#07 イギリス一の花嫁に

 結婚式が一カ月後ということになり、大急ぎで準備をしなければならない。ルパートはドレスやジュエリーの店にソフィーを連れていく。それはソフィーがこれまで知らなかった華やかな世界だったが、ルパートは盛大な結婚式で、自分の力を誇示したいだけなのだと、ソフィーは一抹の寂しさを感じる。


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 翌日、ルパートが昼過ぎに迎えに来て、彼の車でロンドンの繁華街へと向かった。

「どこに行くかはもう決めているの?」

 事前に何も聞いていなかったソフィーは彼に尋ねる。

「ああ、女性のことはやはり女性の意見を聞いたほうがいいだろう。頼りになるアドバイザーが奨める店で待ち合わせをしている」

 女性のアドバイザーですって? ソフィーの胸に何かが突き刺さった。彼は女性から人気があると、メアリーは言っていた。これまでつきあった女性にでも、助言を求めるということだろうか?

 車はにぎやかな通りを抜け、小さな横道へと入っていった。デパートのような大型店舗ではなく、小さなショップやブティックが並んでいる。ソフィーは少し意外な気がした。

 その中に、ホテルマンのような制服を着た男が入り口に立っている店があった。その前に車を停めて、キーをその警備員らしき男に渡す。そしてソフィーを先に店に入れて、彼はそのあとからついてきた。

 店の中は思ったよりずっと広かった。入り口に近いところには何着かのドレスが並んでいたが、奥はまるで屋敷の客間のように重厚なソファが置かれ、落ち着いた雰囲気がただよっている。

 ソファの一つに、五十過ぎとおぼしき女性が座っていた。二人が近づいていくと、すぐに気づいて振り返り、ゆっくりとした動作で立ち上がった。

「アビー、待たせて申し訳ない。少し道が混んでいて」

「いいえ、まだ約束の時間には早いくらいよ。私がせっかちなのは知っているでしょう?」

 女性はにっこりと笑って、ソフィーを見た。年齢相応には歳をとっているが、すらりと長身で、洗練された美しさのある女性だ。目がきらきらしている。

「アビー、紹介するよ。こちらが僕の妻になるソフィー・オブライエン。そしてソフィー、僕のいとこのアビー・ウォルコットだ」

 いとこ……。ソフィーは体の力が抜けた。

「まだ正式に婚約を発表したばかりなのでしょう? それで一カ月後には結婚式ですって? 相変わらずやることが強引だこと。ソフィーは振り回されているのではなくて?」 ソフィーは少しためらったが、ぐっと腹に力を入れて答えた。

「ええ、振り回されています。彼のやることは予想がつきませんから」

 アビーはその言葉に少し驚いたようだったが、大きく顔をほころばせて言った。

「正直ね。でもルパートにはそのくらい言ってやったほうがいいわ」

 ルパートもまったく動じずに話を続ける。

「僕は小さいころからアビーの世話になってきた。人生の先輩として尊敬できる女性だ。この店も彼女の勧めならまず間違いはない。ゆっくりと話しながらいちばん似合うドレスをつくってもらうといい」

「もちろんお金に糸目はつけないのでしょう?」

 アビーがからかうように言う。

「ああ。結婚式はビーチャム商会と僕自身の面目をかけている。彼女の美しさを強調してくれるものなら、いくら出しても惜しくはない」

「それなら安心してお願いできるわ」

 そう言って彼女はこの店のオーナー兼デザイナーを呼んだ。出てきたのは小柄な黒髪の女性だった。東洋系のようだが、彼女の話す英語にはそれらしい訛りはない。年齢はアビーよりもだいぶ若いだろう。三十そこそこかもしれない。

「ミスター・ビーチャム、お会いできて光栄だわ。デザイナーのメイベルよ。結婚がお決まりになったんですってね? それでアビーからドレスのデザインを依頼されたわ」

「ああ、僕はアビーのセンスと人脈を百パーセント信頼している。イギリス一の花嫁のために、誰もが目をみはるようなドレスをつくってほしい」

 メイベルが満面の笑みでソフィーのほうを向く。

「こちらがその花嫁さんね。ええ、まかせて。きっとみなさんが息をのむようなものをつくってさしあげるわ」

 自信ありげに彼女は言う。そしてソフィーを振り返って言う。

「では採寸を先にさせていただいていいかしら。そのとき少しお話すれば、ドレスのイメージもわいてくると思うわ」

 ソフィーは彼女と一緒に採寸室に入り、服を脱いで下着だけになった。本当なら母譲りのドレスや代々伝わる宝飾品を吟味してから、ゆっくりと時間をかけて準備すべきところだ。名家にふさわしい支度をととのえるためにも。だがここにはもう母はいない。胸の奥が痛んだ。でもいっそ、これからの私にはすべてが新しいほうがいさぎよいのかもしれない。そう思ったソフィーは顔を上げ、しゃっきりと立った。メイベルは手際よく体のサイズを採寸し、ノートに書いていく。

「ウェディングドレスの形に、何か希望はあるのかしら?」

 そう尋ねられて、ソフィーは答えに窮した。

「いいえ、これまで特に考えたことはなくて。でもウェディングドレスというと、レースとかウェストが絞ってあって、裾がふんわりと広がったものとか、長いトレーンというイメージかしら……」

「そうね。とてもロマンチックなイメージだわ」

 そう言って、奥から何着かのシンプルなドレスを持ってきた。

「これは基本的なパターンを見るためのサンプルなの。今あなたが言ったのは、こういう形ね」

 それはまさに童話のプリンセスが着るようなドレスだった。ウエストが細く絞られ、そこから大きく裾が広がったデザインだ。

「まず、これをちょっと着てみてもらえるかしら」

 言われたとおり、ドレスを下に置き、中に入るようにして上まで持ち上げる。大きな鏡に映してみると、どことなく違和感がある。

「この形は、あなたには似合わないと思うわ」

 メイベルがずばりと言った。

「ええ……たしかに自分でも似合わないと思う……」

「子供っぽく見えてしまうのね。あなたはとてもきれいな砂時計型の体型をしているわ。これを生かさないのはもったいない。私としては、マーメイドラインをお勧めするわね」

「マーメイドですって?」

「ええ、今度はこちらを着てみて」

 マーメイドラインはウエストを絞り、膝までのラインを強調するデザインだ。出されたサンプルはさっきの形に比べると、ぐっとシンプルに見える。ひざの部分が狭くなっていて、腰を通すのに少し苦労した。しかし、全体的な見栄えはさきほどのドレスとは比べ物にならないくらい、ソフィーの体型を美しく見せている。

「ほら、こちらのほうがずっといいわ」

「ええ、まったく違うわね」

「基本的なラインはこれにしましょう。あとはシンプルになりすぎないように、デザインを工夫して……」

 彼女の頭の中では、さまざまなイメージがわいてきているようだ。その一つ一つの説明を聞いていると、ソフィーの頭の中でもドレスが組み立てられ、気分がうきうきとしてくる。メイベルがドアから顔を出して、アビーを呼んだ。

「アビー、ちょっと見てくれる?」

 彼女は採寸室に入るなり、目を細めた。

「ああ、とてもいいわね。マーメイドラインは腰が張っていないと似合わないし、体のラインを強調するけれど、あなたなら美しく着こなせるわ」

「そう、あとは裾の部分をフレアーにして、動きを出してもいいわ」

「ええ。それから胸元はどうかしら」

「ベアトップにすることも多いけれど、あまり露出を多くすると品がなくなるから、片方の肩だけを出してもいいわね」

 ソフィーからしても、二人の指摘はもっともだと思えた。結婚の準備は、母や妹たちと一緒に楽しみながらできたはずだった。今ではそんなささやかな楽しみも果たせなくなった。こうして母と同じくらいの年の女性とドレスを選ぶことができて、寂しさが少しまぎれるような気がした。

 もしかすると、ルパートがアビーを呼んでくれたのは、寂しい思いをさせないようにという配慮だったのだろうか。

 大まかなアイデアがまとまり、服を身につけてソフィーが採寸室を出ると、アビーとルパートが紅茶を飲みながら話をしていた。親戚であることと、幼いころからの知り合いで気心が知れているせいか、ルパートがとてもリラックスした顔をしている。いつも傲慢な態度しか見ていないから、屈託なく笑った顔は新鮮だった。

 あの人もこういう顔をするのね。ソフィーは思った。

「気に入ったのができそうか?」

 ソフィーを見るまなざしも、いつもよりはあたたかい気がする。

「ええ、もう大まかなデザインは決まったわ」

「早いな」

「結婚式が四週間後と言うんですもの。さっさと決めないと間に合わないわよ」

 アビーが笑いながら言う。

「二週間後にもう一度、仮縫いに来てもらえるかしら?」

「もちろん」

「それから、ドレスに合わせたアクセサリーをこちらで揃えていいかしら。生地の材質や形に合せないといけないので」

「ああ、それは任せよう。好きなように、最高のものを揃えてくれ」

「そう言っていただけると、こちらも腕の振るいがいがあるわ。イギリス一の花嫁にふさわしいものを揃えましょう」

 それを聞いてルパートは満足そうにうなずいた。

「アビー、今日これからの予定は?」

「この近くでお友達と会う約束になっているの」

「相変わらず社交生活が忙しそうだな。今日は政治家か? あるいはどこかの会社の重役か?」

「いつもいつもそんな偉い人とばかり会っているわけじゃないわ」

「あなたはどこでどんなつながりを持っているかわからないから怖い」

「あなたほどではないわ」

 アビーはそう言うと、ソフィーのほうを向いて言った。

「ルパートがようやく身を固める気になって、私はとても喜んでいるの。彼のような男性とうまくやっていける女性は少ないわ。でもあなたならきっと大丈夫。ルパートを支えてやってちょうだい」

 ルパートを支える? 私が彼を支えることなどできるのだろうか? 私よりはるかに世慣れている彼を。ソフィーはあいまいにうなずいた。

 アビーは先に出ていき、やがてさきほどの警備員が店の前に車を回してキーを渡しに来た。

 

「ミズ・ウォルコットは何をなさってる人なの?」車の中でソフィーはルパートに尋ねた。

「彼女の夫は有能な実業家だった。しかし残念ながら三年前に死別した。子供もいないし今は一人で暮らしている。とはいっても夫の遺してくれた財産で生活に困ることはないし、もともと世話好きな性格だから、屋敷に来客が絶えることはない」

「今日もこれから約束があるとおっしゃってたわね」

「ああ、顔の広さはビーチャム商会の上を行っているかもしれない。僕や父のネットワークはほぼ実業の世界に限られているが、アビーは芸術を通じてあらゆる分野の知り合いがいる。ミスター・ウォルコットは数多くの芸術に投資をしていたし、彼女自身も絵や詩を書いていた」

「才能のある人なのね」

「ああ。ビーチャム家とは違ったタイプの才能の持ち主だ」

 ソフィーはルパートに気づかれないくらい小さくため息をついた。

「それで……今度はどこへ行くの?」

「宝石店だ」

「え? 結婚式用のアクセサリーは今のお店で用意してくれるのでしょう?」

「結婚指輪だ。これだけは君と僕とで選びたい」

「あなたと私で……」

 なぜかその言葉を聞いたとき、急に自分がこの男性とこれから人生をともにするのだという恐れにも似た気持ちがわきあがってきた。

 ルパートが次に車を停めたのは、大通りに面した有名な宝飾店だった。中には大勢の客がいて、ウインドウの中に置かれた高級なネックレスや指輪を物色している。しかしルパートが店に入ると、いかにも仕立てのいいスーツを着た支配人らしき男性が、すぐにやってきた。

「ビーチャム様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」と言いながら、二人を奥の個室へと案内した。

「ご結婚がお決まりになったそうで、おめでとうございます。それで本日はご結婚指輪をお求めでしょうか」

「ああ。僕の未来の妻に最高のものを贈りたいんだ。この店の自慢の品をありったけ見せてもらいたいな」ルパートは支配人に笑顔を向けながら言った。


 その夜、ソフィーはすっかり疲れて早めに寝室に戻った。これまであまり街でショッピングなどしたことがなかった。もともと繁華街に行くのは好きでなかったし、服はなじみの仕立屋が来て、仕立ててくれていた。

 一昨日の婚約発表から、すべてが大きく変わってしまったようだ。これから私は……そして妹たちの前に、いったい何が待っているのだろう。

 宝石店で二人で選ぶと言った結婚指輪だが、結局はルパートによって、より高価なものに決まってしまった。たしかにその指輪のほうが自分には似合っているのかもしれないが、費用のすべてをルパートに頼っているという負い目もあり、ソフィーはシンプルなものを選ぼうとしたのに。

 彼に必要なのは貴族社会の一員になるということと、お人形のように飾り立てた見映みばえのいい妻という存在だけなのだろう。それが証拠に、ルパートは結婚の申し込みをした日以来、たとえ二人きりになっても指一本触れようとはしない。

 アンディのことでも自信を失った今、初めて自分には何もないのかもしれないという心細さで、ソフィーはいっぱいになっていた。


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