残量5
「―メーデー、メーデー、メーデー。こちらはキャプリコン7、キャプリコン7、キャプリコン7。もうじき酸素の残量が尽きる。あ、ええと…そうだな、みんな、これまでありがとう」
「もう残り三%か…」
〈いよいよ俺も一貫の終わりってやつで、流石にちょっと怖くなってきたよ。酸欠で失神するだろうから、そんなには苦しまないだろうとは思うんだけどさ、実際〉
〈死んだじいさんやばあさんも同じ体験したんだろうか…。やっぱり皆最後の最後はちょっとは苦しむものなのかね?彼らの場合は年を取って色んなことが段々と分からなくなっていくから、案外、そんなにも怖くなかったかもな〉
〈あ、ちょっと汗かいてきたよ…。他のクルーはそろそろ救助されて、一息ついている頃かな?今回は長期滞在だったから、体調を戻すのはきっと大変だろうけどさ。オキシジェンさえあれば、人間結局どうにかなるもんだよ〉
〈そうさ、あの山でも…、視覚と聴覚を半分無くしたような状態でも、俺が生還出来た理由は、まさにそれだったんだ。俺自身が、つまり、俺のこの意識が続く限りは、本質的なことは何も失われていなかったってことなんだ〉
〈そうなると、ますます今度こそ終わりじゃないか、だってそうだろう?オキシジェン無しじゃ、俺の意識を連鎖し続けられないんだから。あれは俺という存在の前提なんだからよ〉
〈…ところで、お前は一体何者なんだ?なあ、そこにいるんだろう?〉
回り続ける世界、そこへ時々白点が映り込むことに、俺は気が付いていた。気が付いてはいたのだけれど、不思議なことにそれを”奴ら”だと認識することが今の今まで出来なかった。俺の意識は奴らを避けるようにしながら、同時に優しい心地を求めて懐かしい記憶をまさぐり始めると、その味わいを何度でも確かめるように繰り返し思い起こして、そのままそこにすっかりと浸ってしまうのだった。
しばらく経って、赤く点滅する左腕に気が付いた。そして、放心状態の俺は姿勢を維持したままスーツの中でうな垂れたのだった。これは今しがた命のカウントダウンが終了されたことを告げていたからで、つまり、これまで俺が延々と頭の中でつぶやき続けていたのは、どうやら酸素欠乏による意識障害のせいらしかった。それによって記憶が混同したのだろうか、もう随分と前からそうやって誰かに話し続けて居たような感覚が残っている。
久しぶりに首を回してみると、霞んできた眼前に広がっているあの青い大気の上に、光球がいくつか浮かんでいるのが見える。その内のいくつかは現れては消えてを不規則に繰り返している。もしかすると、奴らはこのちっぽけな有機体の終末を興味深く思って観察してくれているのかもしれなかった。
〈そうかい。これがそんなにも珍しいってのか、あんたらにとっては…。そうだよ。その通り、俺たちは酸素が無ければ、存在し続けられないのさ…〉
〈…ああ、そういう事だったんだな…。ずっと俺が話していた相手ってのは、あんたらだったんだろ?でもな、もうじきにセッションもタイムアウトだぜ、悪いがね〉
〈何故って…、さっきも言ったように、オキシジェン、酸素が無ければ、俺の意識は存在し続けられないんだよ。あんたらにはわからねえだろうがさ。申しわけないけど、こんな風に簡単にオサラバしちゃうんだよ、俺たちは〉
〈それよりさ、あんたらどうやって俺と会話してるのさ?音でもないし、電波でもないようだがね。となると、俺の意識に直接干渉してるのか?そうだろ?ということはさ、あんたらは、電子の動きを正確にモニター出来るって訳なんだな?それどころか、ある程度の制御すら可能って感じだな。当たらずとも遠からずってところだろう?〉
全く信じがたい事だったけれど、俺はこの世とあの世の狭間に居る気分だった。瞬きをしているつもりだったが、目を閉じても開いても、何一つ見えやしない。もう俺はどうやら瞼すら動かせないようだった。そうだ。俺は身体を自在に動かせるという意味では、すでに死んでいた。
つまり、奴らの操る何かしらの力によって、電子の動きを意図的に操作されて、意識と、ある一定の記憶のみが生かされている状態に維持されているという訳らしかった。ある一定の、というのは、誰かのことを思い出そうとしても、俺がよく知っているらしい何人かの声だけは思い出せるのだけれど、姿と名前が一向に浮かんでこない。ただ、〝ジョン〟と誰かを呼んでいる女の声と誰かの誕生日を祝っている子供、それから、年寄らしい人物の咳払いが、ただ断片的に頭に残っている。
俺が寒気を感じていることを、そして、それによって多少の不快を覚えたことを、奴らは目ざとく見抜いたのだろうか、今はもう死んでいるはずの手足の先がポカポカと温かくなってきた。筋肉が動かせたなら、きっと歯を見せていたことだろう。というのは、可笑しなことにゾンビよりも死体に近い唯一の存在に俺はなってしまったのだから。
どうやら、連中は人間の仕組みを隅々まで知り尽くしているようだった。俺たちが勝手に神聖化してきた感情ですら、連中の手に掛かれば何時でも何処でも好きなように再現出来るという事らしい。そして、奴らはまた俺の記憶を物色し始めた。
〈はは、そうさ。たしかにこんな風に愉快な気持ちだったよ。皆を置いて山を一人で駆けて行った時ってのは〉
〈そうとも、女の子たちにカッコつけてやろうって気持ちもあったね。よく分かってるじゃないか。それでさ、その中の一人…、なんて言ったかな、彼女の名前は思い出せないが、まあ、とにかくその彼女を狙っていたんだよ、あの時はさ。ええと…顔はどんなだったかな?〉
〈…いや、でもね、声は覚えているな、ケンカなんかすると高音が、こう耳に突き刺さるような感じだったかな、たしか、そん時はウェディングドレスのことで言い争いになったんだよ、たぶん。すると、俺たちは婚約者同士だったんだろうね…〉
〈いや、待てよ…、それだけじゃあないな、あの高音で怒鳴りつけられたのは…。別の時はたしか、俺が空に上がることになって、それで、すぐに彼女の父さんが亡くなったんだ。当然、そんなタイミングで俺が行っちまうわけだから、無理もない話だがね。ただ、申し訳なくて、黙って彼女の嘆きを聞いてやったさ。はは、時々あの高音でまくしたてられたりして…〉
〈そうだな、その彼女と俺は結婚したってことだろうね。この断片から考えるに。となると、あのハッピーバースデーを歌っている子供の声は、俺たちの子ってこともあり得るわけだ。たぶん女の子かな?だって、ほら、あの高音がよく似ているような気がしたからだよ〉
〈あのさ、ところで俺たちの故郷では、あんたらの評判は良くないんだよ。誘拐したり、人体実験したりって理由でね。当然もうそっちはお見通しだとは思うんだけど。それについてはどう思う?そろそろ俺が質問したって良いだろう?何時でも消えちまうちっぽけな存在なんだし…、もう何処かでこの事を言いふらす心配だってないんだからさ〉
俺は光栄なことに、いわゆる〝エイリアン〟と会話したとされる数少ない人間の内に仲間入りしたのだった。けれども、テレビで見たりするように、頭の中で声が聞こえるというのとは少し違って、実際の所、これはどちらかと言うと次々に何かを思いつくような感覚で、あるいは意図的に新しい記憶を植えつけられてゆく、という風にも言う事ができる。
正に〝ひらめき〟の感覚そのものだった。恐らくこのひらめきの正体は、俺の意識が、連中によって増設された記憶を認識した瞬間、ということだろう。そのひらめきによると、誘拐や人体実験の類は連中の仕業ではないらしい。これには俺も納得だった。なぜなら、彼らはそんな不細工な手段をとらなくても、ちょうどこんな風に素粒子レベルで万物を観察したり、干渉したり出来るのだから。要は、そういう怪奇事件は、そのほとんどが、同じ人間同士の間で行われている単なる低俗な犯罪らしいということだった。何なら、彼らは俺たちが火を使う随分と前から、こうやって観察を継続しているということらしい。その目的については、とうとう最後までひらめかなかったが、俺が推測するに、彼らが有機体と有機物との間に特別、境界線を引いていないことから、決して人間を主な観察対象としている訳ではなくて、惑星単位で注視している重要なことがらが密かにあるんじゃないだろうか。
ふと、それまでの溢れるようなひらめきが止んで、俺は自らの意志でこの空っぽの現実に帰還した。というのは、いつまでもこうして漂っている訳にはいかないような気がしたからだった。それに何よりも、それまでポカポカと感じていた手足からも再び凍ったような感覚が広がり始めていて、その上、今までの快活な心地もそろそろと消沈し始めようとしていた。
〈わかるぜ、なあ、もう御終いってことだよな。いや、いいんだ。ありがとう、人生の最後にあんたらと話せて良かったよ。…ああほら、俺の大好きな声が聞こえる。はは、女の声…相当腹が立ってるみたいだな。だけどさ、きっと最後には仲直りするって決まってるんだよ…。なぜかな、そう思うんだよね。…ハッピー…バースデー…。このグレーのマフラー…。女の子…、…そう、勢いをつけて、こんな風にペダルをこぐんだ。…いいね、直ぐに乗れるようになるさ…。簡単だろ…?うん。でももう行かないと…。ありがとう…。し…るよ…、あ…て…。…て…―
キャプリコン・セブン SI.ムロダ @SI-Muroda
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