#08 結婚式は過去との決別
結婚式と披露宴は、ルパートの宣言通り、誰もが息をのむ華やかなものになった。しかし会場では、さまざまな人の複雑な思いが渦巻いていた。
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結婚式の日は青空が広がっていた。オブライエン家のマナーハウスに巨大なテントであるマーキーがいくつかしつらえられ、イギリスの伝統的な結婚披露宴が始まろうとしていた。新郎新婦が現れる前から、着飾った招待客は飲み物を手に、思い思いの場所で話をしたり写真を撮ったりしている。
ビーチャム家の力を見せつけるいい機会だとルパートが豪語したとおり、マーキー内部にはそこここに大がかりなフラワーアレンジメントが飾られ、テーブルウェア一つ、グラス一つをとっても、厳選された最高級のもので揃えられていた。
そして招待客も華やかだ。ルパートのいとこのアビーはアーティストの知り合いが多いと言っていたとおり、さまざまな世界の有名人も数多く招待されている。
「ちょっと見てよ、あれロイヤルバレエのロイ・ハワードとジャクリン・ルースじゃない」
「本当だわ。隣はサッカーのダニエル・オーウェンね。ビーチャム家の招待客は、ビジネス界の人たちばかりかと思っていたら……いったいどういうつながりかしら」
若者たちは憧れの存在を目の当たりにして、すっかり夢中になっている。
「ほら、デザイナーのメイベルよ」
光る素材のグレイのドレスを着た小柄な女性をこっそり指さして、娘たちはささやきあう。
「今日のソフィーのドレスは彼女のデザインなんですって。教会の伝統的なローブも美しかったけれど、どんなデザインかしら。とっても楽しみ」
「メイベルの服は奇抜なデザインが多いけれど、ウェディングドレスを見るのは初めてだわ。世界的に人気急上昇中の彼女にオーダーできるなんてすてき。ソフィーったらふだんファッションなんて興味ないって顔してたのに。メイベルを知ってるなんて、やるわね」
嫉妬と羨望のこもった声があちこちで行き交う。
若者たちの明るい笑い声が響く一方で、年配者、特にオブライエン家とつながりが深かった貴族たちの反応は冷ややかだった。芸能人や王室の結婚式ではあるまいし、必要以上に華美にするのは下品だと眉をひそめる人も多い。
もともとルパート・ビーチャムのような、ビジネスで成り上がった男に対する反発心もうずまいていた。それに加えて、貴族と言う肩書だけでは裕福な暮らしが望めなくなったために、結婚という手段で財力を手に入れたソフィー・オブライエンに対する妬みも強くなるのだ。
ソフィーは慣れ親しんだ自室で、メイクアップ・アーティストの手によって化粧を直されていた。この家で暮らすのもあと少しだ。ルパートは自分たちと妹たちが一緒に暮らせるよう、ロンドン中心街近くに新たな屋敷を用意してくれている。そのほうが彼の仕事もやりやすいし、若い妹たちは街のほうが暮らしやすいだろうという配慮だった。この屋敷を手ばなす必要が無くなった今、来ようと思えばここにはいつでも来られるが、ソフィーは寂しさも感じていた。明日からはまったく違う生活が待っている。
ソフィーは立ち上がって、鏡に映った自分の姿を見る。メイベルの店であつらえたドレスは、体にぴったりとフィットしている。
打ち合わせどおり、ウエストと膝のところを絞ったマーメイドライン、片側の肩だけを出した胸元にはシフォンのショールを巻き、首筋を美しく見せるようになっている。生地は贅沢なシルクサテンで、裾は大きく広がるデザイン。急なオーダーだったにもかかわらず、裾には細かな手作業のレースと真珠、そしてダイヤが縫い付けられ、海から泡がたちのぼっているように見える。
それに合わせてメイベルが選んだのは、プラチナの台にダイヤをあしらったレース型のネックレスで、ところどころにダイヤの代わりに美しいグリーンのエメラルドが散りばめられている。髪飾りも赤やピンクの花ではなく、グリーンと白をきかせたスタイリッシュなものだった。
あのあと宝飾店で選んだ結婚指輪が、たまたま大きなエメラルドのまわりを小さなダイヤが取り囲むデザインだったので、それともぴったり合っていた。
そして燃えるように輝くソフィーのエメラルド色の瞳。これが私だ。強くならなくては。オブライエン家を守るために。なによりも自分を守るために。ルパートはその機会を与えてくれたのだ。そう信じよう。
誰に恥じることもない。これは私が選んだ結婚だ。私は彼を利用しようとしているのかもしれない。でも彼も私を利用しようとしている。これで公平なはずだ。たとえ愛情などなくても。ソフィーはぐっと力を入れてあごを引き、鏡の中の自分を見つめた。
そのときドアにノックの音がした。
「はい」
ドアを開けて入ってきたのは、新郎のルパートだった。
「さあ、そろそろ準備はできたかな?」
「はい、すっかりご用意できております」
かいがいしく身の回りを整えてくれていた人たちが、ソフィーをくるりとドアのほうへと振り向けた。
振り返って目に入った彼の姿に、ソフィーは思わず息をのんだ。モーニングにグレイのベスト、胸元はふつうのネクタイではなく、アスコットタイをしめている。彼の少し癖のある黒い髪と黒い目が、まるで濡れているように輝いている。その色香にソフィーの鼓動が急に速くなった。
「ええ、準備できたわ」
できるだけしっかりと答えたつもりだったが、声がかすれた。くるりと小さくまわってドレス姿を見せると、ルパートは目を細めて近づいてきた。
「ソフィー、とても美しい。きっとみんな目をみはるだろう」
熱のこもった視線で花嫁の全身をながめまわした。
「ありがとう」あなたもとてもすてきだわ……と、素直に言えなかった。ただ彼女はあごをあげて胸をはり、差し出された彼の腕に自分の手を添えた。
ルパートとソフィーがパーティ会場に入ったとたん、大きな拍手が湧き起こった。若い女性たちの歓声がひときわ高く響く。メインテーブルへと歩く間に、祝福の言葉をそこここでかけられた。ソフィーもその晴れがましさに自然と笑顔になったが、客の中には冷たい目をしていた人もいたのを見逃さなかった。
二人がテーブルに着いて食事が進み、デザートの段階になると、客が代わるがわる祝福の言葉をかけにやってきた。ルパートの知り合いには彼と同年代の若い男性も多いので、出席者の女性たちも色めき立っている。
男性の知り合いはほぼ貴族の友人たちしか知らないソフィーにとっても、ビジネス界で生きる人たちは新鮮だった。
途中でアンディとメアリーも連れ立ってやってきた。
「おめでとう、ソフィー。結婚は君に先をこされてしまったな」
にこやかで優しげなアンディの笑顔がまぶしい。けれども以前のように、憧れで胸が苦しくなるようなことはなかった。ただ彼とメアリーの間に流れるあたたかさを感じるだけだ。しかしルパートは複雑そうな顔で三人を見ていた。
「ミスター・ビーチャム、きっとお二人で幸せになれるわ。誰が見てもとてもお似合いのカップルですもの」
メアリーの言葉に、ルパートも顔を少しほころばせた。
「ありがとう。あなたたちもとてもお似合いのカップルだ。きっとお互い幸せになれますよ」
そう言ってメアリーの手を取ると、軽くキスをした。メアリーがはにかんで笑うと、えくぼができてかわいらしい。ソフィーも自然と笑顔になった。
しかしこの二人のように、純粋に祝福してくれる人たちばかりではない。
しばらくするとアーロン・パークスが二人のテーブルにやってきたが、少しばかり酔っていた。尊大な口調でルパートに話しかけ、握手を求める。
「うまく貴族の娘を手に入れたな」
「ちょっと、アーロン、何を言うの?」
ソフィーが彼をたしなめようとする。
彼はちらりとソフィーを見ると、顔を近づけて小声で言った。
「君が金目当てでこんなやつと結婚するとは思わなかった。これだけぜいたくな結婚式ができて、さぞ満足だろうな、ソフィー」
ソフィーは彼の言葉に凍りついた。まっすぐに目を合わせると、彼の顔に薄ら笑いが浮かんでいる。しばらくにらみ合ったあと、ソフィーは大きく息を吸って、彼に向かってにっこり笑いかけた。
「アーロン、とても心にしみる祝福の言葉をありがとう。あなたらしいわ。同じ貴族でも私たちはまったく別の道を選んだことになるわけだけど、これからもクリケットでのあなたの活躍を祈ってるわ」
そこでいったん言葉を切り、深く息を吸って続ける。
「願わくば、もう二度と私や私の家族の前に現れないでちょうだい」
周囲は大勢の人の話し声でざわついていて、ソフィーの言葉が聞こえたのはおそらくアーロン本人と隣にいたルパートくらいだろう。アーロンの顔から笑みが消え、すっと青白くなる。彼はそのまま何も言わずに、テーブルから遠ざかっていった。
ソフィーが小さく息をつくと、ルパートの視線を感じた。横を向くとルパートが笑顔で言った。
「君はすばらしい」
ソフィーは少し苦笑いすると、まっすぐ彼を見つめて言った。
「私はもう元の世界には戻らないわ」
ルパートは目をみはる。そして彼女の肩を引き寄せると、唇にそっとキスをした。それを見た彼らの周囲の客たちから、ひときわ大きな歓声があがった。
宴も盛り上がってきて、バンドがダンスミュージックの演奏を始める。ルパートはすかさずソフィーの手を取って、バンドの前に広く開いているスペースへと連れ出した。彼のリードは性格と同じで少し強引だが、ソフィーは自分の体がとても軽く、いつもよりずっと上手に踊れている気がした。すぐそばに彼の端正な顔が近づき、黒い目にじっと見つめられると胸が高鳴って、鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと思ったほどだ。
「ルパート……」
自分でも気づかないうちに彼の名を呼んでいた。
ルパートは目を見つめたまま、「ソフィー、ダーリン」とささやく。
自分たち以外の人々がすべて消え、音楽も消え、何もない空間に二人だけで漂っている。
二曲目が終わるころには、二人のまわりで何組ものカップルが踊っていた。色とりどりのドレスを着た女性たちが踊っているのは、あたかも花が咲いたようだ。
三曲を踊ってさすがに疲れたソフィーは、隅に並んだ椅子に戻った。そこにはビクトリアがぽつんと座っていた。そういえばさっきアーロンに話しかけてすげなくあしらわれているビクトリアの姿が目に入った。
ひょっとしてビクトリアはアーロンのことが好きだったの?
そう思うと、これまでビクトリアがはにかみながらアーロンに接していた様子が目に浮かんだ。
私はとんでもないことをしてしまった……。
「フリーダは? さっきまで一緒にいたでしょう?」
気づかいながらビクトリアに話しかける。
「学校の同級生と踊ってるわ」
「そう……それならいいけれど」
両親が亡くなったあと、フリーダは一カ月以上ベッドから起きることができなかった。それがこうして姉の結婚式で、友人とダンスができるまでに回復したのを、ソフィーは心から喜んでいた。
「ビクトリア、あなたも踊ってくれば? さっきからダンスの申し込みをみんな断ってるじゃない」
ビクトリアは姉をちらりと見て、すぐに目をそらした。
「そんな気分じゃないのよ。放っておいて」
そう言うと、飲み物を取ってくると言って席を立った。ソフィーはそのうしろ姿を見ながら、そっとため息をつく。
「彼女はどうしたんだ? 何かあったのか?」
「あの子は……アーロン・パークスが好きだったみたい」
「さっきの男か」
「ええ」
ソフィーはうつむいて言う。
「私は彼の言葉がどうしても許せなかった。でももうアーロンが家にくることはないでしょうね。完全に縁が切れてしまうかもしれない。あの子はきっと私を恨むわね」
「そうか。だがそれはしかたないことだ。自分で乗り越えなければ」
「ええ、そうね……」
ルパートはいつも自分で乗り越えてきたのだろう。でもそれができない人たちもいる。
ビクトリアがグラスを片手に戻ってきた。椅子に座る前に、ルパートがさっと立ち上がって、彼女の行く手をふさいだ。
「ビクトリア。新しい義妹と踊るという名誉を僕に与えてくれないか?」
ビクトリアはびっくりして、目を丸くした。
「え……? でも私は飲み物を……」
「あとでまた取ればいい」
そう言うとグラスを通りかかったボーイのトレイに戻し、さっさとビクトリアの手を取って中央に出て行った。ソフィーのときと同じように、半ば強引に踊らせているような感じだが、それでもビクトリアの顔がしだいになごみ、体が動き始めたのが見えた。途中でルパートの知り合いらしき若い男が二人に近づいて、ビクトリアと踊りたいと言ったようだが、ルパートはおどけたしぐさで、その若い男を追い払った。ビクトリアもそこでようやく笑顔を見せた。
ソフィーは少しだけ安堵した。妹の心の傷はすぐには癒えないだろう。だが、今はこれで十分だ。
ソフィーは二人をじっと見つめる。踊っているルパートはなんて魅力的なのだろう。これまで会ったときはいつも混乱状態で、客観的に彼を見る機会はあまりなかったことに気づく。すらりとして、それでいて胸板の厚い男らしい体。黒くてくせのある髪。人の心をとらえて離さない黒い瞳……。あの人が私の夫になったのだ。そう考えると胸が高鳴るのを抑えることができない。
でも――ソフィは思い直した。そう、あの人は私ではなくオブライエン家と結婚したのよ。自分にそう言い聞かせる。甘い夢など見てはだめ。
だが、今夜から私はこの人と寝室をともにするのだ……。そう思うと、ソフィーの体は熱くなり、奥底に生まれた甘いうずきが広がっていった。
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