第2話学校
家を出た僕はさっそく苦悩に頭を抱えた。
どうしよう、道がわからない。そもそもちゃんと道を覚えていない。それに……靴を履く猫が珍しいのか多くの人が僕を見てはスマホを構えた。今の現代っ子たちはきっといいね稼ぎに、僕を利用するだろう。
そう考えた僕は逃げた。
細い裏路地を抜け、大きな大通りも抜け、車と自転車も交わし、迷った挙句適当に右往左往した。自然と息が切れていないことに驚いたが、そんなこと考えている余裕はない。と思っていた矢先に、僕の足が止まった。行き交う人で混雑し、たくさんの信号が点滅しては色を変えていく。この十字の交差点が僕の足を、頭を止めたのだ。
理由はわからない。猫になって初めてきたのに、僕はこの交差点が僕にとって大事な場所のように思えた。頭には何かが浮き沈みを繰り返し思い出すようで思い出せないもどかしい感覚に陥る。
頭痛がし、五感の全てを遮るかのように視界が翳った。何とか意識を飛ばさないよう頭を抑えるようにし僕はその交差点を抜けた。
その後も歩き続け、迷子になり行き着いた先は––––大学だ。
それも奇跡的に僕の通っていた大学だった。こんなこともあるんだなと素直に感心した。まさに招き猫だ。
いつも気だるげに通っていた門が僕を虐げるように構えていた。僕は多少の後ろめたさを感じながら抜き足で抜ける。舗装された道から目をあげ眼前に広がるのは以前の記憶よりも大きく、広々とした校舎だった。
ちらほら人が歩き通う。テラスで昼食を嗜むものや、図書館へ向かうべく資料を手に持つもの。そこに広がるのは自由の学びの場。僕は少し悲しくなった。きっと僕もこうやって……。そして気になった。僕はどうして猫になったんだろう。ここに来てそれがとても疑問に変わった。ここに来てまた頭が締め付けるように痛い。僕は何か大事なことを忘れている気がする。……いや、やめておこう。
それにしてもやっぱり大きな校舎だ。僕は見学した。コンビニや購買はもちろん、この大学にはカフェやレストランも並び、生徒が存分に満喫していた。
「なにあの猫、超可愛いんですけど〜!」
っげ、しまった。ギャルのような見た目の生徒に見つかってしまった。慌てて逃げた。この広々とした校舎に一匹の猫が駆けていく。そんな光景に一部の生徒が立ち止まっていた。僕はなおも走り遂には校内へと足を踏み入れ、全力で駆けた。上手くまけたのか後ろからの喧騒がなくなった。はぁ。
昼休みどきなのか、案外校内に人の影はなくゆっくり静かに教室を見て回った。こんな時の猫の肉球は便利だ。
講義室や実験室などを通り、職員室前にきた。こんなに大きかったのかと驚く。
ガラガラと古くさそうな音がなり、扉が開き中から教師たちが出てくる。
あれは……中山先生か。当時の僕の相談役の先生だ。以前と変わらず腰まである長い髪に、色気のある目元が印象的で全然変わっていない。声をかけても、僕の言葉は届かないだろう。それでも僕は声をかけた。
「中山先生。お久しぶりです。ありがとうございました」
目の前の僕に気づいた先生は、にっこりと微笑み僕に駆け寄った。当然僕の言葉は聞こえておらず「可愛い猫ちゃんね」と頭を撫でてきた。普通は嫌なはずなのに、何故か今は心地が良かった。そして撫でる手を止め、先生は不意に独り言のように、ぽつりと呟いた。
「あなたを見てると、あの子を思い出すわ。まじめで、優しくて、私によく話しかけてきたあの子」
誰のことだろうと、首を傾げた。先生は俯いていて、下から覗き込んだ顔には焦燥感と若干の悲しさが浮かんでいた。
「まぁ猫ちゃんには知らないお話よ」
そうして立ち去る背中はやっぱり暗く、つい僕は声をかけてしまった。届かないと思っていても。
先生は僕の声に気づいたのか、振り返る。僕は先生の元に駆け寄る。
「ほんとに似てるわね。まるであの子が生まれ変わったみたいに」
『生まれ変わった』という言葉を僕は聞き流さなかった。
「何があったんですか?」
届かないはずの声に、先生は一瞬眉をぴくりとさせ、不思議そうに語ってくれた。
昔教えてた子が交通事故で死んでしまったこと。それも先生の猫を守って。 先生はそれに負い目を感じているらしい。
先生のせいじゃない。そう言おうとした。でも、ある一つの可能性が確信に変わったような気がした。
それは僕の頭を揺さぶるには、十分だった。だが戻ってきた記憶もまだ断片的なものばかりでまだちゃんと自分を理解できていない。僕はなんだかもどかしい気持ちになる。
「それじゃあね。君も気をつけるだにゃあー」
とふざけた様子で猫の真似をする先生をおかしく思いながら背中を見送った。久しぶりにあった先生は、変わっていなくて、やっぱり優しく綺麗な人だった。 僕もまた校舎を歩いた。授業を受けた教室、よく本や参考書を借りに来た図書館。いずれも僕を思い出す手がかりにはならなかった。だが先生の話を聞いて一つだけ思い出した。僕の死因は交通事故だ。
※※※
その後もじっくりと校内を見回したがなにも思い出せず校内を出ることにした。太陽が地平線に溶け、あたりは夕焼け色に染められていた。本来の目的とは違うが僕はまだまだ自分のことをなにも知らないみたいだ。
猫はなんでもは知っていても、自分のことは知らないみたいだな。
瞬間、カフェから数人のグループが歩いてきた。その中に、今朝の彼女の姿があった。これは偶然と言うべきなのだろうか、運命と言うべきなのだろうか……。
彼女は僕の後輩だった。刹那彼女と目が合う。
「あ、猫さん!」
彼女が颯爽と近づき僕を持ち上げた。なぜ僕は後輩に持ち上げられているんだ。全く。
「なになに?あ、さっきの猫じゃん」
っげ、さっきのギャル……
ギャルは僕に近づき乱暴に頭を撫でた。予想通りというか、当然というか、僕はギャルのこういうところが苦手なんだ。なんか、前世でも散々いじられていた気がする。
「てか、あんたの猫だったの?この猫靴履いてんの、超かわいいね!」
「え?うわぁぁ!本当だ!」
耳元での叫び声が脳内に響いた。猫は人間よりも五感が鋭く、通常の5倍はうるさい気がする。
「あ、うちそろそろバイトだ。じゃね」
「あ、俺も」
「ばいば〜い」
「うん。ばいばい!」
グループは解散し僕は彼女に抱っこされたままだ。
「私達も帰ろっか」
「にゃあ(はぁ?!)」
そんなこと聞こえるはずもない彼女は、僕の顔に自分の顔をこすりつけてきた。甘いシャンプーの香りと、わずかに香る香水の匂いが鼻をくすぐった。だから猫は五感が鋭いのに……。僕は分からず屋の彼女の頬を舐めてやった。
彼女と歩くオレンジ色の空にわずかな違和感と頭痛を覚えた。僕は無視するように彼女から目を逸らした。
不意に彼女の足が止まった。彼女はコンビニ前にいる数人の男達に目を向けていた。そいつらは今朝のヤンキー集団だ。
「おい早く出せよ!」
「も、もうこれ以上は……」
はぁ。どうやらカツアゲでもしているらしい。数人で1人を囲んで、かわいそうな子だな。助けてやりたいがいかんせんこの手じゃな。ほんとに人間は愚かだ。知能を持つ猿とは言うが、知能がなければ猿と変わりはしないのだろうか。これじゃ僕と彼らにもさほど差をないのだと思った。
僕は他人行儀に見て見ぬふりを決め込もうとしたが彼女はどうやら違ったようだ。
すぐさま僕を置きヤンキー達の前に割ってはいる。
「嫌がってるじゃん!それにないって言ってるんだし人の金じゃなくて自分のを使いなよ!」
「あぁ?!なんだてめぇ!」
案の定噛みつかれているようだ。僕はただじっと見た。
「私は小坂陽。名乗ったから早く解放してあげて!」
「うるせぇ!お前に関係ねぇだろ!」
「ある!私は見て見ぬふりはできないし、何より数人で一人をいじめるなんて気が悪い!」
ほんと自分勝手な子だ。ヤンキー達は眉間に皺を寄せ、彼女に手を出さんとばかりだ。噴火寸前の頭に彼女はさらなる追い打ちをかける。
「集団でしかなにもできない、アホ!」」
ぷちんと何かが切れたように、我慢していた手をヤンキーは振り上げ、そのまま降ろした。鈍い音が響いた。
僕は目を瞑っていたからわからないが、ほんと気の毒だ。
その瞬間、ものすごい痛みが僕の頭に走った。目を開けて気づく、殴られたのは彼女じゃない––––僕だ。
「ね、猫さん?!」
野生の本能か?それとも猫の気まぐれというやつか?とにかく体が勝手に動いてしまったらしい。
「猫さん!」
彼女が駆け寄ろうとしてくるが一人のヤンキーが道を塞いだ。だから僕は僕を殴ったヤンキーの手を思い切り噛んだ。窮鼠猫を噛むだ。いや、この場合、窮猫人間を噛む、か。
「いってぇぇ!こっのクソ猫!」
ヤンキーが僕を追い回す。めんどくさいと思いながらも、裏路地を駆け回る。まるで小学校の日にした鬼ごっこのようで、頭は面倒がっても体は乗り気だ。僕はぐんぐんと地面を蹴った。
後ろから聞こえてくるはずのヤンキーの声は次第に小さくなる。ほんとに今日は忙しい。僕は心底ため息をつきながら夜の帳が降りた街を歩いた。
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