#16 貴族のプライドは捨てるわ!
新しい宝石店は順調に売り上げをあげていて、ソフィーも少しずつ自信をつけてきた。しかしある日、彼女の覚悟を試すような客がやってきた。
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ルパートがパリに出張に行ってしまったと聞かされたのは、翌朝の朝食の席のことだった。
「昨晩お義兄さまから電話があったの」
「ビクトリア、どうして電話を代わってくれなかったの?」
つい、きつい言い方になってしまった。
「だってお姉さまはお風呂に入っていらしたし、あとで伝言しようと思っていたけど、私のほうが部屋でお風呂に入っているあいだに寝てしまったのですもの」
ビクトリアは肩をすくめた。彼女の言葉は半分は本当で、半分は嘘だった。相変わらず
子どもじみているとはわかっていたが、今のビクトリアにはこうして、小さな反抗をすることしか出来なかった。
「そう……」
ソフィーはいつも以上に疲れを感じながら、小さくため息をついて答えた。ルパートと、アンディやメアリーのことを相談しようと思っていたのに。
「それで、いつまで出張ですって?」
「何もおっしゃってなかったわ。急な出張だったの?」
逆にたずねられても、ソフィーには何も答えられなかった。こんなことでは、とても夫婦とは言えないんじゃないかしら。苛立たしい気持ちをおさえながら身支度をすると店へと向かった。
ここ数日、貴族階級出身のソフィーならではの宝石の見立ての評判が良くなっている。はじめはまるで慣れなかった接客もだいぶ板についてきたと、ソフィー自身も感じていた。
「ねえあなた、せっかくの機会だからこの店ならではのものを見立てて欲しいの」
独特のアクセントで話しかけてきた客は、訛りからアメリカ人だとわかった。裕福そうな中年の夫婦は、ソフィーの貴族然としたたたずまいに惹かれて話しかけてきたようだ。
「どういったシーンでお使いになられますか?」ソフィーはていねいに応対した。
「そうねえ、帰国したらパーティを開くわ。今回は私たちの船が就航した記念ですもの。とにかくゴージャスなのが大好きなの。そうねえ、あのショーケースのエメラルドのネックレスなんて好きよ」
ショーケースには、買ってもらうためというよりも、お客に夢を見せるために、ダイヤとエメラルドをゴールドの台に派手に埋め込んだ、クレオパトラ風の首飾りが展示されていた。ソフィーの趣味からするとかなり俗っぽい印象だが、宝石としての華やかさや輝きを強調していることもあり、店にとってはいいアクセントになっていた。
だが、あの首飾りをこの体格のいい女性が身につけるとなると……。
「奥様、もちろんあの品もすばらしいものですが、こちらなどいかがでしょう」
首まわりを優しく華やかに彩るには、レースのようにプラチナの糸を編み上げ、その曲線で立体的な動きを見せてくれる首飾りがぴったりだ。襟元のあいたドレスをより美しく見せてくれることだろう。彼女の華やかな顔立ちにすばらしく映えるにちがいない。
「あら……」
アメリカ人妻は、眉間にしわを寄せた。「なんだか地味ね。宝石っぽくないわ」
「奥様の肌に良く映ると思いますわ。長くお使いになれるお手ごろな品だと思いますが」
「まあ、あなた、私のことをバカにしているの!」
不意に女性は不機嫌になった。
「いえ、決してそのようなことは」
ソフィーはあわてた。いったい何がいけなかったのだろう。あの首飾りをつけたりしたら、この人は大きな首輪をつけた犬のようにしか見えないだろう。似合わない物をすすめるなんてとてもできない。この人にとっても宝石にとっても不幸だわ。
「奥様、大変失礼いたしました。こちら、まだ見習いの店員ですので、お高い物をおすすめする自信がなかったのでしょう。ソフィー、あやまりなさい」
ジェフリーがとりなすように、割って入った。
私が悪いというの? 顔に不満が出かかったがぐっとこらえて言った。
「奥様、申し訳ありません、私の知識不足です」
良かれと思ってやったことであり、間違ったことはしていない。なのに頭を下げるなんて……。屈辱にソフィーの顔は赤くなった。
「まあ、わかればいいのよ。私、貧乏っぽいものは嫌いなのよ。とにかくゴージャスが一番だもの」
「奥様、よろしければご紹介いただいた特別なお客様にしかお見せしていない品を、奥のお部屋でお目にかけますが」
ジェフリーが申し出た。奥のスペースは、紹介された客だけを通すことになっている。
「あら、そうなの? ぜひお願いしたいわ」
すっかり機嫌の良くなったアメリカ人妻は夫のほうを振り返った。
「ねえ、あなた、いいでしょう?」
「きみ、お願いするよ。金ならたっぷりある」
妻と同じく、でっぷりと太った夫が
いかにも成金的な、お金さえ積めば何でも手に入ると思っている彼らの言い方に、ソフィーはやりきれない気持ちになった。
結局、アメリカ人の妻は、派手なルビーとエメラルドをあしらった首飾りとイヤリングのセットに加え、大きなバングルまで買って行った。もちろん、その日の売上は開店以来の最高額となった。
その夜、ようやくソフィーが起きている時間にルパートが帰って来た。どうしても今日のジェフリーの対応が納得のいかなかったソフィーは、ルパートに不満をこめて日中の出来事を語った。
「宝石がもちろん財産になるということはわかるわ。売上だって上がったし。でも、どこから見ても似合わないものをすすめるなんて、私にはできない」
ルパートは黙って聞いていたが、失望したように小さくため息をついた。
「ソフィー、君は変わったと思っていたが、まだ全然わかっていない」
どことなくつきはなした言い方だった。
「え?」
「客が何を求めているのか、まるで見ていない」
「あら、あの人はパーティで身につけると言っていたわ。新人デザイナーのミアの作品はすばらしく斬新で、身につける人をセンス良く見せてくれる、すばらしいものだと思うわ。私、気に入ってもらえる自信があったのよ」
ソフィーの声に不満がにじんだ。
「だが、客はそんなことは望んでいなかったのだろう?」
ソフィーははっとした。ここ二カ月、真剣に宝石の知識を身につけてきた。それに、生まれてからずっと、厳密に、宝石をつけるべきシーンについて教育されてきてもいる。だから、つけるべきではない宝石を売ることなど考えもしなかった。だが、本当に“つけるべきではない宝石”など存在するのだろうか?
「君は、もちろんすばらしい素養を身につけている。それは貴族のたしなみであり、処世術でもある。だが、アメリカから来た客にそれをわかれというのは、傲慢だ」
ソフィーにも、その時の自分の姿が見えて来た。あなたにはこの宝飾品は似合わない、それがわからない階級の人なのだから私が教えよう……、そういう姿勢が透けて見えたのだ。だから、あの人は怒り、ジェフリーは最大の譲歩をすることで、客をもてなしたのだ。
未熟な自分が恥ずかしい。ソフィーは言葉を失って下を向いた。
「もちろん、君はそのプライドを失うべきじゃない。だが、客を見るということは、客の望んでいるものを見るということだ。そうでないと商売などできはしない」
ルパートの声はなぜかいつもより強かった。
「よくわかったわ、自分の未熟さが。でもきっと、お客にとっても店にとってもベストな選択というのはあると思うの。私はその道を探す努力をしようと思うわ」
ソフィーは、しっかりとあごを上げ、挑むようにルパートを見た。これまでは、ジェフリーやルパートの言うことがすべてだった。だが、ソフィーはようやく気づいたのだ。自分のやり方を見つけられないのであれば、雇われる人間と何ら変わりないのだと。
「そうか、それではお手並み拝見と行こう」
恥ずかしさを乗り越えて、聡明な輝きが宿ったソフィーの瞳に魅せられながら、ルパートは答えた。そうだ、君はそうでなくてはいけない。このまま抱きしめ、その輝きを自分だけのものにしたかった。
だが、彼女の心は……。
「今晩中に目を通さなくてはならない書類がある。書斎にいるから、ほかにも話があったらそっちに来てくれ」
そう言うとルパートは、背を向けて部屋を出ていった。
残されたソフィーは、たった今気づいたことに興奮をおぼえていた。いままでは準備期間に過ぎなかったのだ。これから本当の意味での商売が始まる。そう思うと、目の前が開けたように思え、ずっと感じていた
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