チョコレートはそのままに 10

「たまには一緒にどうだ? 昼飯」

 上司の言葉にカツヤは驚いた。二年の間気にしていなかったが、そういえば今までずっと昼は一人だった。

「あ、はい。何食べます?」

「お前がいつも食ってるもの、食いてえな」


 ベンチに腰を下ろすと、いつものように鳩が集まってきた。

「こいつら、いつも集まってくるんですよ」

「これはすごいな。お前がいつも餌をやるからじゃないか?」

「俺はあげないぞって言ってるんですけどね。ラーメン、そろそろ食べられますよ。ここに着いた時にちょうど三分くらいになるんです」

 ではいただきます、と行儀良く手を合わせる上司の意外な姿に、カツヤは思わず吹き出してしまった。

「俺はいったいどういう風に見えてるんだ? 俺はこういうことはしっかりやる性分だぞ」

 セミの鳴き声が響く。汗びっしょりのサラリーマンが街を歩く。今の自分が当たり前に知っていることは、いずれ上書きされて当たり前ではなくなっていく。そうして、毎日見ている景色が少しずつ違っていたことに、ずっと後になって気づく。

「どうして、この会社に入ったんですか」

 カツヤは、前から気になっていたことを尋ねてみた。

「どうしてだろうな。入ることになったからかな」

「そういうもんですかね」

「そういうもんだと思うな。お前はどうなんだ?」

「わからないんです。皆と同じ時間を共有したいとか、愚痴を溢し合って仕事している自分カッコイイとか。いやいやそれは当たり前のことなんだよ、当たり前のことを当たり前にしようよとか。当たり前に出来る人間こそカッコイイんだよとか。誰でも出来ることじゃないのなら当たり前とは言わないだろって冷静になってみたりとか」

 言葉が溢れてくる。

「生きてて楽しくないんです」

 アリジゴクにハマったアリは、静かに、もしくはジタバタもがいて、食べられるその時を待つだけだ。

「羨ましいな」

 上司の一言に驚いてカツヤは目を大きくした。

「俺は生きてて楽しいのか楽しくないのかもわからない。今の自分が本当にやりたいこと、居るべき場所、そういうものに向き合おうとしているんだろ。羨ましいよ」

「自分には何も無いくせに負けず嫌いなんです。夢も無い。誇れるものも無い。それでも、俺が一度でも大切だと思ったものは、世界一じゃなきゃダメなんです」

 雲がゆっくりと形を変えていくが、何の形か分からない。

「夢の無い人間なんていない。今日は何が食いたいとか、今日はぐっすり眠りたいとか、どんなに小さくても誰にも笑えない大きな夢だ。お前のしたいことをしろよ」

 上司は、ベンチの下の行列を見つめながら言った。

「世界一なんだろ。いつか本当に何も無くなるんだ。夢は残すなよ」

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