第3話猫

 僕はまた一人になった。そろそろ日ずけが変わろうという中でぽつりと雨が降る。勘だが大降りになるだろう。すると僕を待っていたかのようにバス停横に運よくダンボールを見つけた。拾い猫と書かれている。

 僕は身を小さくし今日の出来事を思い返した。何日かのような出来事でも一瞬の出来事のようで、まばらに散らばっていた記憶たちが徐々に、僕の全頭に集まってくるようだ。交差点、学校、中山先生。芋づる式に引き抜こうとしてもなぜか奥で固まったまま。そしてそれを固めているのは彼女の存在だろう。

 僕は彼女の顔や仕草が、頭から離れられない。きっと僕の記憶の鍵になるのは間違いなくあの子だろう。また、会いたいな……。


 ぽつぽつと流れ込んでくる雨音に耳をすませそっと目を瞑る。僕は前世で彼女と会ったことがあるんだろうか。ぽつぽつ。ぽつぽつ。じゃぼじゃぼ。水たまりに何か跳ねる音。音は次第に近くなり、遂には僕のいるバス停のすぐそばで鳴った。


 「あ、こんなところにいた」


 聞き覚えのある声。僕はそっと頭を上げて確認する。


 「早く帰ろ、猫さん」


 そこにはビニール傘をさした彼女が微笑んでいた。



 僕は彼女に持ち上げられたダンボールの中で静かに彼女を観察する。何かを懐かしむように笑っている彼女の顔を見ても何も思い出せない、にもかかわらず彼女とは何か特別な既視感がある。僕は頭を悩ませた。


 「そうだ。さっきはありがと、おかげで私もあの子も助かったよ」

 「(別に助けたわけじゃないよ。ただ、体が動いただけ)」

 「なんだ、素直な猫さんじゃないな。こういう時は素直に感謝の言葉を受け取るべきだよ」


 なぜか彼女には僕の声が聞こえるらしく驚いた。気のせいだろうか……ほんとにこの子はなんなんだろうか。

 彼女と暗闇を歩いた。もうすでに0時を回った空は雲で遮られ黒以外の何色でもない。道に光る街灯だけが僕らを照らしてくれた。

 あれ、この光景どこかで見たような……


 「猫さんはさ、生まれ変わりって……信じるかな?」


 唐突な彼女の質問に思い切り首をかしげたが、心当たりはないわけでもない。


 「(僕は信じるよ)」


 僕も実際そうだしね。


 「てことは猫さんひょっとして、生まれ変わりとか?」


 図星だ。一瞬どきりとし、身を震わせてから誤魔化した。てか、やっぱり聞こえてる。僕は悟られないよう言葉を選んだ。


 「(どうだろう、前世の記憶なんかがあったら苦労しないかな)」

 「やっぱ、そうだよね」


 なんとか乗り切ったようだ。彼女は力ない笑みで笑う。


 「前世の記憶があったら、苦労しないよね」


 はぁ。どうやら僕の言葉は通じてなかったようだ。彼女の表情を見て読み取る。何かを隠しているように取り繕った笑みの隙間に見える、後悔と焦燥。それは今日、正しくは昨日だが中山先生のようだった。彼女も何か後ろめたいことでもあるのだろうか。


 それから彼女は何も言わなかった。静かに降る雨の下をただ歩く。僕を持つ手には小刻みな震えが感じられた。




※※※




 また彼女の部屋に来た。傘の隙間から入ってきた雨のせいで少し寒気がする。濡れた体をふるい落とす。


 「こら猫さん、そんなことしたら飛ぶじゃん!」

 「(ごめん。忘れてた)」

 「もう、仕方ないな」


 彼女は僕を風呂場まで連れて行く。当然のように僕の言葉が聞こえている。シャワーのヘッドを僕に向け勢いよく水が飛び出してきた。


 「(うわぁ!冷た!)」

 「あぁ、ごめん猫さん、まだあったまってなかった」


 へへと笑う彼女。ほんとこれだから人間は。


 お水に手をつけ温度を確認してから僕に水をかけた。ああ、あったかい。心が和んでいく。


 「どう?気持ちい?」

 「(うん。気持ちい)」

 「よかった〜」


 僕は風呂から出され柔軟剤のいい香りがするタオルで拭いてもらった。


 「どう?これでいい?」

 「(うん。ありがとう)」


 「じゃあ次は私の番」と扉を閉めシャワーの音だけが外に響いた。気持ちいと彼女の溌剌とした声を聞き、さっきまでの寂しげな顔が嘘のように思えた。さあっぱりと爽快な気分の僕はもう一度じっくり彼女の部屋を物色することにした。


 大学生ながらの質素というか、シンプルというかそういった閑散的な空間はいうまでもなく、低いタンスの上には友達や家族との写真が飾られていた。とてもいい写真だ。見てるこっちもほっこりする。僕はその時、その写真の前に置いてあるスポンジボールを見て驚愕した。どうしてこんなものが、古い傷がつき、土か何かの汚れが付いている。見間違えるはずはない、これは僕が買ってた猫と遊んでいた時に使っていたボールだ。でも、なぜ彼女が。


 「あ〜あ、やっぱ気づいちゃったか」


 バスタオルを体に巻いた彼女が立っていた。……目のやり場に困る。僕は目を伏せながら彼女に聞いた。


 「(どうして君が、これを)」

 「どうして、か。わからない?」


 食い気味に返してくる。そこでわずかな疑問が頭をよぎった。そんなことあるはずがない、もしあるとすれば、それは……。固唾を飲み込み、僕は頷く。


 「そうか。正直、気付いて欲しかったけど仕方ない。私ね、実は」


 その言葉が耳に入った時パズルが揃ったように、波紋の広がっていた泉が凪いだようだった。


 「––––前世は、猫だったの」 

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