#17 小さなジェラシー

 店の経営が順調なことで、ソフィーは他のことに目を向ける余裕が出てきた。するとルパートが自分以外の身近な女性たちに、思いのほか優しく接していることに気づく……。


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 宝石店のオープンから間もなく三カ月がたとうとしている。思った以上に店の経営は順調だった。ソフィー自身も、経営がわかってくると仕事がおもしろくなってきていた。

 そのせいもあり、夕食の時間に家に戻れるのは数えるほどになっていた。でも、これからは少し妹たちと話す時間を取り戻さなくては。

「ルパート、宝石店のオープンからまだ三カ月しかたっていないのに、こんなことを言うのは早いかもしれないけれど……」

 珍しく居間に家族がそろった朝、ソフィーはここしばらく心に思っていたことを切り出した。

「いや、君が言い出すんだから興味深い話だろう。何か仕事のアイデアでも浮かんだか?」

「ええ。オブライエン家が所有している別荘のことよ。これまではただ持っているだけで、維持費がかかるばかりだったわ。でもあれをたとえばホテルやレストランとして活用できないかと思ったの」

 実をいうと、本宅の行く末も相談したかった。ビクトリアやフリーダからも、両親との思い出の屋敷がいつか売られてしまうのではないかと心配されていた。だが、自分の力で今の立場を確実なものにしなければ意味がない。それには、自分だけで運営する事業を手に入れたかった。

「ああ。貴族のマナーハウスをホテルにした例は多い」

「ええ。アメリカやアジアからの観光客に人気があるんですって。イギリスでしか経験できないことだから」

「そうだな。他の国では味わえないぜいたくだろう」

「いいものにはいくらでもお金を払うという富裕層は世界を見ればかなり多いし。オブライエン家の資産を活用できれば、いずれビクトリアやフリーダの役にも立つと思うの」

 居間の隅で話を聞いていたビクトリアが、ぴくりと反応して頭を上げた。

「お姉さま……それはいずれ私がそういうホテルの仕事をするということ?」

「ビクトリア、一つの可能性よ。お父さまとお母さまが亡くなったあと、オブライエン家にはお金がなくて、どうすればいいのかわからなくなった。もうあんな思いはしたくないし、あなたたちにもさせたくないの。もちろんすぐにというわけじゃないわ。でも、将来のことは考えなければならないでしょうし」

「……そうね。お姉さまが仕事を一生懸命やっているのはわかってるわ。でも私はお姉さまみたいに、朝から晩まで働いて、ろくに休めもしない生活なんて絶対にいや! それに私たちが今、心配せずに生活できるのは、店がうまくいっているからじゃなくて、お姉さまがビーチャムさんと結婚したからよ。私もお金持ちで、私を養ってくれるお金と力のある人と結婚するわ!」

 それだけ言うと、ビクトリアは足音を立てて部屋から出て行ってしまった。それを見ていた末っ子のフリーダは、やれやれというふうに肩をすくめた。

「ビクトリアお姉さまったら、このところいつもいらいらしているのよ。つきあいきれないわ。もちろん、私は賛成よ。田舎の別荘なんて行くこともないし」

 さばさばとした調子で言った。若い娘らしく、大人の事情など知ったことではないのだろう。そして、軽やかに立ち上がった。

「この週末、友人たちとピクニックに行くのよ。お義兄さま、車と運転手をお願いしてもいい?」

 末っ子らしい、上手な甘え方だ。

「ああ、いいとも、執事に伝えておこう」

 日頃見たこともない笑顔でルパートが答えた。

 その瞬間、ソフィーの胸の中にこれまで感じたことのない痛みが走った。

「あまり無理を言わないのよ」

 なぜか声に刺が含まれてしまった。

 ルパートは、おやという感じで小さく眉を上げた。

「あら、このくらいお義兄さまには大したことではないわよね?」

 フリーダがさらにお願いする。

「ああ、もちろんだ。料理人に最高に美味しいピクニックバスケットも用意させておこう」

「まあ、ありがとう! 大好きよ! お義兄さま」

 そういうとフリーダは座っているルパートのもとに駆け寄り、無邪気にその両頬に派手な音を立ててキスをした。

「まあ!」思わずソフィーは声を上げていた。

「フリーダ、なんてはしたない!」

「あら、フランス風のあいさつが今の流行よ。お母さまみたいなことを言わないで」

 そう言うと、投げキスまでしてフリーダは部屋を出て行った。

 あっけにとられたソフィーと、クッションを投げつけてやりたいほど、にやけた笑顔のルパートが取り残された。

「まったく……」

 フリーダとルパート、どちらに苛立いらだちをおぼえているのかわからなかったことに、ソフィーは混乱していた。

「それにしてもビクトリアは、まだアーロンのことで私を恨んでいるのかしら」

 ソフィーは深いため息をついた。

「ソフィー、もうそれは彼女自身の問題だ。いずれ自分で結論を出すだろう。それを待つしかない。しかし妹たちのためというのも含めて、オブライエン家の資産を活用するという考えは悪くない。君が本気で事業として進めたいなら、よろこんで協力しよう」

「ありがとう。ルパート」

 ここで立ち上がって両頬にキスしたら、夫はどんな顔をするだろう。

 彼は仕事の話についてなら、どれほど未熟な意見であろうと決してないがしろにしない。そして仕事の話をしているときが一番楽しそうだ。

 もちろん、フリーダと話すのも楽しそうだったけれど……。

 先ほどのやりとりを見て生まれた嫉妬心は、簡単にはおさまりそうもなかった。

 ルパートは、今でもお互い欲しい物を手に入れるためだけの便宜結婚だと思っているのだろうか。実際に貴族のコミュニティに仕事の幅を広げているようだし、望んでいたものが手に入ったことに満足して、機嫌がいいのだろうか。

「あの……この仕事にはウィルキンソン夫妻にも参加してもらいたいと思っているの」

 機嫌の良さそうなルパートを見て、ソフィーは思い切って切り出した。その名前が彼にどんな影響をもたらすかわからなかったからだ。

「ウィルキンソン? アンディか?」

「ええ」

 しばらく沈黙が続いた。やはり彼の名を出したのはまずかっただろうか。以前、ソフィーはアンディに恋をしていた。そしてアンディに振られたとき、初めてルパートに出会ったのだ。ルパートは表面的にはアンディなど関係ないという顔をしているが、何かのはずみで彼の名が出ると、あきらかに機嫌が悪くなる。

「参加するというのは、いずれ彼らも自分たちで事業を始めるということか?」

「ええ。ウィルキンソン家も決して経済的には楽ではないのよ」

「古くからの貴族はみんなそうだ。時代が変わっていくのについていけていないんだ」

「だからようやく自分たちで働こうという気になったのよ。昔なじみだし、できたら力になってあげたいわ」

 実はその後、メアリーからも手紙で相談を受けていた。実際的な考え方をするメアリーは、アンディとのいきさつを知らないままに、ソフィーを頼ってきたのだ。

 ルパートはしばらく考えていた。

「ソフィー、僕は君には経営のセンスがあると思う。だから君がしたいということには、できるだけ協力したい。だがアンディを仕事に参加させるのは反対だ」

 どこか不機嫌そうにルパートが言う。

「なぜ……?」

「彼は、おそらく実務には向かない。文学やら哲学やら、そんなもので頭の中はいっぱいだ。たとえば君は彼に店を一軒、任せたいと思うか?」

「それは……」

 ソフィーは口ごもった。アンディについての評価は、ルパートが正しいと思う。けれどもウィルキンソン家の実情を聞いたあとでは……。

「ルパート、アンディはたしかにそうかもしれないけど、メアリーは……」

 そう言いかけたところで、執事が来客を告げた。

「メアリー・ウィルキンソン様です。早急に旦那様と奥様にお会いしたいとおっしゃっていますが」

「ミセス・ウィルキンソンが?」

 ルパートとソフィーは顔を見合わせる。

「お通ししろ」

 ルパートは立ち上がって椅子の背にかけていたジャケットを着た。

「部屋に入ってきたメアリーは、紺色のスーツを着ていた。彼女にしては珍しい服装だ。アンディはメアリーが妊娠したと言っていたが、外見からはまだわからなかった。

「突然、ごめんなさい。このあいだソフィーには連絡したのですが、やはり直接お願いするのが筋だと思い直したんです。ミスター・ビーチャムにお願いがあってきました」

「私に?」

 ルパートがまたソフィーを見る。

「お恥ずかしい話です……。でも他に頼れる人がいなくて。今ウィルキンソン家の経済状況はとても悪いのです。ソフィーの家と同じように、いくつもの土地を所有していますが、ただ置いてあるだけで、維持費がかかるばかりです。このまま何もしなければ、いずれ土地や屋敷を手放すことになるでしょう。それだけですめばまだいいけれど……。でもアンディは、その、あまりそういう実際的なことには向いてなくて……」

 隣でルパートがにやりと笑ったような気がした。

「なるほど。ご主人を支えようという気構えはとても立派だと思いますが、あなたには、何か計画があるんですか?」

「ええ……とても時間がかかると思うのですが」

「おっしゃってください」

「先日、ソフィーと電話で話しているとき、彼女が屋敷を観光客向けのホテルにしたいと言っていました。ウィルソン家にも美しい屋敷がいくつかあります。それをなんとか使えないかと考えています。もちろんすぐにというわけにはいきません。でもソフィーがホテルの事業を始めるとき、いいえ、今すぐにでも、もし宝石店やビーチャムさんの会社でできる仕事があれば、私かアンディを使っていただきたいんです。いつかウィルキンソン家で事業ができるように」

「人に雇われて働くということですか? それは思い切ったことを」

「私はこれまで仕事をしたことはありません。でもウィルキンソン家を支えるためなら何でもやりたいんです」

 先ほどまでの不機嫌さとは打って変わって、ルパートの表情は真剣だった。ルパートとメアリーがじっと見つめ合う。ソフィーはその光景を見て先ほどよりも、もっと胸がもやもやしてきた。

「ミセス・ウィルキンソン。わかりました。あなたがたにできる仕事があるかどうか、考えてみましょう。私は妻が本気でホテル事業に乗り出すなら、投資を含めて相談に乗ることを約束した。もしあなたが彼女と同じだけの力を身につけ、ウィルキンソン家独自の事業を始めるというなら、私も協力しましょう」

 メアリーの目に大粒の涙がたまる。さっとルパートの手を取ると、両手でぎゅっと握りしめた。

「ありがとうございます、ミスター・ビーチャム。きっとお役に立つようになります」

 そして、ソフィーを振り返った。「ソフィー、急に来てしまってごめんなさい。でも、いてもたってもいられなくて」

「わかるわ」

 そう、そんなにルパートの手をしっかり握りしめていなければ、もっと共感できるのに。

「私、お義父さまとお義母さまを説得します。そして、あらためてアンディと二人でお願いにまいります。よろしくお願いします」

 貴族でありながら商人であるルパートに頭を下げるメアリーに、決意のほどが見てとれた。

「ええ、お待ちしておりますよ」

 深々と頭を下げると、メアリーはすぐに部屋を出て行こうとした。

「まあ、少しゆっくりしていけばいいのに」

 ソフィーが引き止めようとした。

「いいえ、善は急げだわ。またあらためて」

 メアリーが出て行ってしまうと、ルパートがソフィーに尋ねた。

「彼らは結婚してどのくらいになる?」

「四カ月かしら。私たちの翌月に結婚式だったでしょう?」

「ああ、そういえばそうだった」ルパートは考えこむように言った。「結婚してすぐ、新妻は自分が嫁いだ家の窮状に直面したというわけか」

「ええ。とても心を痛めているわ。アンディだけじゃなく、ウィルキンソン伯爵夫妻も、少し現実ばなれしているところがあるから」

「しかし彼女の覚悟はたいしたものだ。貴族はプライドにすがって現実を見ようとしないものだと思っていたが、彼女のように自分が人に雇われる立場になるのも辞さない女性もいたとは」

 メアリーを思い出すように目を細めるルパートを見て、ソフィーの胸がざわついた。

「さっきまではアンディに仕事をさせる気はないと言ってたのに、メアリーに頼まれて考えを変えたの? 女性にはやさしいのね」

 ルパートが、おや? というように目を輝かせた。ソフィーの手に自分の手を重ねてゆっくりと言う。

「彼女の意気込みに感心したんだ。ビジネスに必要なのは意気込み、忍耐力、そしてセンスだ。アンディと結婚するくらいだから、忍耐力もあるんだろう。センスは君が自分で判断したらいい」

 そう言ってソフィーのほうを向いて意味ありげに笑う。

「もしメアリーにやさしくしてほしくないというのなら、僕は完全に手を引くが」

「なんですって!」ソフィーの顔が赤くなった。

「やさしくしてほしくないなんて、思っているわけないでしょう? 彼女は幼なじみですもの」

 ソフィーはぷいと横を向いた。ルパートが自分をからかっているのがわかったのだ。

 ああ、このまま彼女を腕の中に引き寄せてしまおうか……。

 耐えがたいほど強い衝動がわき起こり、そのままソフィーを抱き上げて寝室に連れて行きそうになったところを、ルパートはぐっと歯をくいしばってこらえた。

「それよりもソフィー」

 急にルパートの声の調子が変わった。どうにか自分を押さえられたところで、ずっと気にかかっていた件を彼女に話すことにした。

「オブライエン家の財産管理は、昔からアンダーソンがやっているのか?」

「ええ、そうよ。両親はずっと彼にまかせていたわ」

 ルパートがあごを手で撫でながら、少し考える。

「どこかに帳簿があるはずだが、会計士に見せていいか?」

「もちろん、いいわよ。何か気になることがあるの?」

 ルパートは口を開きかけ、思い直したように言った。「ああ、少し調べたいことがある」

「そう。それならアンダーソンにも言っておかないと……」

「いや、言わないでくれ」

「彼には黙っていろというの?」

「そうだ。できれば内々で話をつけたいからな」

 彼が何を言っているのかよくわからず、ソフィーはいぶかしげに夫を見た。


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