#13 すれ違う心
新しい宝石店のオープンまでソフィーに休む暇はない。社交の場でうまくふるまえないソフィーに、ルパートは厳しい言葉をかける。はじめは反発したソフィーだが……。
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オープンを間近に控えて、幅広い層への宣伝のために、ソフィーはルパートと外出することが多くなった。客になりそうな人々が集まるパーティやイベントに、ルパートとともに出席する。それは自分にはなじみのある世界だったし、ルパートは常に注目の的だった。けれども、ここではもう自分は主役ではない。気位の高さを押し殺して、愛想笑いをする。それはひどくストレスがたまることだった。古い貴族の知り合いに冷たい目を向けられても、つんと顔をそむけてしまうわけにはいかないのだ。
「ロイド夫妻、妻のおかげで、新しい事業がはじめられますよ」
ルパートは日頃の素っ気なさを忘れたように、さりげなくソフィーの腰に手をまわし、挨拶の場へと押し出そうとする。
「ぜひオープンのレセプションパーティにはお越しください。さあ、ソフィー、きみからも新しい店について話してくれ」
「え、ええ……」
何か言おうとしても、気位がじゃまをして言葉がつづかない。
相手の裕福な商人夫妻も、はじめは美しい貴族の妻に興味をしめしていたが、とくに会話がつづかないと見ると、やがてルパートと景気の話をしはじめた。
ひとしきり話が終わって、商人夫妻が去ると、ルパートはうむを言わせず、ソフィーを人気のないバルコニーへと連れ出した。
「来るんだ」
周囲の人には気づかれない小さな声だったが、ソフィーを警戒させるには十分だった。
街を見下ろせる、ホテルの大きなバルコニー。そこここの片隅に夜気にあたって涼みに来た人たちが、笑いさざめいている。
ルパートはことさら人気のない一角にソフィーを連れ込むと、ぐいとこちらを向かせた。傍目には仲の良い夫婦に見えるにちがいない。
「君はいったい、何を考えているんだ」
「何を……って」
ルパートは何を言ってるの?
「いいや、何も考えていないと言ったほうが正しいだろうな」
とても新婚の夫が妻に言う言葉とは思えない。
「君はもっと賢いと思っていた」
「どういうことかしら」
精一杯の毎日の中で、屈辱的な思いをしてまでパーティに出ているというのに、文句があるというの? ソフィーはぐいと挑戦的にあごをあげた。
「ここに来ているのは何のためだ?」
問いかけるルパートの瞳はソフィーをまっすぐに見つめていた。すれちがいの毎日の中で、唯一目を合わせる機会がこんな場だなんて、なんて皮肉なんだろう。それなのに、この目に引き込まれてしまう……。
「もちろん、新しいお店の宣伝のためだわ」
つんとして答えた。
「ほう、そのくらいはわかっているようだな。だが、さっきの振る舞いは宣伝になっていたと思うか?」
ソフィーは、はっとした。先ほどまでの自分の姿が急に客観的に見えてきた。いやいやついて来たことを隠そうともしない貴族の妻。美しさと貴族であることを鼻にかけているとしか相手の目にはうつらないだろう。
そんな人間がやっている店に、誰が来るというの?
私たちは何も変わらないのに、庶民と結婚したからといって、自分や妹までも冷たくあしらわれている貴族社会。
私はまだそこから抜け出せていなかったのだ。ソフィーは唇をかんだ。顔が自然に赤くなる。
「わかってくれたようだな」
ソフィーの表情に理解が宿ったのを見て、ルパートの目元がふいにやわらいだ。
「美しく聡明な妻にごほうびだ」
そういってソフィーをふわりと抱きしめると、熱く口づけた。
大きな鉢の陰になっているとはいえ、こんなところでキスだなんて……。あらがうこともできず、ソフィーはルパートとのキスに溺れていった。そう、私はこれを求めていたんだわ……熱い吐息がもれ、周囲の音が遠くなった。
ふいにルパートが身をはなす。そこには、もう先ほどまでのあたたかみは消えていた。
「さあ、わかってくれたのならもう一度中に入ろう。すべきことは山ほどある。まず、今日会った全員の名前と肩書きをおぼえること。明日は招待状にひとこと書き添えてもらう」
すっかりルパートにいいように操られているような気がしたが、口づけの甘さは唇に残っていた。ついと、指でその感触をぬぐう。とにかく前に進むしかないのよ。ソフィーはぐいとあごを上げると、ふたたび会場へと向かった。
毎日、支配人のジェフリーとともに働き、ルパートには昼夜関係なく、あらゆる会合へと連れ回される。ソフィーは寝室に戻るころには疲れ果て、ばったりと倒れるように眠りについていた。ルパートが戻るのはたいていもっと遅くなってからだったから、とても待っていることなどできなかった。そして彼もソフィーを起こそうとはしない。夫の気配に気づいてもうろうと顔を向けると、そっと髪を撫でてくれることはあっても、彼女の体には指一本触れようとしなかった。
最初はお互い欲しい物を手に入れるための結婚だと言っていたが、結婚式までのやさしい時間、そしてあの夜の熱い交わりを経験して、彼は自分を愛してくれているのかもしれないと感じた。けれどもやはりそれは気のせいだったのだ。
忙しく時間が過ぎる中で、ソフィーの頭にそんな考えが浮かんでは消えた。私は彼の魅力に惹かれている。けれども彼はどうなの? 彼もまた少しは私に惹かれているのだと信じたい。けれども今まで一度も、自分が欲しい言葉を言ってくれていない。そう考えるとソフィーの胸が痛んだ。
それならそれでいい。ソフィーは深いため息をついて、じめついた考えを振り払った。もともと打算に基づく結婚なのだ。それなら私も利用できるものは利用するまでだ。そう考えることで、ともすればくじけそうになる心を
愛する人と結婚すれば、幸せになれる――そう無邪気に思っていた自分がいかに単純だったことか――あの日、アンディに結婚してくれと言ったなんて、なんて浅い考えだったのだろう……そんなことを考えながら、その日も疲れ果てて眠りについた。
「アンディ……」寝言が小さく口からもれる。
遅くに帰宅して、そっと着替えていたルパートはその言葉を聞いて動きを止め、小さく苦痛に顔をゆがめた。だがすぐに、いつもの感情を押し殺した表情へと変わった。
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