部長から連絡があったよ。審判は評議員会と風紀委員会の二つがしてくれるって」


「仰々しいねえ。まるで大人だ」


 喧嘩一つでなにが審判だ。なにが部活対抗乱闘だ。

 日本国憲法では立派な決闘罪成立で一発で刑務所行きの刑罰を科せられるだろう。

 それなのになぜこの学園内ではその日本国憲法が適応されないのか。甚だ不思議でならない。

 ここは日本国領土内だろうに、治外法権に程がある。


「クソみてえな学校。疑問に思わねえか? 喧嘩に乱闘、決闘罪成立だぜ普通だったら」


「僕も最初はそう思った。何でもここの設立者の現理事長がかなり有力な学閥の出身者らしくて、警察も法務省も口出ししにくいんだって」


「ファッキン・スクールカーストだ。喧嘩なんて無いに越したことはない」


「たしかに。でも、その理事長のおかげでいろいろな省庁の就職率は高いみたいだよ」


「それでもだろ」


 俺はそう言いながら顆粒コンソメを飯盒にぶち込んで飯の味付けに専念する。

 三河に煙草を貰ったついでに売店で食料品を買っといてよかった。少なくとも数日ぐらいならどうとでも成る。

 鮫島曰く寮などはボーイスカウトの息が掛かっているらしく闇討ちなどがあり得るために戻るべきではないというので、こうして野宿まがいの野外キャンプをしている。

 まあこれはこれで楽しくはあるが、確かに寮に戻って今の俺達の実力を晒すというのも芸がいない。

 魅せるなら明日がいいだろう、エンターテインメント性に富んでいる。三河も驚くだろう。


「三河君に煙草貰ったの?」


「ああ、──……ーす。最高。煙草吸い放題」


 俺は焚火の火に顔を近づけて顔面に照り付ける火の暑さに耐えながら煙草に火を付けた。

 久しく吸うジャンキースピリットの旨さに脳が痺れてくる。これだこれ。煙草はこうでなくては。

 脂物には煙草、酒には煙草、疲れには煙草だ。シビるねえ。

 焚火を棒で突きながら俺は聞いた。


「なんで鮫島はワンゲル部に入ったんだ?」


「どうしたの急に」


「ちょっと気になってな。こんなクソ山奥の虫出まくりの部室より、下の陸上部とかさ、いい部活あんじゃん?」


「争いが少ないだよ。この部活……」


 焚火の火で黄昏るように鮫島はしみじみと言った。


「僕、もともと喧嘩とか得意じゃないし、父さんに男なら強くあれって言われて極天地に入ったけどずっとCとDを行ったり来たり。慣れないよ」


「喧嘩は慣れるもんじゃねえからな」


「そんな轟君は慣れてるよね。喧嘩」


 俺は肺一杯に紫煙を溜めてスモークトリックで鮫島の顔に煙を直撃させて笑った。


「慣れてねえよ。必死こいてるだけだ。どんな時でも必死で、殴って殴って、殴り続けて。気づけば同年代だとだーれも喧嘩売ってこなくなった。てなりゃあ上から狙われるのは当然だわな。必死で喧嘩を続けただけ。今にして思えば馬鹿だった」


 そう馬鹿だった。ホントうに大馬鹿だった。

 命の危機だって何度もあったし、体の底から冷え込むような死の気配に震えた時期も多くあった。

 それでも暴力に訴えるしか方法が見当たらなかった。

 言葉があるのに、感情があるのに、その方法を知らずに暴力しか方法が思い浮かばなかった。

 人ではない、獣だ。暴力でモノを語るのは人ではない。

 俺は少年院で人になったのだ。人になったが──獣に戻らねば。


「馬鹿でも生きていける日本の法律に大感謝だ。さっ、飯にしようぜ」


 食える飯を作るのは大変な作業だ。料理なんてからっきしの俺は兎に角食材をぶち込んで水とコンソメとケチャップで煮る事しかしていない飯を作る。後はレトルトだ。


「力付けとけよ。後はさっさと寝て、明日を祈れ」


「……うん」

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