#22 燃え上がる心
ソフィーが屋敷に戻ると、アンディが一人でやってきた。いつになく憔悴し、ぼろぼろの状態だった。事情を聴いてソフィーは彼に憐れみさえ感じ、励ますためにそっと抱きしめる。
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ソフィーが屋敷に入ると、玄関ホールに執事のヘンリーが待っていて、帽子や手袋を受け取りながら「ウィルキンソン様がお見えです」と告げた。
「メアリーが?」
「いいえ旦那様のほうです。客間にお通ししてありますので」
「そう、わかったわ」
ソフィーは答えた。アンディが一人でうちにやってくるなんて、何か緊急の用事なのだろうか? ソフィーは胸騒ぎがして、乗馬服のまま着替えもせずに客間に向かった。
ドアを開けて中に入ると、アンディがソファで頭を抱えるようにして座っていた。
「アンディ、どうしたの?!」
「ああ、ソフィー……」
アンディが顔を上げる。その目は落ちくぼみ、頬はげっそりとそげている。ひげもうっすらと伸びていた。あまりにも意外な姿に、ソフィーは息をのんだ。
「いったいどうしたの? それに、あなた今はまだ仕事の時間でしょう?」
結局アンディとメアリーは、ルパートのはからいで、ある工場の経理部門で働くようになっていた。いずれ事業を始めるのを見越して、とにかく経営の基礎である経理を覚えなくてはならないという考えだ。二人のまじめな性格からして、それは願ってもない仕事と思えた。
「ああ……でもこの三日は休みをもらっている。ソフィー……メアリーが入院してしまったんだ」
「入院ですって? いったい何があったの?」
ソフィーは勢い込んで言った。アンディのようすは明らかにふつうではない。
「メアリーの具合が悪くて、起きていられない状態になってしまったんだ。流産の危険があるからと、緊急で入院することになった」
「そう。それは心配ね」
「ああ、そうなんだ。家のことはメイドがやってくれているが、やはり彼女がいないと行き届かなくて……。両親も弱っていて、うちの中はもうめちゃくちゃだ」
「アンディ……」
ソフィーはじっと彼を見た。美しかった水色の瞳はどんよりと濁り、顔色は悪くて、若々しさがすっかり失われている。
これが私のあこがれていた王子様なの?
いま彼に感じるのはときめきではない。憐れみと少しの怒りだけだ。
「アンディ、ウィルキンソン家がたいへんな状況だということはわかるわ。でもそれなら……こんなときだからこそ、あなたがしっかりしなくちゃ」
「ああ、わかっている。こんな自分が情けないよ。結婚してすぐメアリーには苦労ばかりさせている。子どもができてうれしいはずなのに、無事に育つかどうかもわからないなんて」
「アンディ……」
ソフィーは彼の隣に座った。彼はソフィーの顔を見て、悲しげにほほえんだ。
「君は強いな、ソフィー。オブライエン伯爵が亡くなってから、君がどれほど苦しい思いをしてきたか、僕はずっと見てきた。君は本当にルパートと結婚してよかったと思うよ。君たちは最高のカップルだ。お互いがお互いを支えて生きている」
「あなたとメアリーだってそうだわ」
「メアリーはぼくを本当に支えてくれている。どれほど感謝してもしきれないくらいだ。でもぼくはそれに見合うだけのことをできていない」
「これからやればいいじゃないの。メアリーだって入院中は心細いと思うわ。ここがあなたのがんばりどころなのよ。私もできるだけお手伝いするわ。まずメアリーが病院で不自由しないよう、身の回りのことをする人間を雇いましょう。そうすればあなたは昼間、安心して働けるでしょう?」
ソフィーは膝の上に置かれたアンディの手をそっと握った。まるで小さな子供を励ますように。
「ソフィー、ありがとう。他に誰も頼れる人がいなかった。年下の幼なじみの君に、こんな姿を見せたくはない。でも他に来るところを思いつけなかったんだ」
「私はあなたたちの友人だわ。今までも、これからもずっと」
ソフィーがにっこり笑うと、アンディの目が少しうるんだ。
「ソフィー、ありがとう……」
彼もようやく弱々しい笑顔を浮かべる。そして彼女の肩に腕を回して、そっと抱きしめた。彼のあごが肩に乗っているのを感じながら、ソフィーも彼の体に手を回し、母親がこわがっている子供をなだめるように、ぽんぽんと軽くたたいてやった。
ドアに背を向けていたソフィーは、そのとき客間のドアが静かに閉められたことに気づいていなかった。
その夜、ルパートは夕食に戻ってこなかった。遠乗りから帰って厩舎に行ったあと、当然、屋敷に戻ると思っていたのに。
しかし彼は忙しい人だ。仕事で何かと呼び出されることも多い。伝言し忘れたのかもしれない。そう思いあまり心配はしていなかった。
しかし夕食が終わり夜も更けてくると、さすがに気になり始めた。どこにいるかだけは確かめておきたいと、会社に電話をしようとした。しかしそのとき、玄関のドアが開く気配がした。階段を下りかけると、ルパートが入ってくるところだった。乗馬服のままで髪が夜霧にしっとりと濡れている。
「ルパート、あなたどこへ行っていたの?」
ちらりと彼が視線を上へ向ける。その目がいつもと違う光を放っているのに、ソフィーは気づいた。
「やあ、奥さん。心配したかい?」
「当たり前でしょう。伝言も何もせずに消えてしまうんだから」
ルパートはそれには答えず、階段の途中にいたソフィーの横をすり抜けると、寝室へと向かおうとした。すれ違うとき、少し酒のにおいがした。
「ルパート、あなたお酒を飲んでるの?」
「ああ、久しぶりに町のパブに行ってきた。こんな田舎町でも、いい店があるものだな」
「だったらひとこと言ってくれればよかったのに」
ルパートが急に立ち止まり、ソフィーの肩を乱暴につかむと目をじっと見た。
「馬を厩舎に入れて戻ってきたとき、君は忙しそうだったからな」
ルパートはあれからすぐに戻ってきたらしい。あのとき私は……。
アンディが来ていたことを思い出して、ソフィーははっとした。
「君はアンディと話をしていた。とても親密そうに。そして君は、個人的にやつと会っている」
そう言うとルパートはソフィーの体を突きはなし、ソフィーはよろけて壁に当たった。
「何のことを言っているの?」
ふいに、数カ月前にアンディが店を訪れたときのことを思い出した。
「あれは……違うわ! もちろん今日だって」
「何が違うというんだ?」
ルパートは容赦の無い視線を向けてくる。
「メアリーのことよ!」
その視線をさえぎるようにソフィーは訴えた。
「メアリーが?」
ルパートはいぶかしげにたずねた。
「ええ、前は赤ちゃんができたことで今後の相談に来て、そして今日はメアリーに流産の危険があって入院したと言うの。それですっかりアンディは弱っていて……」
「君のところへ助けを求めに来たというのか」
「そうよ」
「だが、君はどうだ? 君にとってあの男は初恋の相手だろう」
「もうずいぶんも前のことだわ。だいいち私はあなたと結婚しているのよ!」
そしてあなたを愛しているの! そう言ってしまいたいもどかしさに、つい声が大きくなる。
ルパートは言葉を止めて、また歩き出した。ソフィーは彼のあとについて寝室へ入る。
「ソフィー……。僕と君が出会ってから、まだ一年たっていない」
「一年……」
「ああ。それまで君はずっとアンディを思っていた。そして生活のために僕と結婚した。そう簡単にやつを忘れられるのか? 君たちは抱き合っていたんだ……」
ソフィーは呆然とした。ルパートが何を言っているのかわからない。彼はまだそんなふうに考えていたのだろうか? 私の気持ちも知らずに、いったい何を言っているの?
「たしかに前はアンディに憧れていたわ。でももうそんな気持ちは消えたのよ。さっきだって、彼を抱きしめたのは小さな弟みたいに感じたからよ。彼はもう恋する相手ではないわ」
ひと息に言い切った。
ルパートはネクタイをゆるめて息をついた。彼女のほうに向けた目に、暗い炎が燃えているように見える。ソフィーは
「ソフィー、君は……」
ルパートがそうつぶやいたかと思うと、急に彼女の腕をつかみ、自分のほうへ引き寄せた。彼の胸に倒れ込んだソフィーの顔をぐいっと上げて激しく口づけた。彼の唇から熱が伝わってきて、ソフィーはくらくらとした。
何度も何度も角度を変えて、ルパートはソフィーの唇をむさぼった。その間に彼女のナイトガウンの前のぼたんを引きちぎるようにして開くと、さっと取り去った。下に着ていたレースのネグリジェは細いストラップだけでつられている。その裾から大きな手が入り込み、下着をつけていない素肌に触れられて、ソフィーの体に強烈なしびれが走る。
「ルパート!」
ルパートはソフィーの抑えた叫びを無視して、彼女を押し倒すように一緒にベッドに倒れ込んだ。いつもの冷静で皮肉っぽいルパートとは違う、感情をそのままぶつけてくるような激しさにソフィーは戸惑った。しかし肩から胸へとみずからのしるしを刻みつけるかのような熱い口づけを受け、しだいに高ぶってくる。いつのまにか二人ともすべてを取り去って、素肌を絡ませていた。
性急にルパートが入ってきて、ソフィーは思わず彼の腕から逃れようとした。しかし彼はそれを許さず、さらに強く抱きしめて突き上げる。強い刺激に脳の奥まで貫かれ、ソフィーは叫び声をあげた。
「ソフィー……」
ルパートのささやきが、耳元で聞こえる。うっすらと目を開けると彼の黒い瞳が自分をじっと見つめていた。
「ソフィー、君は僕のものだ。誰にも君を渡さない」
その声が耳に届くと、胸に熱い物がこみあげて涙がこぼれそうになる。
「ルパート……」彼の熱に包まれて、ソフィーは官能の波に深く飲みこまれていった。
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