#11 ルパートの宣言

 ルパートが出張から戻ると、ソフィーはいきなり繁華街の店に連れていかれた。そこは新しくオープンする宝石店。そこで経営を学び、半年後には支店長になれと言われる。突然の話にソフィーはただ驚くばかり。


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 それからの一週間は、本当にめまぐるしく過ぎた。新しい家をととのえることから始まって、毎日の食事の用意。実際に働くのは使用人とはいえ、屋敷の女主人としてソフィーが最終的な責任を負う。新しい生活を始めるとは、なんとたいへんなことなのだろう。

 私はこれまで両親に守られていて、本当に自分では何も決めてこなかったのね。

 毎日、ベッドに入るころにはくたくたになっていたが、その一方でやりがいも感じていた。自分の思い通りにものごとを進め、結果が出たときの達成感もまた、初めて感じるものだった。

 ようやく主のいない一週間が過ぎて、ルパートから翌日にはロンドンに戻るという電話があった。

「家に戻る前に、君に話しておきたいことがあるから、明日の昼過ぎは空けておいてくれ。場所は運転手に伝えておく」

 彼が出張に出てから初めての電話だ。男性から大切にあつかわれるのが当然だったソフィーとしては、やり場のない怒りとともに、いきなりかけてきた電話でねぎらいの言葉すらないルパートにいらだちを感じていた。

「え? 先に家には戻ってこないってこと?」

 思わず声に不満がにじんだ。

「ああ。会ってほしい人と見せたいものがある」

 ソフィーの不満さえ察していないかのように、ルパートはきびきびと話し、自分の言いたいことだけを言って電話を切ってしまった。

 彼のやることはいつも予想がつかない。今度は私をいったい誰に会わせようというの?

 お飾りの妻として、ないがしろにされているような悔しさを感じながらも、久しぶりにルパートに会えると思うと、思わず胸は高鳴っていた。

 翌日の昼過ぎ、ルパートが言ったとおり車が迎えに来た。ソフィーは肌の色が引き立つクリーム色のスーツにあざやかなグリーンのスカーフを合わせた。ビジネスに関係する人に会うのかもしれない。そうであれば、きちんと見えたほうがいいだろう。

 つばのない小さな帽子、イヤリングは派手すぎないシルバーとパールの組み合わせにした。

運転手は浅黒い肌の青年で、オブライエン家の運転手よりもずっと若い。

「あなたはこの仕事は長いの?」

「半年ほどです」青年の言葉には少し外国の訛りがあった。

「まだ短いのね」

「ええ。でもそれほど長く運転手を続けるつもりはありません」

「あら……」

「ビーチャム氏は実力のある人間は、どんどん取り立ててくれます。私に学歴はありませんが、いつか自分で商売をしたい。勉強して、もっと稼げる仕事に就くんです」

 ソフィーは彼の言葉にびっくりした。使用人の口から将来の夢を聞いたことなどなかったからだ。

「そう……夢がかなうといいわね」

「ええ」

「それで、今日はこれからどこに行くのかしら」

「ソーホーです」

「ソーホーですって? そこは……」

 ソフィーはソーホーに行ったことがなかった。ロンドンの中ではとても上品とは言えない地域だという評判だった。

「ソーホーはこの十年ですっかり変わりましたよ。ご存じないですか?」

「ええ……あまりロンドンのダウンタウンへは行かなかったから」

 思わず口調に警戒心がにじんでいた。

「最近は高級店がどんどん進出して、以前のような庶民的な店はほとんどなくなっています」

「そう……」

 それでもしみついたイメージはなかなかぬぐえない。そしてルパートがいったい何を考えているのかもわからなかった。

 運転手が車をつけたのは、大通りから一本入った、それなりに大きな通りの一角にある店の前だった。店といってもまだオープンしていないらしく、商品は何も並んでいない。しかし内装や店内に並ぶ展示ケースからして、宝石店のようだ。

「ここなの?」

「はい。こちらにお連れするようにと言われています」

 運転手が車のドアを開け、店の中まで付き添ってくれた。

「やあ、デビッド、無事に連れてきてくれたようだね、ありがとう」

 店の中央にルパートが立っていた。大きな図面を手にしている。店内を点検していたようだ。

「車はいかがいたしましょう」

「そうだな……屋敷に戻しておいてくれ。帰りは私の車があれば十分だろう」

「かしこまりました。失礼いたします」

 青年が行ってしまうと、ソフィーはルパートのそばに近寄った。

「ルパート、お帰りなさい」

 彼の顔を見てしまうと、やはりうれしさが勝った。この一週間、何もかも一人でやらなければならないのは、やりがいを感じるとはいえ心細くもあった。しかしルパートは軽くうなずいただけだった。

「ルパート……?」

「ソフィー、ここは宝石店として新たにオープンする店だ」

「宝石店なのね」

 新しい事業というのは、ここのことなのだろうか。ソフィーはぐるりと店の中を見回した。

「そうだ、そして君には明日からここで働いてもらう」

「なんですって?」

 ソフィーの顔が嫌悪にゆがんだ。私に店員になれというの?

「結婚する前、僕は君を対等なパートナーとして扱いたいと言ったはずだ」

 ソフィーの驚きを予測していたかのように、ルパートは淡々と続けた。落ち着いた声だが、うむを言わせぬ迫力があった。

「ええ、そうね……」

 ソフィーは喉まで出かかった反論を呑み込んだ。

「しかし今の君では、とても僕と対等な関係にはなれない。だから商売を一から覚えてもらうことにする」

「でもここで何を……?」

「ここの支配人を紹介しよう。ジェフリー!」

 ルパートが呼ぶと、五十歳くらいのシルバーグレイの髪をした男性が入ってきた。どこかで見たことがある人だと、ソフィーは思った。

「奥様、その指輪はお気に召したでしょうか」

 ジェフリーがソフィーの手を見ながら言う。

「あ、この指輪を買った店の……」

「はい。さようでございます」

 結婚指輪を買った店に入ったとき、最初にルパートに近づいてきた男性だった。その彼がこの店の支配人?

「彼とは以前から面識があった。宝石店の経営についてはよく知っているから、この店を任せたいと思っていたんだが、彼はそろそろ引退したいという意向でね。だから半年間だけ力を借りることにした。その間、君は彼の下でこの店を取り仕切る方法を学ぶんだ」

「なんですって? 店を?」

「ああ、そうだ。それがビジネスを学ぶ基礎になる」

「商売をするだなんて……」

「恥ずかしいか?」

 正直に言えば答えはイエスだ。商売人など自分と同じ世界に住む人々とは思っていなかった。たとえどんなに高級な店であってもだ。だからこそ、こうして店をかまえ、客の顔を見ながら商品を売るなど、ソフィーにとってはあり得ないことだった。

「貴族のお嬢様として育った君だ。それはしかたないかもしれない。しかしその貴族が、今どんな状況にあるか考えてみたまえ」

 ソフィーははっとする。父は経済的に苦しくなって、フランク・スコットの手を借りようとしていた。そして自分も、周囲の知り合いも似たり寄ったりの状況だろう。

「これからは貴族だろうと、頭を使わなければ生き残れない。肩書きだけでは生きていけない時代なんだ。何かを売るのは卑しいという考えは捨てたほうがいい」

 頭ではわかっていても、とても承諾できることではない。ソフィーの生きて来た世界のすべてが、それは恥ずべきことだと言っている。

 ソフィーは顔色を失い声も出せなかった。

「君は、僕と結婚するということの意味がわかっていなかったらしい」

 ルパートが向けた冷たい視線に、ソフィーははっと顔を上げた。

「僕と結婚した以上、僕のやり方にしたがってもらおう。君には出来ないのかもしれないが……」

「わかったわ」

 彼のその言い方を聞いて、ソフィーは何かが吹っ切れた気がした。

「それでいい。期限はさっきも言ったように、彼が引退するまでの半年だ。その間に徹底的に経営について学んでほしい」

「たったの半年で? 私はこれまでまったく……」

「のんびりしてはいられないんだ。君に与えられた時間は半年。それで無理なら見限られると思ってくれ」

 ソフィーは唇をぎゅっとかんだ。なぜ彼はこんな冷たいことを言うのだろう? 

 見限られる? それは妻として? それとも仕事をする人間として? 

「明日からジェフリーは上司だ。君はお客ではない。そして半年後には彼から支配人の地位を受け継ぐんだ」

「私が支配人に?」

「ああ。この店が十年後も残っているかどうかは、君の腕にかかっている」

 ソフィーは唖然として何も言えなかった。

 その夜は、車の中で何も話しをせずに家まで戻った。夕食に初めて家族が揃ったというのに、ソフィーが暗く沈んでいたため、沈鬱なムードが漂う。ルパートがひとこと、ソフィーは明日から新たにオープンする店を手伝うことになったから、家にいることは減ると思うと告げた。妹たちはただ顔を見合わせるだけだった。


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