#21 穏やかな時間

 ルパートの疑いがはれ、夫婦や家族のきずなが深まった。ルパートとソフィーは久しぶりにオブライエン家の屋敷に出かけ、穏やかな時間を過ごす。


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 贈収賄容疑をかけられた事件から約二カ月、ようやく事態は落ち着いた。あのあと、運輸省ナンバーツーの賄賂強要が世間に知らされ、運輸省はしばらく大騒ぎだった。ルパートの疑いは晴れ、会社の名前にも傷がつかずにすんだ。

 アンダーソンは逮捕されて拘留中で、いずれ裁判で刑が決められるだろう。彼の自殺未遂のあと、ビクトリアは泣きながら、自分がルパートの伝言を姉に伝えなかったと告白した。

「いつもいつもお姉さまばかりいい思いをしていると、妬ましかったのよ。立派な旦那様もいて、自分の店も持ったわ。私はその間、家でフリーダの面倒を見て、来客に用件を聞いているだけ。私に会いに来てくれる人なんかいない。でもあの伝言はとても大事なことだとお義兄さまに言われたのに……。あの日、お姉さまがホテルの会食に行っていれば、お義兄さまは疑いもかけられずにすんだはずなのよね……」

「ビクトリア……私がホテルに行けなかったのは、アンダーソンが妨害していたからよ。たとえ伝言を聞いていても、結果は変わらなかったと思うわ。彼らは何としても私を行かせまいとしたでしょうから」

 それは本心だった。今回の件で逮捕されたのはグレアムとアンダーソンだけだが、おそらくコネリーやスコット・フランクも計画は知っていたはずだと、ルパートは言った。しかし彼はそれを明らかにしようとはしなかった。

「あの連中には貸しができたと思っていればいい。しょせん自分たちは矢面やおもてに立とうとしない臆病者だ。これ以上、おかしなことはしないだろう」

 彼の言葉どおり、それ以来、コネリー商会やスコット・フランクは彼らに接触してこようとはしなくなった。

 ようやくすべてが落ちつくところに落ち着いたようだ。アンダーソンに奪われたオブライエン家の資産は相当な額になっていた。現金は戻ってはこないだろうが、いくつかの不動産の所有権は取り戻すことができた。これで新しい事業の計画に組み入れることができる。

 

 ソフィーとルパートは久しぶりに二人でオブライエン家のマナーハウスに来て、敷地内を馬でゆっくり散策していた。春まだ浅く空気はひんやりとしていたが、午後の柔らかい日差しは穏やかだった。

「結婚してまだ八カ月しかたっていないなんて信じられないわ。うんと長い時間がたったみたい」

 馬に揺られてソフィーが言う。馬に乗るのもいつ以来だろう? 両親が死んでから遠乗りは初めてかもしれない。ソフィーは久しぶりのゆったりした時間を存分に味わいたかった。

 ルパートの乗馬服を見たのも初めてだった。体にぴったり合った乗馬服は、彼のたくましい胸板や足の長さを強調している。悠然と馬に乗っている姿は、ふだんの彼とは違った魅力に満ちていて、ソフィーは目を細めて自分の夫を見た。

 あの日から二人の関係は大きく変わった。――肌を重ねるようになったのだ。これまでこらえてきた思いが堰を切ってあふれたかのように、ソフィーとルパートは何度もお互いを求め合った。快感におぼれるひとときには、ソフィーはルパートとの結びつきを強く感じた。

 だがお互いの名前を呼ぶことはあっても、愛を告げる言葉はなかった。ルパートはいったい私のことをどう思っているのだろう。そして私は――

「ソフィー、僕に見とれているのかい?」

 急に言われてどきりとする。ソフィーは苦笑して答えた。

「ええ、今のあなたは悪くないわ。仕事をしているときは、他人に意地悪をしてやろうという顔をしているけど、今はそんなこと考える必要はないものね」

 ルパートは声をあげて笑った。ソフィーの胸があたたかくなる。

 あなたを愛してる――。そう言いたかったが言葉は出て来なかった。

 愛を自覚したことで、ソフィーは強くなった。

 だが同時に弱くもなっていた。愛が受け入れられなかった時のことをおそれるようになってしまったからだ。

「二頭ともいい馬だ。どちらも君と伯爵が選んだのかい?」

「ええ、このヘルメスは、見た瞬間どうしても連れて帰りたくなったの」

 ソフィーが自分の乗っている栗毛の馬を指して言う。

「そちらのアフロディーテは父のお気に入りよ。真っ黒な毛がとても美しいでしょう?」

「ああ、これほど艶があるのは、世話がいいんだろう」

「父は何でも美しいものが好きだったの」

「だから美しい娘たちが生まれたのかな」

 ソフィーは彼の言葉が少し恥ずかしくて目をそらした。

「でも……それを維持するだけの経済観念はなかった。この子たちを手放さずにすんだのは、あなたのおかげだわ」

「ああ、僕も馬を守れたのはうれしいよ」

「以前は毎日のように私が世話をしていたのに、このところめったに帰ってこられなかったから、ずっと厩舎番きゅうしゃばんに任せきりだった。でも厩舎番もよくやってくれているみたいで、馬のコンディションもとてもいいわね」

「これからは、ここにも前より多く帰ってこられるようになるだろう。そうしたら、またいくらでも乗れるようになるさ」

 ソフィーはルパートと顔を見合わせて笑い合う。激しく熱い夜のひとときだけでなく、こうした何気ない時間の積み重ねがうれしかった。

「ねえ、少し早く走りましょう。少しは走らせないと、馬だって物足りないでしょう」ソフィーは明るい声で言う。

「よし、それなら池のところまで競争しよう」ルパートは受けて立った。

 足に力を入れて馬を走らせ、少しずつスピードをあげていく。ソフィーの帽子の下に出ている後れ毛が風になびく。風を切る感覚が心地よく、ソフィーは今この瞬間の幸せをかみしめていた。

 二時間ほど外を走って体がほどよく暖まってきた。屋敷が見えてきたところで、ルパートが言う。

「馬は僕が引き受けるから、先に屋敷に入っていてくれ」

「ありがとう。じゃあ、先に行っているわね」

 ソフィーは屋敷の玄関に向かい、ルパートはその逆の厩舎に向かって歩き出した。


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