#12 この結婚は正しかったの?

 ソフィーの毎日は、勉強と仕事で忙しく過ぎていく。もともと妹たちを守るためにしたような結婚だ。けれどもその妹たちにとって、それはよい選択だったのだろうか。


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 店のオープンまでは一カ月あった。とは言え、初めてのことばかりのソフィーにとって、その忙しさはそれまでの比ではなかった。店の方向性としては、富裕層だけでなく、中産階級の収入の多い層までターゲットを広げ、また観光客も積極的に取りこんでいく。それを前提にバイヤーやデザイナーとの交渉が続いた。

 ある程度はオーソドックスなスタイルのものでカバーできるとしても、この店オリジナルのものを多く置きたい。

 ジェフリーはルパートの言葉どおり、ソフィーに宝石の知識と経営の基礎を徹底的にたたきこんだ。伯爵令嬢だとか、ルパート・ビーチャムの妻だとかいうことはまったく関係ない。彼の行くところにはどこにでもついていき、業者や工房までもまわった。

 夜も休んでいる暇はなかった。店の経営状況を常に把握しておくためには、経理の勉強も必要だ。家に戻ってから、慣れない書斎でこれまで見たこともないような本を読む。最初はまったく意味がわからなくて泣きそうになることもしばしばだった。

 身も心も限界を感じているソフィーを支えていたのは、プライドだけだった。意地と言ってもいいかもしれない。甘い言葉をかけた時もあったルパートは、そんなことはなかったかのように、そしてソフィーなど存在しないかのように忙しくしている。

 それなのに、どこかでルパートを恋しく思っているなんて……。ソフィーは自分の気持ちが信じられなかった。あの人は便宜上の妻として私を利用しているだけなのよ。何度も自分にそう言い聞かせた。


 めまぐるしい二週間が過ぎた。夜も更けてそれぞれが寝室に引き取ったあと、ソフィーは書斎で仕入れ表をにらんでいた。この仕入れが理にかなっているという理由を明日までに読み解いてこいと、ジェフリーに申し渡されていた。この売値にかかる経費は……。

 ああ、頭が痛い。毎日がこんなことの繰り返し。膨大な数字とのにらめっこだ。

「お姉さま」

 振り向くと、ビクトリアが部屋の入り口に立っていた。

「あら、まだ寝ていなかったの?」

「ええ」

 毎日顔を合わせてはいても、最近は妹たちとほとんど会話もなかったことに、ソフィーは気づいた。

「フリーダは?」

「もう寝たわ。新しい学校にすっかりなじんで、毎日忙しそうよ」

「そう……」

 会話がとぎれた。ビクトリアは何か言いたそうに、まだ立っている。

「こちらに来てお座りなさい。お茶でもいれてもらいましょう」

 小さくため息をつき、メイドを呼ぼうとベルを取り上げた。

「いいのよ」

 そういうと、ビクトリアは近くに来て姉の書類に目を向けた。 

「お姉さまは毎日忙しそうね」

「ええ、そうね。初めてのことばかりだし、おぼえることがたくさんあって、毎日があっという間だわ」

「私は……ひまだわ」

 感情を押し殺した声でビクトリアはつぶやくように言った。

「何もすることがなくて気が狂いそう」

「まあ、ビクトリア。なんでもしたいことをしたらいいのよ。買い物でも観劇でも。せっかくロンドンにいるんですもの。手配は執事にたのんだらいいわ」

「お姉さまは何もわかっていないのね」

 吐き捨てるようにビクトリアが言った。

「え?」

 あらためて書類から目をはなし、ビクトリアの顔を見ると、怒りで頬が赤く染まっていた。

「わかっていないって、いったい何が?」

「もう誰も私になんて声をかけて来ないのよ。貴族社会を出た娘になんか用はないってこと。こっちに来てからお茶会にすら招かれていないのよ」

 なんということ! 自分の忙しさにかまけて、妹たちの様子を気にかけていなかった。お金の心配もなく、使用人も多いこの屋敷のなかで、まさか不自由な思いをしていたとは。

「そうだったの……。そうだわ、グレゴリー伯父さまのところに行くのはどうかしら? しばらく従姉妹たちにも会っていなかったでしょう? マーガレット伯母さまはお優しいし、きっと……」

「やめて! 本当に何もわかっていないのね」ビクトリアの顔が怒りから悲しみへとかわった。頬を涙がつたう。

「伯父さまにとっても、伯母さまにとっても、もう私たちはやっかいものでしかないのよ。庶民の親戚がいては娘たちの縁談に差しさわるからって、腫れ物にさわるよう。結婚式の日にご挨拶したら、あなたも大変ねって言われたわ。うちの娘たちや息子の縁談に影響がなければいいのだけれど、ですって」

 にこやかに祝福の言葉を述べてくれていた伯父夫妻が、陰では妹にそんなことを言っていたなんて。なんてひどい! ソフィーは怒りに震えた。

「とにかく、お姉さまが気の毒だなんて思えない! だって私の人生がめちゃくちゃにされたんだもの!」

 そういうと、ビクトリアは部屋から飛び出して行った。

 追いかけようと立ち上がったソフィーは、やがて力なく腰をおろした。仕入れ表に目を落とす。

 私は、みんなのためを思って結婚した。みんなの幸せのためにと思って。

 でも、それは本当にそうだったの? ソフィーは手に顔をうずめた。


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