魔族は人間の敵ではないの?

 ――しまった


 シールドはどんなに頑張っても、即時展開できるのは1枚まで。

 背後からは黒い鳥、前方には猫状の魔族。


 おのれ、卑劣な!

 私の唯一の弱点が、愛らしい猫と知っての策略か!



 あれほど愛らしい外見をしていても、ここは魔族領。

 すなわち奴は魔族のはずです。

 このままだと、八つ裂きにされることでしょう。


「もう少し長生きしたかったな……」


 そして、できれば最後は穏やかに迎えたかった。

 

 いいえ、それじゃダメ。

 ……たとえ、ここでやられるにしても。

 どんな状況に追いやられても、最後までしぶとくあがき続けよう。


 私はせめてもの抵抗にと、覚えている中でも、最大の威力を誇る聖属性を唱えます。

 せめてどちらかは巻き添えにしてやる、と。

 そして目の前の猫魔族に放とうとして――



「無理だ! こんなに可愛いんだもん!」


 あっさり白旗。

 魔族領という絶体絶命の中、最後に現れた癒し。

 攻撃なんてできるわけがないじゃないですか!


『やっと会えた、ひめさま!

 カーくんも喜んでる!』


 再び声。

 喋っているのは猫……?

 スポン、と猫魔族が私の胸の中に収まります。


 不思議な猫です。

 少なくとも、敵意らしいものは感じません。


 我が家の愛猫にも劣らない、整った見事な毛並みをお持ち。

 反射的に抱きしめて、もふもふに顔をうずめました。


「はっ。いかんいかん。人生最後だと思って、思わず欲望が……」


 

 今は、こんなことをやっている場合ではありません。

 この子はこんなに愛らしい顔して……本当に魔族なの?


 じーっと腕の中の猫を見つめますが、返事はありません。

 つぶらな瞳がこちらを見つめ返してきます。


 ――それにしても、本当に良い抱き心地!


「っ殺気!」


 そうだ、こんなことをしている場合ではありません。

 後からは、今も鳥が狙っているんですからね。


 おのれ、せっかくの猫をもふもふする憩いのひと時を邪魔するとは……!

 許さんぞ!


「シールドッ!」


 咄嗟に出てきたのは、やっぱり使い慣れた防御魔法です。

 あの国にいて、人を攻撃する恐ろしい魔法を使う機会はなかったですからね。


 弾き飛ばしただけ。 

 まだ、油断はできません。

 腕の中のもふもふ、何としてでも守らないと!


 こんな人外魔境が行き来する恐ろしい土地で、たった1人で生き抜いてきたのでしょう。

 怖かっただろうな、とふわふわの毛先を撫でます。

 ……さっきは魔族だと思って、本気の聖属性魔法をぶつけようとしましたが、そこはご愛嬌。


『ひめさま、ひどいよ!

 カーくん、痛そうだよ……』


 油断なく黒い鳥と対峙する私にかけられたのは、そんなひと言でした。

 声の主は、やっぱり腕の中から。この猫、話せるのでしょうか?


「え?」


 そして問題はその内容。

 ひめさま、というのはたぶん私でしょうか?

 それなら、カーくんというのは……


 私が、シールド魔法の構えを解くのと同時に


 フラフラっと黒い鳥が起き上がります。

 そして高く飛びあがると――


「やっぱり殺気~!」 


 こちらに向けられたのは、どう見ても獲物を調理しようみたいな眼差しに見えます!


 この猫、やっぱり魔族であったか!

 私を油断させて、一気に仕留める気だったんですね!


 愛しのもふもふに裏切られた私の精神は、ずたぼろです。

 

『カーくん……嬉しいのは分かるけど。

 ひめさま、怖がってる』


 諭すような口調は猫の声。

 その言葉を受けて、黒い鳥の勢いが弱まりました。

 心なしか殺気も弱まったような気がします。


「なんかよく分からないけど、今が逃げるチャンス!」

『待って~! カーくんは味方! 逃げないで!』


 そうは言われても、怖いものは怖いですよ!

 雰囲気が似ているのは、カラスでしょうか。

 子を守るカラス。それを、もっと何段階も凶悪にしたような雰囲気!


 味方って言われても、信じられませんよ!

 ……結局、猫の声に耳を傾ける余裕が出てきたのは、闇雲に走り回って疲れ果ててからでした。


『カーくん、反省』


 なんこれ。なにこれ、なにこれ!?

 目の前に生まれたのはなんとも珍妙な光景。

 人を狩るために生まれてきたような恐ろしい風貌の鳥を、愛らしい猫がお説教する姿。


 ――この状態でも、やっぱりかわいい! もっともふもふもしたい!


 どうやら命の危機が去ったらしい。

 そう分かった瞬間、顔を出したのはもふもふ欲求でした。

 思わず抱きかかえようとした私ですが、


『ひめさま! 今は、まじめな話をしてるの!』


 そう諭されてしゅんとしました。



 そうですね。

 真面目な話というのであれば……。

 

「ねえ、猫様。さっきから言ってる"ひめさま"って何?」


 気になりつつ、突っ込みタイミングを逃し気にしないでおいた問題。

 それを、改めて尋ねることにしましょう。 


『ひめさま! ひめさまは、ひめさまだよ!』

「……私は、王子から婚約破棄された身です。

 "姫様"ではありませんよ?」

『ちがうよ! 魔族のひめさま!』


 魔族のひめさま! この子はたしかにそう言いました。

 疑うまでもなく、私は人間です。

 どういうことでしょう?


『ひめさま! ぼくのことは、アビーって呼んでね』

「では、アビーさん」

『アビー。猫に"さん"付けなんていらないよ」

「分かりました、よろしくアビー」


 聞きたいことは山ほどありますが。

 1つだけ確かなことがあります。

 それはアビーを味方に引き入れないと、私はこの魔族領ではまず生きていけないだろうということですね。


「アビー、お願いがあるんだけど……」

『なーに?』

「本当に、図々しいお願いだとは思っています。

 私の味方に、この地で生きていくために協力してくれませんか?」


 取引材料は、得意の神聖魔法ぐらいしかありません。

 この力が、魔族の支配するこの土地で本当に通用するのかは未知数。

 そんなことを考えていましたが……


『もちろんだよ、ひめさま!』


 まさかの無条件オッケー!


 アビーは、すりすりと甘えるように頭を押しつけてきました。

 鎮まれ、私のもふもふ欲求!


「魔族は人間の敵ではないの?」

『どうして?』


「魔族は恐ろしいものだって、子供のころからずっと教わって育ちました。

 人間界と魔族を隔てる結界が、人間にとっての平和の生命線だって」


 そうなんだ、と吞気なアビー。


『でも、人間たちはぼくを見ても恐れる様子はないよ。

 可愛い~! って。喜ばれるぐらい』

「その姿なら当然よ! 可愛いもの! 

 もっと、もふもふさせて!」

『照れるな~』


 アビーは笑い声を上げました。


「……ん? アビー、あなた魔族よね?」

『そうだよ?』

「それなのに、結界を行き来できるの?」


 結界の中なら絶対に安全。

 魔族の侵入を防ぐ、技術の結晶である結界には揺るがぬ信頼を寄せていました。

 でも、アビーはあっさりと中に入っていたんですよね……。


『うん。だいたいの魔族は、自由に行き来できるよー。

 あの結界は、神聖魔法を使えるものを弾いてるだけだからね。

 通れないの、人間ぐらいなんじゃない?』


 なんだそれー!?

 

 たしかにどうやって効果を確認したんだろうなーとは思っていたけれど。

 自分たちで実証して、そのまま運用したのね!

 魔族で実験とかはしなかったのね……。


「な、なら何で人間の国を襲おうとしないの?」

『なんで、そんな面倒なことをしないといけないの?』


 きょとんと、アビーが答えました。


 魔族は人間を敵視しているもの。

 見つかったら殺される。

 それが人間にとっての常識でした。


「なんで? なんで、か……」


 魔族は、なぜ人間を襲うと思っていたのか。

 なぜそれを当然の事実と信じて、私たちは結界の中で生きてきたのか。 

 アビーの純粋な疑問は、なぜか私の心に深く突き刺さるのでした。


『ひめさま、ぼくの正体まだ分からないの?』


 そして、再びアビーの質問。


『あ、そうか……。あの時、ひめさまから記憶を奪ったんだった。

 すっかり忘れてたよ、思い出せないのも当然か』

「記憶を……奪った?」

『うん、これまでの人生で一部だけ不自然に欠けている記憶はない?』


 う~ん……。

 そう言われても、心当たりがありません。


 いいえ、そういえば――

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