#15 思いがけぬ訪問者

 開店からしばらくが過ぎ、驚いたことにアンディが店に訪ねてきた。ソフィーのほうにはすでにわだかまりはない。珍しく重々しい調子で、アンディは思いがけぬ相談をソフィーに持ちかける。


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 開店から一カ月半、物珍しさもあったのだろうが、客足も売上も順調に伸びていた。つきっきりでソフィーに教えた甲斐かいがあったと、支配人のジェフリーも機嫌がいい。客足が落ち着いた午後のひととき、ソフィーはバックヤードで帳簿のチェックをしていた。

「ソフィー様、お客様がお見えです」

 店員の一人がノックとともに声をかけてきた。

「私に?」

 最初の数日が終わってしまえば、好奇心でソフィーを見に来た客はぱったりと途絶とだえていた。落ちぶれた貴族の娘を話のタネに見に来るのは、一度で十分ということなのだろう。

「はい、男性のお客様です」

 また貴族たちの冷やかしかと思いながら店に出てみると、見慣れた姿があった。

「アンディ!」

 思いがけないなつかしい顔に、ソフィーの声がはずんだ。

「やあ、久しぶりだね」

 控えめな笑顔でアンディが答える。少し心配そうにソフィーを見つめている。

「うれしいわ、お店に来てもらえるなんて」

「ああ、一度は来てみないとね」

 そう言うとアンディは優しい笑顔で、ソフィーを見つめた。

「きみは……少し痩せたんじゃないかい?」

 気づかうように言う。

「ああ、そうかもしれないわね。ずっと準備で忙しかったから」

 誰かに気にかけてもらったのは久しぶりかもしれない。そう思うと、ずっと気を張っていた疲れが癒されるような気がした。

「そうか、無理をしないように」

「ありがとう、気をつかってくれてうれしいわ。……ねえ、お店の中を案内させてね、すっかり私、商人になったのよ」いたずらっぽい笑みを浮かべてソフィーは言った。

「ああ、そうだな、きみが手がけているんだから、さぞかし魅力的な品がそろっているんだろう」

 幼い頃からの長いつきあいが、今はありがたかった。ようやく、ありのままの自分でいられる友人を迎えられて、ソフィーの心ははずんだ。アンディも宝石には興味が無いだろうに、熱心に話を聞いてくれる。だが、しばらくすると、その表情に陰がさしていることに、ソフィーは気づいた。

「ソフィー、じつは今日は少し話があって来たんだ。その……どこかで話ができないかな」

 重い口調でアンディが口を開いた。

 ソフィーは少し考えて言った。

「たぶん、今日はもう店を出ても大丈夫だと思うわ。ジェフリーに確認してくるから、少し待っててね」

 そう言うと、ソフィーは奥にいるジェフリーに先に引き上げることを伝えに行った。二カ月近くもの間、休みなく働いていたソフィーの申し出に、ジェフリーもこころよく引き受けてくれ、ソフィーはアンディとともに店をあとにした。


 店から二ブロックほど離れたカフェに二人は腰を落ち着けた。

「アンディ、今日は来てくれてありがとう。本当に嬉しかったわ」

「久しぶりに会えて良かったよ。仕事は……つらくはないかい?」

 そう聞かれて初めて、ソフィーはこれまで無我夢中で、そんなことを考える時間さえなかったことに思い至った。

「ああ、ええ、そうね。きっとあなたや周りの人たちが思っているような意味では、つらいと思ったことはないと思うわ。むしろ、初めてのことに取り組むのは面白いとさえ言えるかしら。もちろん、知らないことや勉強しなくちゃならないことだらけで時間が足りないのは大変だけど」

 そう言ってちょっと肩をすくめた。

「そうか……。貴族だって、生きて行くためには変わらなくてはいけない時代になっているからな」

 そう言ってアンディは小さくため息をついた。

「そういえば、話があるって言っていたけど、何かしら」ソフィーは聞いた。

「実は……メアリーが妊娠したんだ」

「まあ、おめでとう!」

 心から喜ばしく思え、ソフィーは思わずアンディの手を取っていた。

「ありがとう。ただ……」

 アンディは手をそのままにして、目を伏せた。

「どうしたの?」

「子どものためにも、しっかりしなくちゃいけないとは思っているんだが、だが何をしたらいいものか。その、ぼくは仕事というものをしたことがないから」

 それを聞いてソフィーは、ウィルキンソン家の苦しい内情を思い出した。わが家はルパートによって窮状を救われ、屋敷も領地も手放さずにすんだ。だが、アンディたちも同じように苦しい状況なのだ。

 アンディたちはソフィーたちの結婚式の翌月に簡素な式をあげ、夫婦になった。隣人として祝いに駆けつけるべきだったのだろうが、店をほうっておくわけにも行かず、ビクトリアに行ってもらった。ビクトリアによると、メアリーもアンディもとても幸せそうだったが、驚くほど質素な式と簡素な食事会で、彼らの経済状況が相当苦しいだろうことが見てとれたそうだ。

「その、とてもいいづらいことなんだが、ビーチャム氏に頼んでもらえないだろうか」

 思い切ったように、アンディが言う。

「え?」

 思いがけない言葉にソフィーはとまどった。

「ぼくは、変わらなくちゃいけないと思っている。これまで、ずっと同じ生活が続くと思っていたが、どうやらそういうわけには行きそうもない。メアリーのためにも、これから生まれてくる子どものためにも、何かしなくてはと思ったんだ」

 あの、本さえ読んでいれば幸せだと言っていたアンディ。だが、彼はメアリーのために変わると言っている。

「そうだったのね。私、まだまだ仕事のことをわかっているとは言えないけれど、でも、ルパートに話してみるわ。きっと何か道があると思うの」

「ありがたい、ぜひ頼むよ」

 そう言うとアンディは、あらためてソフィーの手を力強く握りしめた。

「私、今だから言うけれど、あなたとメアリーはとてもお似合いだと思うわ。お祝いの言葉をしっかり言っていなくてごめんなさい」

 アンディの顔がうれしそうにほころんだ。

「きみとビーチャム氏だって、似合いの夫婦なんじゃないかな。世間はどうあれ、ぼくとメアリーはそう思っているよ」

「まあ、ありがとう」

 屈託のない言葉が身にしみた。本当のところは違っているにしろ、少なくとも自分はルパートに惹かれている。そして二人はお似合いだと言ってくれる友人がいる。

「さあ、そろそろぼくは行くよ」

 アンディは立ち上がると、兄のように優しいキスをソフィーの頬にしてくれた。

「何ができるかわからないが、がんばってみるさ。まずは両親の説得からだな」

「ええ、アンディ、こちらからもまた連絡するわね」

 ソフィーは明るい気持ちでアンディを見送った。


 通りの向こう。ルパートは車の中から手を握り合う二人を見つめていた。たまたま打ち合わせが早く終わり、ソフィーと一緒に帰ろうと店に立ち寄ったところ、帰宅したばかりだと聞かされた。徒歩だと聞いていたので車で後を追うと、二人でカフェに入るソフィーとアンディを見つけたのだ。

 自分にこそふさわしい妻。だが、心まで手に入れていないのであれば、本当にふさわしいとは言えない。だからこそソフィーが自立し、対等なパートナーになるまで支え、見守っていこうと、時には叱咤し、励まし、成長を見守ってきた。だが、彼女の心は自分には向いていなかった……。失望が重くのしかかる。

 手を取り合う二人が、頬にキスをして別れるまで見届けると、ルパートはそのままホテルへと向かった。今の怒りの気持ちのままに自宅に帰るわけにはいかない。

「ぼくだ。ああ、そうだ、例の件をまとめるために今から向かう」

 三つ星のホテルに落ち着くと、すぐに国際電話をかけた。逃げるわけではない。まだ時間が足りないだけだ。

 今すぐにも、勝ち気なあの瞳を見つめながら、彼女をキスに溺れさせ、熱く燃える身体にこの身を沈めたい。ずっとソフィーに触れなかったのは、形式だけの結婚ではなく、彼女の心を勝ち取ってから愛を交わしたかったからだ。

 ルパートは深いため息をついた。だが、愛を勝ち取る戦いにあせりは禁物きんもつだ。そう自分に言い聞かせると、翌日のチケットの手配をコンシェルジュに依頼した。


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