第9話 攻略本

 * * * *

 配信を切ったアルトは、すぐにでも笑い出したい気持ちを堪えてウィズダム魔法研究所へ戻った。世界中に設置された石版は配信を映すだけではなく、アルトの目として機能している。配信中、町の至る所からライオネル一行を監視しているのだ。


「クク、ククク、ハハハハハ!!! あー、面白かった! 見たかい? 配信終わる前のあいつの顔! 頭から果実酒かけられてやんの。みーんなボクの方を信じてくれる。強い人間の言葉は正義なんだ!!! 都合の悪いババアも町も始末したし、最高の気分だ! そうだろう?」


 彼はもうおかしくておかしくて、笑い転げた。今まで行く先々で讃えられてきた虫の好かない勇者たちが、軽蔑され侮辱の言葉をかけられているのがたまらない。

 自分の一言で人々は簡単に操れるのだと知り、この世は馬鹿ばかりだと大きな声を出して笑い続ける。


 彼の部屋は、排他的な共同体にも入り込める【仲間入り】のスキルを研究所長に使用したことで『最初から用意されていた』ことになっており、潤沢な資材に恵まれていた。配信機材の準備ができたのも研究のためだと押したからである。


 遮光、断熱、防音、風呂まで完備の広い間取りで、高級宿の一等級室と変わらないほど快適に過ごせる。配信していない時は、ここに籠って計画を立てている。


 魔法で人間にさせられたカオスドラゴンの幼体は、その狂った笑いを見て怯え、部屋の隅におずおずと丸まった。狭く苦しい檻から解放されたのも束の間、人間に変えられて、体の動かし方もわからずまとわりつく布地に戸惑っている。


「なんだお前、その目は。ボクを馬鹿にしているのか」


 肯定しなかったことが気に入らないアルトは、気色の悪い笑顔から突然冷徹な表情に代わり、少女の顔が歪むほど殴り何度も踏みつけた。これまでテイムした魔物に裏でいつもしてきたように。


「がうぅ……きゅーん」

 姿形だけが人間の少女は、か細い声で鳴くと震えながら首を垂れてその場に伏した。


「そうそう。それでいい、ボクの機嫌を損ねたらダメだよ。やっぱり魔物を躾けるには体罰が一番だ。優しくするより遥かに手っ取り早い」


 彼は少女の顔を撫でて、殴った痕が残らないように回復魔法をかけ美しさを戻し、わざとらしくごめんよ、痛かっただろうと心無い言葉を並べ立てた。意味を理解していないと知っていながら。


「ドラゴンを人間に変えるなんていい趣味をしていますね。もっと面白いことしませんか?」

 誰も入って来られないよう魔法で鍵をかけているはずの部屋に、女性の声が響いた。


「誰だ!」

「怖がらないで。私は天使コスモス、貴方の味方です」


 殺気を込めて杖を構える彼の前に、光に包まれた翼を持つ桃色髪の少女が現れた。透明感のある声に、清く澄み切った印象を受ける。


「天使……? 面白いことって、どういう意味なのかな」

「貴方は敬意を払わぬ無礼な勇者に振り回され、才覚を認めてもらえず追放された哀れな身。相手が死ぬまでやり返す権利があります」


 杖を下げたが警戒したままの彼のことを気にかけることもなく、天使は話し始める。


「やり返す、権利……」

「さあ、これを。今の貴方に必要なものです」


 天使は、豪華な金の刺繍が施された分厚い本を差し出した。


「コウリャクボン?」


 本を手に取り表紙に書かれた文字を読み上げて、聞き慣れない言葉に首を傾げる。魔法の指南書でも、生活の知恵をまとめたものでもなさそうな響きに、腑に落ちない顔をする。


「はい、攻略本です。この世界のありとあらゆることが記載されています。貴方たちの言葉にするなら、世界大百科、と言ったところでしょうか」


 淡々と説明をする天使の様子を怪訝に思いつつも本を開くと、彼は目を丸くした。


「これは! 世界の成り立ちから、迷宮の構造から、ボクの知識には無い魔物の生態まで詳しく書かれている! しかも詳細な挿絵まで付いている! 説明も丁寧で、なんてわかりやすいんだ……」


 驚くべきことに、世界の全てが書かれているらしいその攻略本は、随時更新されていく。町の天気が数時間後雨になることも、今自分がこの本を読んでいることも、書いてあった。索引も引きやすく、思っただけで必要な情報のページが出てくるようになっている。


「こんな知識の塊を無償でくれる、わけないよね。何が望みなの? 天使様」

「望むものなどありません。我々天使は不幸な人間に幸福をもたらすのが使命ですから。さあ、不遇なテイマーのアルトよ、その心に燃える欲望のまま進みなさい」


 にこやかに微笑むと、天使は光の中に消えていった。幻だったかもしれないと目を擦るが、彼の手にはしっかりと攻略本が収まっていた。


「アハハハハ!!! 天使までボクの味方をしてくれるなんて、思いもやらなかった。神様は見ていてくれるんだね。よし、この本を使って、あいつらの人生をどん底まで堕としてやる! ボクの成り上がり物語の始まりだ!!」


 彼は再び笑い狂い、椅子に座って貧乏ゆすりをしながら攻略本を読み始めた。知識の洪水に飲み込まれていく快感が、時間を忘れさせる。


「なるほど、この魔物の羽は、調合薬の品質を上げるために使うのか……なら、もっと沢山必要だな。えっと、こっちのギルドでの買取価格は……ふむふむ、ちょっとカマをかけてみるか。それと……」


 ぶつぶつと呟きながら一人思考の世界に入り込んでいる彼は、次回の配信のことで頭がいっぱいになっていた。


 名もつけられず、鬱憤ばらしに使われるだけ使われて放置されている美少女は、結局その日の食事にありつくことはなかった。

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