#19 私が彼を信じなくては

 ルパートが警察に拘束されたとき、何もできなかったソフィー。事態をなんとか打開しようと、いとこのアビーのところに相談に行く。


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 その日の午後、ソフィーはアビー・ウォルコットを訪ねた。結婚式以来、彼女を訪ねるのは初めてだ。

 アビーはロンドン中心街から少し離れた閑静な住宅地域のこぢんまりとした屋敷に一人で住んでいた。屋敷が小さい分、家の内装や家具にぜいが凝らされている。ビクトリア調で統一された家具は、曲線が強調されてとても優美だ。重みのあるドレープ、明るい柄のついた飾り棚の食器などに、彼女の趣味のよさが表れている。部屋に入ったとたん、ソフィーもしっくりした居心地のよさを感じた。

 通された客間で待っていると、アビーが自分でお茶のワゴンを運んでやってきた。ソフィーが目を丸くすると、彼女がほほえんで言った。

「これは私が趣味でやっているの。紅茶はどうしても自分でいれたいのよ」

 アビーは襟にフリルのついたブラウスに、マキシ丈のスカートをはいていた。本当に一九世紀の屋敷に迷い込んだようだ。

「あなたが一人でここに来るなんて珍しいこと。何かあったのかしら?」

 小さなテーブルで向かい合い、紅茶を飲みながら彼女が言った。

「実は今朝、ルパートが警察に連行されました」

「なんですって?」

 アビーが顔をしかめる。

「贈賄容疑がかかっているそうです。運輸省に便宜をはかってもらおうと、役人に会っているところを写真に撮られて……。でも私には信じられないんです。自分の仕事を有利に進めるために、官僚や政治家に頼る人ではないですから」

「そうね、私もそう思うわ」

「何か大きなことが、自分たちの知らないところで動いているような気がして……」

 アビーはティーカップをテーブルに置き、頬杖ほおづえをついてしばらく考えていた。

「写真に一緒に写っていた役人の名前はわかる?」

「いいえ……細かい話はほとんど聞いていないんです」

 ソフィーはそう言って、今朝の出来事のあらましをかいつまんで話した。

「そう。たまたまディナーに招待されて、その帰りに役人に会った。話としてはできすぎているわね。罠にはめられたような気がするわ」

「罠……」

「ええ。ルパートは敵も多いから……」

 彼女の言葉に、何か恐ろしいことが起きているという思いが実感として迫ってきた。

「ソフィー、私の詩のサロンに来ている人で、警察のOBがいるわ。その人に連絡を取ってみましょう。少なくとも何か情報をくれるかもしれない」

「……ありがとうございます。私、何をすればいいのかわからなくて」

「ソフィー、夫が警察に連行されたら誰だって動揺するわ。でもたとえ他に誰も信じなくても、あなたと私だけは彼を信じましょう」

「ええ、ええ……」ソフィーは胸に迫ってくるものを抑えながら、大きくうなずいた。


「お姉さま、いったいどこへ行くつもりなの? そんなに派手に着飾って!」

 翌日、出かける前にお茶を飲んでいこうとダイニングルームにあらわれたソフィーを見て、ビクトリアが大きな声をあげた。

「警察に行くわ。ルパートに面会するのよ」

「そんなかっこうで? まるで王室の園遊会に行くみたいじゃない」

 ソフィーは目の色と同じ明るいグリーンのツーピース、白いベール付きのカクテル帽、それに白いレースの手袋をしていた。そしてもちろん、エメラルドの結婚指輪。ビクトリアの言うとおり、そのまま結婚式に出席してもおかしくはない。

「警察の面会にそんな服で行ったら印象が悪くなるわよ」

「ルパートはこのほうが喜ぶと思うわ」

 ビクトリアの言葉を受け流して、ソフィーは悠々と紅茶を飲んだ。

 そう、ルパートに非がないのであれば、私も誇り高く堂々としていよう。

 今初めてビクトリアは、自分の心に正直になった。私はルパートを愛している。これまではプライドが邪魔をして認められなかったが、この衝撃的なできごとによってようやく目が覚めた。愛する人を信じられるのは、私しかいない。そして、彼を助けるために動けるのも私だ。

 ソフィーは燃えるエメラルドの瞳で顔を上げた。もちろん、ルパートはただの便宜結婚として私のことなど愛してはいないだろう。でも私は、これまでルパートがしてくれたことに感謝して全力を尽くそう。それが私の愛だ。

 心が決まると、やるべきことがはっきり見えた。まずは彼の潔白を証明すること。そして、できることならこうなった原因を探り出す……。

 この半年でソフィーは車の運転も覚え、ふだんは自分でどこへでも行けるようになっていたが、今日ばかりは運転手に頼むことにした。車は最高級のマーティンだ。警察署の前にはマスコミのカメラマンらしき人間が何人かいる。大企業であるビーチャム商会の若き社長が贈賄の疑いで拘束されたことは、大きなニュースになっていた。


 警察署の前に車をつけさせ、車を出たところでフラッシュが何度もたかれた。ソフィーは臆することなく、胸を張って玄関を入っていく。

「ミセス・ビーチャム! ご主人の逮捕は予想されていましたか?」

「贈賄は本当でしょうか?」

「政府官僚と企業経営者との癒着については?」

 記者が次々と質問を大声でどなるが、ソフィーは相手にせず、ただ艶然とほほえんで警察署の中へと歩いていった。

 ルパートは思ったとおり、ソフィーの姿を見て顔を大きくほころばせた。彼女の勝ち気な瞳がきらめいている。泥の中から頭をもたげた真っ白なハスの花のように、気高く誇り高い姿だ。

「ソフィー、いつにもまして美しい。君がこうやって来てくれてとてもうれしいよ」

「アビーが力になってくれると言っているわ」

「ああ、もう弁護士を通じて連絡をくれた。今回の件を誰が仕組んだか、僕にはだいたい見当がついている」

「私のほうも考えていることがあるの。裏帳簿があるなんて情報は、よほど信憑性しんぴょうせいがないと信じてもらえないわ。ある程度、地位や名声を持っている人でなければ警察は動かない」

「ああ、そうだな。それについてはおそらく僕と考えが一緒だろう。しかしその人物が君のよく知る人間だったとしても……決して無茶はしないでくれ」

「ルパート、わかったわ」

 ルパートはフェンス越しに彼女の手に触れ、指に力を入れてじっと彼女を見つめた。


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