チョコレートはそのままに 7
習慣になっているせいだろう、毎朝目覚まし時計をセットしている時間に目が覚めてしまった。久しぶりの休日だ。何か予定があるわけでもなく、二度寝しようにもどうせすぐには眠れないだろうから、散歩でもしようと着替えることにした。
早朝六時の空は、何かが始まる気配と同時に、何かが終わっていく気配を感じさせる。うろこ状の雲が連なって、まるで大きな一匹の透明な魚に呑まれてしまったようだ。きっとこの魚は、出逢う全てを呑み込んで、ただ一匹、この広大で真っ暗な海を泳いでいくのだろう。その先には何があるのか、光はあるのか、何も分からずただただ泳ぐのだろう。泳ぐしかなく、泳ぐのだろう。光を探して彷徨った魚は、いずれ真っ暗な海を食べ尽くし、きっと輝くのだろう。そう信じて、泳ぐしかないのだろう。
電車を乗り継いで、いつもの公園まで来ていた。ここのところ、家に帰って寝るだけの生活になっていたからか、二件の不在着信には気付けずにいた。もうだいぶ前のものだ。まあいいか、用があればまたかけてくるだろう。
長い時間、ベンチに寝そべってぼうっと空を眺めていた。子供の頃の想像力はどこへいってしまったのだろうか、まばらに浮かんだ雲が、ゆっくりと何かから何かへ形を変えていくが、何の形か分からない。恐竜も、シーラカンスも、宇宙人も、今はカツヤの中に存在しない。いつの間にか、夢や可能性の話はどうでもよくなってしまっていた。目の前にあることをこなすのに精一杯で、振り向いてくれる確信のない相手を追いかけている暇などないのだ。時間をかければかけるほど得るものがあるはずだと思っていたが、実際は違った。確かに得るものはあったが、それは同時に失うものが増えていくということだった。何もない毎日をだらだらと過ごして、ちょっとした希望のために一生懸命になって、ひたすら失っていくだけだった。
「アリジゴクだ」
なんとなく思いついて、起き上がった。ベンチの下を覗くとやはり、働きアリがいつもどおり行列を作っていた。今日も、女王アリのためにせっせと餌を運んでいる。明日も明後日も運ぶのだろう、ずっとずっとこのままだ。
「お前ら、生きてて楽しいか? そんなに働いたって、どんなに頑張ったって、昇格はないんだぜ」
次に来る冬を越えるための準備中だ、誰かが言っていた台詞に言い返したくなった。「冬を越える意味なんてあるのか?」
少し良くないことを考えそうになった時、コウジからの着信があった。
「おう、久しぶり」
「久しぶり、元気ねえなあ。暇なら俺んち来いよ。暇過ぎて死にそうだ」
「一緒に死ぬか」
「よし、決まりだ。早く来いよ」
電話を切ると、カツヤは大きなあくびをした。こんなにのんびりとした時間は何年ぶりだろう。コウジの家で寝ることにしよう。いや、いっそのこと本当に死んでしまうのもいいかもしれない。
「甘ったれだな」
立ち上がり、深呼吸して言った。「お前らは甘ったれだ。甘ったれらしく、ちゃんと最後まで食え」
もうしばらく経つのに、いつかのチョコレートは、ほんの少しだけ残されていた。
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