#14 いよいよ新しい店のオープン
ようやく新しい店のオープンを迎える。必死で勉強をしたソフィーは、自信をもって店に立った。次々と客が訪れるが、それぞれ思惑を抱えているようだ。
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ついに〈ビーチャム宝石店〉はオープン前日のレセプションパーティの日を迎えた。今日のソフィーは黒い仕立ての優雅な
以前は店に立つなど屈辱的だと思っていたが、今は違う。ジェフリーに教えられながら店の開店準備に関わり、できることはすべて学びきったという誇りがあった。そしてこの店を必ず成功させるという強い決意も。
ソフィーは自分の姿を鏡に映してみる。社交界の華やかさからはほどとおいドレスだが、満足していた。今朝選んだシンプルなネックレスは、ドレスにはぴったりではあるけれどV字型にあいた胸元には少しさびしいだろうか。店の商品を、宣伝を兼ねてつけてみてもいいかもしれない。派手になりすぎない、品のいい真珠かなにかを……。
そう考えていると、ルパートが入り口から入ってきて、彼女に近づいた。
「いよいよオープンだ」
いつになく熱く視線をぶつけてきたルパートの口調に、ちくりと刺のようなものが感じられた。
「ええ、そうね……」
何か私に不満があるの? 心の中から理由を聞きなさい、という声が聞こえたが、プライドがじゃまをして言葉が出てこない。
「ソフィー、君にもアクセサリーが必要だろう。そう思ってこれを持ってきた」
彼が青いビロード張りの箱を取り出す。指輪の箱よりも大きくて平たい。ふたを開けるとそこには大きな真珠を連ねたネックレスが入っていた。光沢のあるピンク色の真珠。相当価値のあるものにちがいない。
「なんて大きな真珠なの。こんなのを見たのは初めてだわ」
「うしろを向いて」
「え?」
「これをつけてほしいんだ」
「私に?」
「これは僕の祖母から受け継いだ品だ。祖父が若いころビーチャム商会を起こし、十数年は思うような利益をあげられずに苦しんだ。それを支えたのが祖母だ。その後、祖父が事業を拡げてひとかどの会社に育て上げたとき、祖母にこれを贈ったんだ。当時、祖父が買えたものとしては最高級のものだ」
「そんな大切なものを……」
「さあ、うしろを向いて」
ソフィーは素直にうしろを向いた。ネックレスの金具を留めようとするルパートの指が首筋に触れると熱が背中へと伝わった。この一カ月というもの、お互いに顔は合わせていても触れることはほとんどなかった。ソフィー自身にもそれを気にする暇もなかった。
「さあ、どうだい?」
真珠をつけただけで、すっかり印象が変わることにソフィーは驚いた。宝石が持つ力だけではない。ビーチャム家の一族としての誇りと力を受け取ったように感じた。
「身が引きしまるわ」
「きっとこの店はうまくいく。この一カ月、君はよくがんばった」
初めてルパートの口からほめ言葉が出た。
「ありがとう。そうなったらうれしいわ」思わず涙腺がゆるみそうになった。
「さあ、もうすぐオープンだ。君の実力を見せてくれ」
ルパートは挑戦的ににやりと笑うと店の奥へと入っていった。
レセプションは大成功だった。冷やかしの客や
何よりも、これまでの宝石店にはないセンスと華やかさが女性客を魅了した。
事前の宣伝が功を奏したのか、翌日のオープン初日からは思っていた以上の客の入りとなった。特に地元ロンドンの新進デザイナーに依頼したアクセサリーのシリーズが、すでに評判になっていた。決して安くはないが、品があってオリジナリティにあふれたプラチナとゴールドのコンビネーションを、大人の女性をターゲットにしてさまざまなメディアに情報を流していた。もちろんそこにはビーチャム商会の力というものもあったけれど。
オープンから三日目。午後遅くに入ってきた数人の客を見て、ソフィーははっとした。両親が生きていたころよく行き来していた人々だ。オブライエン家ほどの旧家ではないが、貴族階級だ。
「ベネット侯爵夫人、コスビー男爵夫人、みなさま、いらっしゃいませ」
年配の女性たちはソフィーをじろりと見た。
「ソフィー、お久しぶりね。結婚式のあと、お茶にでも誘ってもらえると思っていたのに、お忙しかったようね」
「ええ。この店の開店の準備に追われていました」
いいえ、誘ってもあなたたちは来なかったはずよ。ソフィーは言葉を飲み込んだ。
一番年長であるベネット夫人は店内をぶしつけにぐるりと見回した。
「ずいぶん……シンプルなお店だこと。少し商品も見せていただいたけど、あなたも趣味がずいぶん庶民的になったようね。亡くなったお父様やお母様が見たらどうお思いかしら」
決して派手ではないものの、店での接客にふさわしい上質のスーツを今日のソフィーは身につけている。アクセサリーは新しいシリーズで統一してあった。
同行の女性たちの口元にばかにしたような笑みが浮かんだ。
「……そうですね。最近の流行はシンプルでエレガントなデザインです。どれも厳選した石を使っております。飽きがこないので長く身につけていただけると思いますわ」
「あら、そうなの。でも長くつけるものは、一族で代々受け継がれていくものですからね」
まったく買う気がない……それよりまず、アクセサリーに興味がないことがすぐわかる。お金のためにビーチャムと結婚したふしだらな娘が、店員に身を落として何をやっているか見に来たというところだろう。
「残念ながら、私たちに合いそうなものは、この店にはないようだわ。でもあなたの顔を見られてよかったわ。せいぜいご商売でがんばることね」
あからさまな侮辱の言葉にも、ソフィーは笑顔で答える。
「お気に召したものがなかったのは残念です。でも気に入らないものをおつけになるのは、奥様方にとっても宝石にとっても不幸なことですわ」
ソフィーは彼女たちが、暗にこの店にふさわしい客ではないことを知らしめた。
「みなさまにお似合いになる宝石が見つかることをお祈りしています」
きっぱりと言い切る。
女性たちはソフィーをにらみつけると、何も言わずに店の外へと出て行った。ソフィーは小さくため息をついた。もう少しうまい対応もできたのかもしれないが、侮辱には我慢ならない。勝ち気な視線のまま少し離れたところにいるジェフリーをちらりと見ると、彼は少し笑って片目を軽くつぶった。
あと一時間で閉店という時間になり、今度は二人の紳士が入ってきた。一人は背の低い中年男性。もう一人は彼より少し若く、りゅうとした背広を着こんだ紳士だった。背の低いほうの男性がソフィーを見てにっこり笑う。
「ミスター・フランク……いらっしゃいませ」
「ソフィー・オブライエン嬢……ではなく、もうミセス・ビーチャムですね。すばらしい店じゃありませんか」
「そう言っていただけると、とてもうれしいですわ」
「あなた自身も見違えた……。この店にすっかり溶け込んでいる」
それがほめ言葉なのか、侮蔑をこめた表現なのかわからず、ソフィーはあいまいにほほえんでいた。
「ただ、私としては、あなたに店になど立ってほしくはなかった。ビーチャムが何を考えているかはわからないが、ずっと令嬢として大切に育てられたあなたが、店先で客の相手などしているのはお気の毒でならない」
そう言うと、ソフィーの手を取って、手の甲に軽く口づけた。
「そんなご心配は不要ですわ」
ソフィーは、ぶしつけにならない素早さで手を引き抜くと、きっぱりと返した。
「ミスター・スコットはご自分のお店を誇りにしていらっしゃるでしょう? 今はその気持ちがよくわかります。自分で働いて店を大きくしていくのはすばらしいわ。あなたのビジネスマンとしての偉大さが、自分でも働いてみてよくわかりました。私も以前よりは、そういう見方ができるようになりましたの。そのチャンスを与えてくれたルパートには感謝しています。ですから哀れなどということは決してありませんわ」
フランクは意表を突かれて驚いたように、目を丸くした。
「そ、そうですか……。私はあなたがお幸せならそれでいいんですが」
「それで、今日は何かをおさがしですか?」
「あ、ああ、こちらの紳士が奥様へのプレゼントを見立てたいというので」
「それはありがとうございます。ではご希望をおうかがいいたします」
三十代後半と思われる立派な紳士が、前に出てソフィーの手を取ってキスをした。なかなか魅力的な男性だが、愛想のよい笑顔にはまったく心がこもっていないように見える。
「実は一週間後が妻の誕生日なのでね。宝石はこれまでいくつも贈っていて、どのブランドにも飽きているんだ。新しくオープンしたところなら、これまでとはイメージの違うものがあるかもしれないと思って、フランク氏に連れてきてもらった」
「それは……光栄です。では何か奥様がお好きそうなものをお探しいたしましょう。アイテムは何を……」
ソフィーがケースに手を伸ばそうとしたとき、うしろから低い落ち着いた声が聞こえてきた。
「これはコネリー様。よくいらっしゃいました」
名前を呼ばれて、紳士が顔を上げた。
「やあ、ジェフリー。そうそう、君はビーチャムからここに引き抜かれたんだったな」
「引き抜かれたとは、大げさな。引退前に少しお手伝いをさせていただいているだけです……そういえば、奥様のお誕生日がもうすぐではありませんか? ぜひ見ていただきたいものがございます。ミスター・フランクもご一緒に、こちらへお通りください」
有無を言わさぬ威厳を漂わせたジェフリーが、二人を奥の個室へと案内する。ソフィーは何が起こったのかわからなくてあっけにとられていた。
「今のはコネリー商会の副社長だ。社長の息子で、いずれはあとを継ぐことになるだろう。物流に関してはうちとライバル関係にある。宝飾店にまで手を広げているわけではないが、ビーチャムの名のついた店には興味があるのだろう。一種の偵察さ」
いつの間にかルパートがうしろに立っていた。コネリー商会の名前はもちろん聞いたことがあったが、ビーチャム商会とそんな関係とは知らなかった。
「ジェフリーは以前からの知り合いみたいね」
「前の店での上得意だったそうだ。きっと思い切り高いものを売ってくれるだろう」
おもしろそうに笑いながらルパートが言う。
この店にはオープンしたてから、いろいろな人の思惑が渦巻いているみたいだわ。スコットとコネリーが入っていった個室のドアを見つめながらソフィーは思った。
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